4 クラスCのコンパクト複素多様体について

クラスCコンパクト複素多様体は、正確には、Fujiki-Class Cと言われる。その名の通り、藤木先生が最初に定義した多様体である。現在では、クラスCコンパクト複素多様体は、コンパクトケーラー多様体と双有理同値なコンパクト複素多様体と定義されるが、もともとは、コンパクトケーラー多様体の正則写像による像としてクラスCは定義された。この二つの定義の同値性が証明されたのは、すこし後になってからである。双有理写像というのは、代数幾何学において扱われる変換であり、基本的には代数的な操作である。一方で、正則写像というのは、基本的には解析的な操作である。解析的な操作で定義されるコンパクト複素多様体が、代数的な操作で得られるというのは、かなり不思議なことだと思う。この辺のつながりは、現在でも未知だと筆者は思っているが、今回はこのあたりの様子をすこし述べてみよう。

まず、次の事実に注意しよう。

定理4-1
任意のコンパクトケーラー多様体に対して、それと双有理同値な非ケーラークラスC多様体が存在する。

 これは、広中の例と言われている。コンパクトケーラー多様体は、部分多様体をあまり持たないことがあるので、まず一点ブローアップをして、部分多様体を作り出し、広中の構成法にしたがって、proper modificationを作るのである。定理4-1によって、非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は豊富に存在することがわかる。非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は、何回かブローアップを施すと、コンパクトケーラー多様体になることが知られている。これはどうしてかというと、コンパクトケーラー多様体からの正則像というのは、domainとtargetを適切にブローアップすることにより、コンパクトケーラー多様体からのflat morphismに持ち上がるからである。コンパクトケーラー多様体のflat morphismによる像はケーラー多様体になることが知られている。したがって、flat morphismのtargetとなるコンパクト複素多様体はケーラーであり、求める結果を得る。

 ちなみに、余談であるが、広中の例で構成される非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は、一度のブローアップでコンパクトケーラー多様体にできると思われる。具体的には、定理4-1で得られるクラスCのコンパクト複素多様体は、可縮な曲線を含む。そういった曲線の存在が、ケーラー多様体への障害になるのであるが、この曲線を中心とするブローアップを施すと、考えている非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は、ケーラー多様体になると、筆者は考えている。小さな問題だけど、あまり手の付けられていない問題なので、興味のある読者は考えてみられてはいかがだろうか。

クラスCのコンパクト複素多様体が、実際には、コンパクトケーラー多様体の双有理変換で得られることが明らかになり、つまるところ、クラスCのコンパクト複素多様体はコンパクトケーラー多様体に代数的な操作を施すことにより得られる複素多様体に過ぎないため、クラスCの研究は下火になったようである。
ただ、代数幾何学的には、クラスCとケーラー多様体は同じものと思えるのかもしれないが、もともとクラスCは解析的に定義されたので、当然解析的にはケーラー多様体と大きく性質が異なると考えることもできる。実際、当たり前だがコンパクトケーラー多様体の正則像をブローアップすることにより、もとのコンパクトケーラー多様体が得られるわけではない。例えば、あるクラスCのコンパクト複素多様体をブローアップすることにより、複素トーラスが得られるということはない。また、前回にも述べたように、クラスCのコンパクト複素多様体は複素構造の微小変形で安定ではない。複素構造というものを考えると、非ケーラークラスCとケーラー多様体は大きく異なると考えられる。いくつか結果を述べてみよう。
まず非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は、ケーラーカレントと呼ばれるカレントで特徴づけられることが知られている。正確な定義は次のようになる。

定義4-2
あるエルミート計量$${\omega}$$によって、正数$${\epsilon}$$を用いて下からおさえられる閉$${(1,1)}$$カレント、つまり、$${T \geq \epsilon \omega, dT = 0}$$となるカレントをケーラーカレントという。

非ケーラークラスCは何度かブローアップを施すと、ケーラー多様体になると述べた。ケーラーカレントは、考えているコンパクト複素多様体を適切にブローアップすることにより。ケーラーカレントの引き戻しの定義するコホモロジー類には、ケーラー計量が存在する。このように、クラスCというのは、ケーラーカレントを使って、解析的にも定義することができる。
代数幾何学では、ネフという概念がある。これの解析的な定義は次のようになる。

 定義4-3
コホモロジー類$${\{\alpha\} \in H_{\partial \bar \partial}^{1,1}(X)}$$を考える。$${\{\alpha\}}$$が、任意の正数$${\epsilon > 0}$$に対して、$${\alpha_\epsilon = \alpha + i \partial \bar{\partial} \phi_{\epsilon} \in {\{\alpha\}} , \alpha_{\epsilon} > - \epsilon \omega}$$となる代表元$${\alpha_{\epsilon}}$$を持つとき、コホモロジー類$${\{\alpha\}}$$はネフという。

