猫ちゃん大好きブログその5「最近のこと」


またギリギリに書いています。そしてクラブハウスが席巻してる今、noteにしこしこ書くことの虚しさを感じています。
まぁ仕方ない。書くと決めたことだし。
しかしなかなかに退屈な日常です。
4月公演「何を見ても何かを思い出すと思う」のことしか考えてない。
しかも何度か書いてますが一度台本を書き上げている。
精度を高め、今度こそ

「荒削りで未成熟だが勢いがある」

と言われないよう、粛々と努力しています。書き直したり、演出を考えたり。

今のところ最高傑作なのですが、毎回言ってるので、あまり信用がおけません。

しかしこの「何を見ても何かを思い出す」っていうヘミングウェイの短編のタイトルはすごいですね。(中身はヘミングウェイ自身の息子との複雑な背景などもあるので、一概にいい悪いと言いにくいのもまた面白いところです)
僕自身このタイトルに引きずられて、連想が連想を呼びほこりを被った記憶の奥底にあるものを呼び、みたいな感じの芝居にしたいなと思っています。
わりと小説の得意分野かと思いますが、そういうのを舞台に立ち上がらせられたらなぁとか思う次第です。

最近読んだものとか観たものを書きます。

「零れる果実」
鈴江俊郎さんと狩場直史さんが共同執筆した戯曲です。「シアターコクーン戯曲賞」なるものをとっていて、佐藤信さんと蜷川幸雄さんの演出で上演もされているようです。シアターコクーンで。
こんな地味で繊細な戯曲が……と読んで驚きます。
内容としてはいまここにいない、失踪したのか死んだのかもわからない「エイコ」という女性について、エイコと少なからず関わりがあった人々が彼女について語るという、それ以上でもそれ以下でもないという感じです。
ただ、繊細な台詞が、それぞれの登場人物が抱える孤独がチラと垣間見える瞬間をとても巧みに捉えています。
これは本当にすごい。と思いました。
今の時代にこういう戯曲があったらどう評価されるんでしょうか。

「静かな演劇」と言えば平田オリザさんや岩松了さんかと思いますが、
鈴江俊郎さん、深津篤史さん、入れていいのか分かりませんが一時期の松田正隆さんあたりのあの都会派な静かなアングラ?の潮流はどの辺に受け継がれてるのかな、とか考えました。

「もう生まれたくない」
長嶋有さんの小説です。
年齢性別様々な人々が「有名人」(実際の人々です)の訃報に触れて、考えたり、感じたりしたことが書き綴られているゆるい群像劇です。
自分が演劇に固有名詞をどうしても入れてしまうのは長嶋有さんの影響もある気がしています。
基本的に創作って「ぼくのかんがえたさいきょうの〇〇」的自意識から逃れられないと思うのですが、創作してる時の「自分に浸っている状態」で、わざと「俗」な事柄を入れて自分が浸りすぎている箇所を点検する、的な意味合いで固有名詞を入れることが自分は多いです。(または照れ隠しで)
長嶋さんは本作にまつわるインタビューで「文学的と言えないような題材で描いてみようと思った。そこにしか文学はない」的なことをおっしゃってました。うろ覚えですが。

「ラブホテル」
相米慎二監督の映画です。今日観ました。二度目ですがラストシーン以外全て忘れてました。
今の視点から観ると「ジェンダー観が古い」「レイプファンタジー」と言わざるを得ない箇所が多いですが、それ以上に生々しいショットとその中に生きる役者陣の「生」のエネルギーがはみ出ている感じがして、すごい迫力でした。エキセントリックで自己中な人しか出てこないのに「こういう人いそう」と思わせるリアリティがありました。
寺田農さんの嬉しいzoomトークショー付きで、撮影時のエピソードがとても面白かったのと同時に、相米監督のあまりの破天荒さに「もうこういう映画作りはできないんだろうなあ」とも思いました。

今週はこんな感じで終わります。もう少しちゃんと文章を練りたいです。
私の「書くことの練習の場」なので!!!

ここ数年「台本が遅れていいことなど一つもない」と肝に銘じていますが、
「勢いだけの文章を書き続けても意味がない」
という言葉も肝に銘じてみようと思います。

書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け!!!!

お疲れ様でした。

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