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寄り道に支えられた暮らし

生命維持という観点では、暮らしはいかようにも最小限にすることができると思う。呼吸して、栄養補給して、就寝し、起床し、勤労する。これだけで、生きることはできる。ただこれでは暮らしているとは感じられない。何のために生きているのかもよく分からなくなってしまう。自分へのご褒美とケーキを買って帰ったり、好きな芸能人が載っている雑誌目当てに寄った本屋で別の本も購入したりする。気分転換にドライブしてサービスエリアでご当地グルメを楽しんだり、訪れた美術館のミュージアムショップで絵画をあしらったハガキを買ったりする。生命維持に必須ではないとも言える、小さな寄り道で経済は回っていて、どこかの誰かの生活は支えられている。地元の小さなお店が経営破綻したことで思い知らされた。大手チェーンであればいざ知らず、小さなお店を営む人たちは今日を生きている。一日お店を開けないことが積み重なった先には、おしまいが待っているのだと。そうした色んな顔をしたお店を喪失した街は、なんと味気のないことか。工場で作られたおにぎりは衛生的にクリーンだろうけれど、そればかりでは物足りないでしょう?自らの消費行動が誰かの生活だけでなく、自身の暮らしの豊かさも支えている。街が脱色してしまわないように、今日もどこかに寄り道をする。ところで最近、お酒を飲むと具合が優れず却ってストレスが溜まってしまう。オーセンティックなバーに立ち寄り、ノンアルコールでもしばこうかしら。

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