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産後一ヶ月で完ミにした理由とそれまでの経緯


今年の4月に生まれた娘をミルクで育てており、もうすぐ生後8ヶ月になる。
完全ミルクオンリー。直母は一度もあげていない。
あげれなかった、と言う方が正しいが。

娘は、2500gギリギリという、どちらかといえば小さめで産まれた。
現在は8.5kgあり、今のところ、すくすくと問題なく育ってくれている。

生後1ヶ月までは搾乳した母乳も少しあげていたが、1ヶ月健診の日を境に、搾乳もきっぱりとやめて、ミルク一本でいこうと決めた。
その瞬間、心も身体も軽くなった。
ガチガチになっていた肩と背中が徐々に楽になり、あんなに苦痛だった授乳の時間が楽しくなった。

それくらい、私にとって母乳をあげることが大きな負担となっていたのだと気付いた。

母乳で育てるかミルクで育てるか。
私はすごく悩んだし、とても辛かった。

つい先日、親友が元気な赤ちゃんを産んだ。
私の娘とは半年違いで同級生になる子だ。
そんな友人からきたラインには、母乳に悩んでる様子が書かれていた。
「母乳がなかなかでないし、もうやめたい」「もうミルクにしてもいいかな?」「ミルクでも問題なく育つよね?」
つい半年前の自分が送っているかのような内容だった。
私と同じように、母乳育児がうまく進まなくて悩む人は多いのだと改めて思った。
というか、母乳が軌道に乗っても乗らなくても、誰もが一度は悩むものなのだろう。

だからもし今、母乳がうまくあげられずにミルクにするか悩んでいる人がいたら、少しでも参考になればと思い、私自身の経験を書いておくことにした。

母乳で悩んでいた最初の1か月、「母乳 ミルク 混合」「ミルク 免疫 リスク」等で検索しまくっていた。
完ミにした人の体験記なども読んだ。
私の場合、母乳を早くやめたくて、ミルクにする理由を探していた。

なぜやめたかったのかというと、直母での授乳が全然うまくいかなかったからだ。

産後の1ヶ月間、心も身体も本当に辛かった。
「子供のためなら頑張れる!」なんて気持ちは一ミリもなく、ただただ辛かった。
子供を産んで一番しんどかったことは何かと聞かれたら、産後の授乳訓練だと答えるくらい辛かった。
私にとっては、悪阻より、陣痛より、会陰切開の痛みよりも母乳を絞る痛みの方が辛かった。

それには、事前の情報収集も関係していると思う。
陣痛や出産については、事前にたくさん体験記も読んでいたし、「死ぬほど痛い」と聞いていたから、ある程度覚悟はできていた。
それに比べて授乳は、「どうやら大変らしい」と耳にはしていたものの、そこまで深刻には捉えていなかった。「産んだらゴール」と心のどこかで思っていて、その後は全ての苦痛から解放されると思っていたし、私の母は母乳がたくさん出たと言っていたので、「大変とはいってもそれなりに自然におっぱいをあげれるようになるだろう!」と軽く考えていた。

だから、想定外の辛さだった。
妊娠し、苦しい悪阻を経験し、10か月に及ぶ妊娠生活を過ごし、死ぬほど痛い陣痛と出産を乗り越え、やっと解放されたと思った先に、まだこんな痛みがあるなんて聞いてない。
フルマラソン完走後に、急にボクシングの試合に出ろと言われたような気分だった。

私の場合、出産自体は比較的安産だった。
陣痛がはじまってから4~5時間ほどで産まれたため、出産にびびりまくってたくさんの体験談を読んでいた私は、「思ってたほどではなかったな」と思った。
出産後は「一仕事終えた!」という達成感と高揚感でいっぱいで、家族や友人に連絡をとったり、SNSを見たりして気分よく過ごした。

出産の翌日、母子同室がはじまると、怒涛の勢いで時間が過ぎていった。
はじめての赤ちゃんのお世話。抱っこにおむつ替え。戸惑いながらも、少しずつ赤ちゃんを産んだ実感が湧いてきて、幸せな気持ちで満たされていた。身体は辛かったけど、あの重くしんどい状態から解放された喜びの方が優っていたし、どんどん回復していくと思っていたから、気持ちは明るかった。
母乳のことは頭からすっかり抜け落ちていたし、そのうち出るだろう!と気にも留めていなかった。

