【短編】『鈴蘭燈と長椅子-樫井子爵家騒乱ノ記-』


「あれ、傑作だ! いつの世も人間てぇのは、いい見世物さね!」

 新時代の風薫る大正の世にありましたるは、樫井なる華族の子爵家。祖父・宗右衛門が内証の別邸にてひめやかに織りなされるは破廉恥至極のお家騒動。

 次男と女中の駆け落ち遊びに、長女を得んと長男が廻らす謀略。

 語り部は騒乱の証人たる鈴蘭燈と長椅子。
 この物が人を語る滑稽な見世物を、さあさとくとご覧あそばせ。

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2014年に同人誌で発表した2万字程度の短編です。
こんぽたいむ(月額300円)のご購入でもお読み頂けます。
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鈴蘭燈


「まぁ、ゆうさん。これは一体なぁに?」

 それが彼女がわたくしに発した、第一声でございました。
 長椅子(そおふぁ)に寝ころびながら、彼女は世の人より幾ばくか大きな黒目をくりくりさせて、わたくしを眺めまわしました。その遠慮のなさたるや教養の無さが窺えるものでしたが、純真な好奇心に輝くその瞳に、自然と好感を抱きました。
 ばたん、と誰かが戸を開け部屋の中に入ってきました。その人物は頭を濡らす雨粒を大判の手拭いで乱雑に払いながら、長椅子に腰かけて、同じくわたくしを覗き込みました。
 その方こそわたくしを当時所有していた樫井家のご次男、右三郎様でありました。


「これは鈴蘭燈さ」
「すずらんとう?」
「最近じゃあ通りなんかにも増えたろう? 傘が鈴蘭の形をした街燈が。うちのじいさん、あれを甚く気に入ってね。卓上に置く物を欲しがって、小樽のびぃどろ職人に作らせたのさ」
「ゆうさん、お祖父さんがハイカラだったって話、よくするものねぇ。このお部屋も、見たことない物ばっかり」

 彼女はそう言って、わたくしを凝視していた双眸を四方に向けました。
 わたくしの置かれているのは亡き右三郎様のお爺様、宗右衛門様の書斎でございました。お爺様は本邸の別に、鎌倉に内証の別宅を作り、よくその書斎に籠っておいででした。と、申しますのもお爺様の度を過ぎた西洋趣味は誰にも理解されなかったので、好きなものを詰め込んだこの別宅で、孤独に浪漫に耽ったものでした。
 壁一面に広がる金唐革紙の薄い藤色に、足首まで覆う毛氈の濃い緋色。黒檀材で揃えた調度はいずれも、欧州から取り寄せた一級品。その他にも、数々の舶来品――活動女優の写真や、油絵具の絵画、切り細工を施された玻璃の洋盃(こっぷ)一揃いに、秀麗な彫金を誇る天体望遠鏡――そういったものが宗右衛門様の美意識によって配列されておりました。

「そうさ、じいさんの蒐集欲たら気違いのそれだったからな。金に糸目はつけなかったよ。この長椅子だって、お前がカフェエで働く給金の何十倍もするんだぜ」

 その時右三郎様と彼女の腰かけていた猫足の長椅子は、とりわけ宗右衛門様のお気に召しておりました。世話をさせるために雇った若い女中と一緒に、その上でお戯れになること数知れず……長椅子に張られた金の天鵞絨に、当時の形跡が浅黒く残っているほどでした。

「やだ、おっかない」

 彼女は体を起こそうとしましたが、既に右三郎様がその上に覆いかぶさって、彼女の足に自らのそれを絡めてしまいます。真上から自分を見つめる右三郎様の視線をかわして、彼女は意図した無邪気さで話し続けました。

「これはどうやって灯りを点けるの?」

 そう言いながら、彼女の右手がわたくしの花弁をそうっと撫でました。
 その長椅子の傍らに置かれた小型の卓に、わたくしは置かれておりました。

「それが点かないのさ」
「あら、洋燈(らんぷ)のようなものじゃないの?」
「いや、そのつもりだったんだがね、設計の際不備があったらしい。だがじいさんは意匠がすっかり気に入って、手直しさせる前に持って帰ってきちまったのさ」

 今度は右三郎様がわたくしの花弁を指先でなぞりました。外の雨のせいでまだ湿っておられたのか、触られたところから吸い付いてくるような感触でした。

「じいさんの気持ちもわかるがね……こいつは実に美しい。五つの花弁がそれぞれ色の違ったびぃどろで、隣り合ったもの同士で少しずつ色合いが移っていくようなのがまた絶妙だ。支柱のしなやかな湾曲具合に、台座に細やかに彫り込まれている草花……全く、見事だよ」

 そのお褒めの言葉は、宗右衛門様のそれと全く違わぬ文句でありました。何を隠そう、右三郎様はお爺様の唯一の理解者で、お二人は揃って西洋文化に傾倒されておいででした。他の方には存在も知らせていないこの別宅に、お爺様はよく右三郎様をこっそり連れて来たものです。今わの際にお爺様からこの別宅の鍵を託されたのは、右三郎様だけでありました。

「でも……」

 右三郎様の陶然とした様子を知ってか知らずか、彼女はぽつりとこぼしました。

「洋燈なのに灯りを点けることが出来ないなんて、なんだか悲しいわ」

 しみじみとしたその言葉に、右三郎様はせせら笑うように言いました。

「悲しい? お前はまたおかしなことを言うね、かすみ。灯りの点かない洋
燈だって、これだけ目を楽しませることが出来れば上等じゃないか」

 断言めいた響きを持つ右三郎様の言葉に、彼女――かすみさんは目を伏せて続けました。

「そうかしら……。だって灯りに大切なことは、ちゃあんと明るく光ることでしょう?」

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