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星街すいせいとミームエコノミー

先日、東京を歩いた。大手町から麻布十番に向かって1時間ぐらい、ヘッドホンでYouTube Musicを聴きながら。

ボカロP・ツミキの「フォニイ」が耳から聴こえてきた。でも、可不じゃない。「誰だろう。Adoかな」と、iPhoneを見たら「星街すいせい」だった。

「VTuberだったよな」

しばらく聴いていたら、歌唱力におののいた。めちゃくちゃ上手い。

気になって、ミュージックビデオを見たら、ボカロP・ツミが5400万回再生で、星街すいせいのカバー動画が4500万回再生だった。ほぼ変わらない。

「まじか……」

オリジナルを超えていくカバー。あるいはコピー。

星街すいせい他の曲を聴いても良く、だいぶファンになりかける。

何が起こったのか。おそらく僕がフォニイの楽曲が好きで聴いていたところ、YouTubeのアルゴリズムが勝手に関連曲としてオススメしたのだろう。

これがYouTubeなのかTikTokなのかは別にして、だれもが同じような経験があるはずだ。

アーティスト一人が楽曲を創り、演奏し、歌う。それが当たり前だった。

今は歌い手、踊り手、絵師、動画師、MIX師、バラバラなものが結びつき、レゴブロックのように1つの作品をカタチづくる。

Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」で世界の誰かがダンスすれば、それをマネた誰かがまた踊る。それでCreepy Nutsを知る人もいれば、アニメ「マッシュル-MASHLE-」を知る人もいるだろう。

言語を超えていく非言語。あるいはボディランゲージ。

これからビジネスの世界で起きることも、おそらく同じだろう。あるところで生まれた商品・サービスが、デジタル化によってアンバンドルされ、バラバラに細かい単位になってなって、再び何かとバンドルする。

世界のどこかに住んでいる、誰かにとっての、新しい出会いを生む。

ゆえに、カバーされる、コピーされる、複製されるほどのオリジナリティ。独創性の価値はますます高まるだろう。

だからこそ、コピーされることを前提にして、どうビジネスのアーキテクチャを設計するのか。それが重要になる。

これを「ミームエコノミー(The Meme Economy)」と呼ぶ。

リチャード・ドーキンスは流行る「猫ミーム」を見て、何を思うのだろう。