その日の夜のこと。
ふと夜中に眠りから覚めると、少し手を動かしただけで胸に激痛が走った。
驚いておそるおそる手で触れると、胸がぱんぱんに腫れあがり、熱を帯びているのがわかった。
「おっぱいが張ってきたんだ!ついにおっぱいが出るんだ!」
そう思って興奮したものの、その時点で胸が痛すぎて、痛みと驚きでいっぱいいっぱいだった。マッサージしたり、乳首をつまんでみる余裕もなかった。
「胸が熱くて痛いです」
息も絶え絶えでナースコールをした。
看護師さんはアイスノンと鎮痛剤を持ってきてくれたけれど、「少し落ち着いたら一緒にマッサージしてみましょう!」と言って去って行った。次の日の夜まで、小指一本動かすだけでも上半身が痛くて、横になってうずくまっていることしかできなかった。時間が早く過ぎることを祈って眠りにつこうとしたけれど、全く眠ることができなかった。

夜になると少し痛みが引いたので、なんとか授乳室に向かって看護師さんからマッサージの指導を受けた。痛すぎて自分ではろくに胸に触れることもできないでいると、看護師さんの手が私の胸に触れた。
「しっかり強くマッサージしないと、開通しないですよ」
そう言って、ぱんぱんに腫れあがった私の胸を力任せに絞りはじめた。
ひとごろしー!!!
そう叫びそうになるくらい痛かった。
この時の痛みをなんと表現すればよいのかわからないが、とにかくものすごく痛かった。
乳がん検診のマンモグラフィー検査で胸を潰されるのも痛いけれど、その1000倍くらい痛いと思った。
しかも1回だけではなく、何度も何度も絞ってくるのだ。
ひぎいー!と奇声をあげながら耐えていると、ぴゅーっと一筋の液体が飛び出した。母乳が開通したのだ。
「あっ出ましたね~」
穏やかな看護師さんの声とは裏腹に、私は痛みで泣いていた。何度も繰り返し絞られているうちに、母乳はどんどん出てくるようになった。
「こんなに痛いなら、陣痛の方がましだった」と、おっぱいを絞られながら思った。

看護師さんに絞ってもらったおかげで、痛みは若干和らいだ。カッチカチになっていた胸は、少しの柔らかさを取り戻していた。
翌日から、もう二度と痛くなりたくなくて、念入りにマッサージをした。
しかし、揉んでも揉んでも出る母乳の量は増えていかなかった。
看護師さんいわく、コツもあるけれど、乳首をつまむ力が足りないのだという。
それは自分でもわかっている。しかし、痛すぎて強くつまむことができない。痛いとわかっているのに自分の指で力を入れて乳首をつまむのが、本当に苦痛なのだ。自分で自分に痛みを加えるというのはとても難しい。まだ出産して数日なのに、絞る度に子宮が痛むのに、それでもやらなければならない。とても辛かった。

そんな思いをして母乳が少しずつ出始めたが、次の壁が立ちはだかった。
赤ちゃんがまったく咥えてくれなかったのである。

まず、体勢が難しい。
赤ちゃんが小さすぎて、いい感じに腕の中におさまらない。赤ちゃんの頭の位置に乳首が来ない。まだ首も座っていない小さい頭をわし掴みにして乳首に押し付ける作業がしんどい。
産む前は、赤ん坊の顔なんて自然と乳首の位置に来るものだと思っていた。全然そんなことなかった。位置を調整をしながら乳首を咥えさせて飲ませるには、赤ちゃん側の協力が必須だと思った。それなのに、赤ちゃんは協力するどころか強い意志を持って乳首を拒絶し続ける。だから無理に押さえつけるしかない。
泣き叫びながら首をふり、嫌がって悲鳴をあげて泣き喚く。
振りすぎて、首が取れちゃったらどうしようとか本気で考えた。
まだこの世に生まれて3日の、か弱い赤子にこんな無理を強いたくない――そう思いながら30分、40分と続けるうちに、心身共に疲れ果ててしまった。
胸も乳首も痛いし、肩も背中もあちこち痛い。寝不足で頭も目も痛い。万年肩こりの私の背中はもう悲鳴をあげていた。
しかしそんな身体的な疲れよりも何よりも、泣き叫ぶ赤子の首を無理矢理胸の押し付けなければいけないという、精神的なストレスが一番辛かった。
「もっと奥まで咥え込ませないと飲まないから!がんばって!」と看護師さんは応援してくれたけど、どう頑張ればいいのかわからない。心を鬼にして咥えさせるも、娘も本気を出して嫌がってくる。娘のあんなギャン泣きを聞いたのは、生後8か月になった今でもあの時だけだったから、本気で嫌だったのだろう。
そんな地獄の特訓を授乳時間のたびに繰り返したが、娘は乳首を咥えるようにはならなかった。私の肩と背中が限界に達したので、授乳時間以外はサロンパスを背中に張ってずっとぐったりと寝て過ごした。