ネフとはnumerically effectiveの略語で、数値的正と、代数幾何学ではよばれることもある。定義に出てきたコホモロジー群、$${H_{\partial \bar \partial}^{1,1}(X)}$$はBott-Chernコホモロジーと呼ばれるもので、次回以降、解説したいと思うが、興味のある読者は調べてもらいたい。考えている多様体$${X}$$がコンパクトケーラー多様体のとき、Bott-Chernコホモロジー群は、ドルボーコホモロジー群と同型になる。

ある種のネフコホモロジー類が存在するとき、考えているコンパクト複素多様体はクラスCになるという予想がある。

予想4-4
ネフかつ$${\int_{X} \alpha^n > 0}$$な閉微分形式により代表されるコホモロジー類$${\{\alpha\}}$$はbig、すなわちケーラーカレントにより代表されるであろう。

 特殊なエルミート計量が存在する場合、予想4-4が成立したりするが、完全な解決には程遠い地点にあると思われる。この予想の根拠として、次の定理が知られている。

定理4-5
クラスCのコンパクト複素多様体を考える。その時、予想4-4が成立する。

これはDemaillyの結果である。証明はそれほど難しくなかったような気がする。ケーラーカレントの研究の端緒となったような定理なので、興味のある読者は調べてもらいたい。

ケーラーカレント$${T}$$は、多重劣調和関数$${\psi}$$を使って、次のように具体的に式で書くことができる。

$$
T = \alpha + i \partial \bar{\partial} \psi.
$$

ここで、$${\alpha}$$は半正ともネフとも限らない微分形式である。このように定式化できるので、カレントにも関わらず、正則写像により引き戻すことができることもあり、深い研究がなされ、現在も進行中である。多重劣調和関数は、一般には複雑な特異性を示すが、Demaillyの近似定理により、特異点の集合を解析集合とする多重劣調和関数により近似することができる。ケーラーカレントは正値性をもつが、この条件を弱めて、半正な閉$${(1,1)}$$カレントを考えることもできる。予想4-4に関連して、次の予想もあるが、未解決である。

予想4-6
$${T}$$を半正かつ、解析的特異性をもつ閉$${(1,1)}$$カレントとしよう。$${T}$$の絶対連続部分$${T_c}$$のウェッジ積は、$${T_{c}^n \neq 0}$$を満たすと仮定する。この時、$${T}$$の定義するコホモロジー類は、bigであろう。

 コンパクト複素多様体がコンパクトケーラー多様体からの正則写像の像であるとすると、予想4-4や予想4-6が成立することは、Demaillyたちの結果により、すぐにわかるのであるが、そういった正則写像の存在を仮定しないと、予想4-4や予想4-6はとても難しい問題なのであろう。なお、筆者は知らないが、クラスCをMoishezon多様体と仮定した場合、類似の予想は代数幾何学の言葉に書き換えられて、比較的よく理解されているのかもしれない。興味のある読者は調べてもらいたい。

 最後に、クラスC多様体の複素構造の変形について、私見を述べよう。クラスCのコンパクト複素多様体は、複素構造の微小変形に関して安定ではない。その例はツイスター空間を使うことにより構成される。クラスCのツイスター空間は、すべてMoishezon多様体である。筆者はあまり知らないのであるが、これらのツイスター空間は、位相的には射影平面の連結和の滑らかな$${\mathbb{P}^1}$$束になっているようである。定理4-1で述べた広中の例と比べると、非常に自然に構成された非ケーラーMoishezon多様体であると言えよう。これらのMoishezon多様体が複素構造の微小変形で壊れる例は、Campanaにより与えられた。その論は、Moishezonツイスター空間の代数次元が、複素構造の微小変形で下がってしまうことがあり、代数次元の下がった非ケーラーとなるツイスター空間に微小変形する例を与えるというものである。ツイスター空間でクラスC多様体はすべてMoishezon多様体であることが知られているので、この複素構造の微小変形で得られたツイスター空間は、非クラスCとなるのである。

これらのMoishezon多様体が複素構造の微小変形で壊れたのは、ツイスター空間だからとは筆者は思わない。アーベル多様体に微小変形を施すと、部分多様体を一切持たない複素トーラスになってしまうように、一般に複素構造を微小変形すると、部分多様体が消えてしまったりする。クラスCのコンパクト複素多様体は、必ず部分多様体を持たねばならず、それが、ケーラー多様体への障害であったりするのだが、複素構造の微小変形でそれらの部分多様体が消えてしまっても、カレントとしてケーラー多様体への障害が残る可能性があるのである。したがって、筆者は、クラスCのコンパクト複素多様体が複素構造の微小変形で壊れてしまうことは、そんなに多くはないとしても、それなりに存在するのではないかと思うのである。

以上、いささかみっともない私見で今回の記事を終わりたいと思う。読者はどう思われただろうか。非ケーラーの世界も、解析的に深い事実と関わり合いがあるようである。ただ、今回、クラスC多様体の解析的な研究を述べたが、定理4-1の方法で得られる以外の、非MoishezonのクラスC多様体の例が見つかっていないということである。ツイスター空間のように扱いやすい非MoishezonのクラスC多様体の例を見つけることは喫緊の課題だと思われる。何か方法はないものだろうか。


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