深夜2時頃に、授乳室が満員だったので、フリースペースで一人授乳に挑んで撃沈した。人目がなかったら変わるかと期待したけれど、1時間ねばってもやはり飲まなかった。
そのスペースには赤ちゃんの体重計が置いてあって、飲む前後に測って記録することができた。記録帳には他の方の記録が記されていて、私と同じ日に産んだ方の順調な記録が目に入って「他の赤ちゃんはうまく飲めているんだなぁ」と、気持ちが沈んだ。

「なんで病院はすぐにミルクをくれないのだろう」と正直苛立っていた。少なくとも30分は飲ませる訓練をしてからでないと、「ミルク下さい」と言えなかった。強く言えばくれたのだろうけれど、数分しか経っていないのにミルクを要求すると、努力していないと思われるのが怖くて言えなかった。
もし最初からミルクを渡されていて、好きなタイミングであげれていたなら、もっと気持ちは楽だったと思う。

あまりに娘がおっぱいを吸わないので、見かねて看護師さんが乳首保護器というものを貸してくれた。それを使うと、娘がはじめて乳首を吸ってくれたのでとても感動した。
「これならいけるかも!」
嬉しくなって、体重計ではじめて娘の飲む前と飲んだ後で測ってみた。

結果、0g。
1gも飲めていなかった。
もうお手上げだった。

結局、病院では一回も飲ませることができないまま退院した。その帰りに搾乳機を買って、家で授乳するときはせっせと搾乳した母乳をあげるようになった。
「母乳には免疫が〜」とぼんやりと聞いたことがあったから、あげないよりはあげた方がいいのだろうと思っていた。

搾乳機は手動のものだったけれど、それまで指で乳首を摘んで出していたので、「こんな便利なものがあるなんて!」と最初はとても感動した。けれどすぐに、それすら面倒になった。搾乳機をおっぱいにあて、手動でシュコシュコと押し続けること15分。手は疲れて震えてくるのに、とれる母乳はわずか10ml程度。それを左右交代で行う。搾乳すると同時にミルクも用意して、搾母乳とミルクを一緒に与える。搾乳開始から搾母乳とミルクを飲ませて後片付けを終えるまで、45分くらいかかる。哺乳瓶は2つ、搾乳機も洗わないといけない。その一連の作業を3時間ごと、つまり1日8回行う。
これ、産後のしんどい身体でやるべきこと????
そう思い、「本当に母乳を上げる必要ってある…?」「もうやめてもよくない?」「ミルクじゃダメなの?」という考えで頭の中がいっぱいになった。

けれど、そんな生活を1か月ほど続けた。
母乳にこだわっていたわけではなく、単に「止め時」がわからなかったからだ。

やめようと思えたきっかけは、夫の一言だった。
「母乳にこだわりがないなら、ミルクにしたいな。それなら俺もあげることができるし」と言ってくれた。

夫は最初から、「ミルクでいいんじゃない?」と言ってくれていた。けれど、「ミルクでもいい」と「ミルクがいい」では、全然違うと思った。

「ミルクでもいいんじゃない?」と言う人は多い。
私もずっとそう思っていた。母乳にこだわりはなかったし、悩んでいる方を見ても「ミルクにすればよくない?」「なんでミルクにしないの?」と思っていた。

けれど、いざミルクにするとなると、「母乳の止め時」がわからない」のだ。止め時というか、「諦め時」というか。

産む前は、「母乳をあげてみて、出なかったらミルクにしよう」と気楽に思っていた。
けれど、母乳が全く出ない訳でもない。
あげるのをやめたら、おっぱいが張って痛くなるかもしれない。
赤ちゃんがうまく飲んでくれないといっても、最初だけかもしれない。
そのうち軌道に乗るのかもしれない。
続けていたら咥えるようになるかもしれない。
なら、ここでやめてしまうのはもったいないのかもしれない。

そう思っているうちに時間は過ぎ、心と身体は疲弊し、止め時がわからないまま、いつ終わるのかわからないトンネルの中を彷徨っていたように思う。

いっそ、「何mlしか母乳がでなくなったら完ミにすること」「10回連続で挑戦しても赤ちゃんが咥えなかったらやめること」等、明確な基準があれば良いと思った。
けれど、今のところはないので、自分で止めるタイミングを決めなければならない。
明確な基準がないから、「絶対に母乳で育てたい!」と思っているわけではないにもかかわらず、なかなかミルクに切り替えることができないのだ。

だから私にとって、夫という他者からの「ミルクにしたい」という要望はとても嬉しかった。
私以外の誰かが、はじめて「母乳の諦め時」を責任をもって提案してくれたからだ。
私たちは夫婦で育休をとっていたので、ミルクにした方が、育児の負担が平等になるということも大きかった。

それから約7か月間ミルクで育児をしてきて、良かったと思うことはたくさんある。

まず第一に、誰でも授乳できること。
新生児の頃から、母である私が3時間以上離れることができる。おかげさまで、最初から私は8時間ぶっ通しで眠ることができた。妊娠中細切れ睡眠になり、「産後の授乳に向けて身体が準備しているのかな?」と思ったけれど、直母による授乳がなければ通しで長時間眠ることができるのだとわかった。

第二に、産後の身体が完全に元通りになること。(※体重は別)
母乳がだんだんでなくなるので、妊娠前と同じ状態に割と早めに戻れた。私は搾乳中から少しずつ母乳の量が減っていっていたので、比較的すんなりとやめることができた。断乳後2,3か月は絞れば乳は出ていたが、4か月目になるともう一切出なくなった。痛みも腫れも特になかった。

第三に、好きな服を着られること。
授乳する必要がないので、前開きやボタンなど服の形態を気にする必要がない。
また、私は自宅にいる時はブラをつけない派なので、産後1ヶ月はいつも授乳ブラ+母乳パッドをつけていなければならないことは非常にストレスだった。乳首が常にむれてかゆいこともストレスだった。

デメリットは、母乳育児をしたことがないので比べられないし、ハッキリとはわからない。
経済的な面では、月1万円近くミルクにかかっているので、母乳育児の人は年間12万ほど浮いているのだと思うと、ミルクのデメリットといえるかもしれない。
(しかし母乳の人は努力や苦労の末に母乳育児ができていると思うので、「母乳は経済的」等の発言は母乳をあげている本人以外の人が軽々しく言うべきではないと思う)

「お出かけの時に荷物が多くなる」という点に関しては、我が家は明治ほほえみのミルクを普段から使用しているので、お出かけ時はほほえみの缶ミルクを使っている。調乳のためのお湯を持ち歩く必要もなく、哺乳瓶も不要(乳首部分と缶と繋ぎ合わせるパーツのみ必要)のため、非常に楽である。

私の場合は、完ミにしたら心も身体も一気に楽になり、授乳の時間が楽しみになった。
娘が哺乳瓶を咥えている姿がたまらなく愛おしくて、「育児が楽しい」と思えるようになった。
それだけでも、ミルクにしたメリットはかなり大きかったと思う。

母乳にこだわりはなかった。だからこそ、どこまでやって諦めたらいいのか分からなかった。
そしておそらく、「みんなできていることができていないという焦り」もあったと思う。
母乳育児が軌道に乗っている人も、並々ならぬ苦労と努力の末にできていることは今なら想像できる。それなのに、「みんな当たり前のようにできていることができていない」という卑屈な考えにもなってしまっていた。

母乳育児かミルク育児かの判断は難しく、はっきりとアドバイスをしてくれる人はなかなかいない。
そのため、授乳がうまくいかないと、「自分だけうまくいっていないのではないか」と孤独を感じ、ふさぎ込んでしまう人も多いと思う。

もし同じように悩んでいる方がいたら、自分の心と身体の健康を優先して、辛くならない選択をしてほしいなと思う。

欲を言うならば、一度くらいは娘がおっぱいを咥えたところを見てみたかったなー。

※2023年8月追記

上記の記事から一年半が経ち、娘は2歳4ヶ月になりました。

まぁ,元気,元気。
毎日ソファで飛び跳ね、歌い、踊り、アグレッシブに動き回っています。
保育園に通い始めてから人並みに風邪とかはもらってきますが、いまだ食欲がなくなったりぐったりすることもなく、大きな病気や入院などもしたことはないです。

とにかく何が言いたいかというと、

「完ミでもなんの問題もなくスクスク育ってるよ!!!超元気だよ!!!!!」

ということです。

なので、今うまく母乳あげれずに「ミルクにしちゃっていいのかな…なんか悪影響ないかな…」と泣いて苦しんで限界な方は、今すぐそのおっぱいをしまい、母乳パッドを捨て、ネットでミルクをポチっと購入しましょう。
今家にミルクがある方は、次の授乳からミルクにしましょう。
大丈夫!!!ミルクでも!!元気に育ちます!!!



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