1 複素多様体の計量について

今回の記事から本論を述べる。いろいろと考えたが、以下、述べる事実に対して、証明はほとんど書かないことにする。この小論を読んで、勉強する人は皆無だと思うので、読み物風に述べたほうが、読者にとっても面白いと考えるからである。もし、気になった記述などがあれば、論文等を参照してもらえるとありがたい。

以後、$${X}$$と書いて、コンパクト複素多様体とする。今回の記事では、計量について述べたい。計量とは、幾何学的量を計算するための基本情報である。つまりリーマン計量のことであるが、複素多様体では、複素構造に馴染む計量を考えるのが自然である。それをエルミート計量という。エルミートというのは、もちろんエルミート内積の名前からきている。エルミート内積というのは、複素ベクトル空間に自然に定まる内積であり、エルミート計量が、複素多様体の計量として自然なのはわかりやすいであろう。さらに複素多様体の場合、エルミート計量と、それから自然に定まる微分形式とを同一視して考えるのが便利である。そこで、改めて、エルミート計量を以下のように定義しよう。

定義1-1
複素構造$${J}$$を保つリーマン計量$${h}$$、つまり任意の接ベクトル$${u,v}$$に対して、$${h(u,v)=h(Ju,Jv)}$$となるとき、$${h}$$をエルミート計量と呼ぶ。

この定義から、上述のエルミート計量の定義が出てくるのは、明らかであろう。このエルミート計量から、$${\phi(u,v) = h(u,Jv)}$$と定義された$${\phi}$$が実微分形式となるのは容易にわかる。これをエルミート形式という。またエルミート形式、つまり、正値(1,1)形式からエルミート計量を導くこともできるので、エルミート計量を与えることとエルミート形式を与えることが同値である。したがって、今後、エルミート形式のこともエルミート計量と呼ぶことにする。
エルミート計量を微分形式で表現することにより、ある種のエルミート計量の存在が、コンパクト複素多様体のトポロジーに、何がしか縛りを与えるかもしれないというのは、容易に想像がつくであろう。今回の記事では、そういったエルミート計量により、コンパクト複素多様体が大まかに類別されることを見てみようと思う。

まず、ケーラー計量というのは、よく知られていると思う。いわゆる、閉じたエルミート計量のことである。ケーラー計量をもつコンパクト複素多様体の例は豊富にあり、射影代数多様体はすべてケーラー計量を持つ。複素射影空間がケーラー計量を持つので、その部分多様体はすべてケーラー計量をもつという算段である。余談であるが、複素射影空間は、$${\mathbb{C}^n}$$のコンパクト化であり、ケーラー計量を持つことは何となく自明に思ってしまうが、$${\mathbb{C}^n}$$のすべてのコンパクト化がケーラー計量を持つわけではないことが知られている。$${\mathbb{C}^n}$$のコンパクト化は複素射影空間と同様、多くの部分多様体をもつ、つまり、Moishezon多様体になると推察されるが、その辺はまだよくわかってないようである。
ケーラー計量の存在は、考えているコンパクト複素多様体のトポロジーに大きな制限を与える。ケーラー計量の定義からはよく分からないが、ケーラー計量が存在すると、複素構造によりいくつか定義されるラプラシアンを統一することができる。この結果、以下のように、考えているコンパクト複素多様体のホッジ分解、ホッジ対称性を導くことができる。

$$
H^{r}(X,\mathbb{C})=\bigoplus_{p+q=r}H^{p,q}(X)\\
{\bar{H}^{q,p}(X)} = H^{p,q}(X) 
$$

この結果から、例えば、一次のベッチ数が奇数となるようなコンパクトケーラー多様体は存在しないことが分かる。コンパクトケーラー多様体のトポロジーはケーラー計量の存在により、大きく制約を受けることがわかるであろう。ちなみに、ホッジ分解とホッジ対称性が成り立つコンパクト複素多様体はケーラー多様体になるのか気になるが、実は、$${\partial\bar{\partial}}$$lemmaの成り立つコンパクト複素多様体は、ホッジ分解とホッジ対称性の成り立ち、さらにその上でケーラー計量の入らないものの存在が知られている。$${\partial\bar{\partial}}$$lemmaの成り立つコンパクト複素多様体を今後$${\partial\bar{\partial}}$$多様体という。

次に非ケーラー計量について述べる。

まず、co-closedなエルミート計量をbalanced計量と呼ぶ。名前の由来は筆者は知らない。数式では次のように書ける。

定義1-2

$$
d\omega^{n-1} = 0
$$

ここで$${\omega}$$はエルミート計量で、$${n}$$は複素次元である。コンパクトケーラー多様体は、自明にbalanced多様体であるが、ケーラー計量の入らないbalanced多様体はたくさん存在する。例えば、今後、述べる予定である、クラスCのコンパクト複素多様体、つまり、コンパクトケーラー多様体と双有理同値なコンパクト複素多様体は、すべてbalanced計量をもつ。この事実は自明ではないので少し触れると、balanced構造は双有理変換で安定であり、コンパクトケーラー多様体と双有理同値であるクラスCのコンパクト複素多様体にbalanced計量が入るという算段である。この事実をきちんと示すには、かなりの議論が必要である。それはbalanced構造の存在によるトポロジーの制約につながる議論なので、次回以降、述べる予定である。
また、非ケーラー多様体の研究で先行した、ツイスター空間はすべてbalanced計量をもつことにも注意しておこう。

balanced構造の入らないコンパクト複素多様体も存在する。balanced計量のさらに外枠に、strongly Gauduchon計量というのがある。命名はD.Popoviciによる。すべてのコンパクト複素多様体に存在するGauduchon計量よりもやや強めた条件なので、こういった呼び名になったようである。正確な定義を述べよう。

定義1-3

$$
\partial\omega^{n-1} = \bar\partial\eta
$$

記号の意味は定義1-2と同様である。$${\eta}$$は適切な微分形式である。strongly Gauduchon多様体の例は、最初、ツイスター空間の微小変形として与えられた。その後、冪零多様体や可解多様体で散発的に例が見つかっている。また、strongly Gauduchon構造の入らない例も見つかっている。例えば、ホップ多様体にはstrongly Gauduchon構造は入らない。これは、ホップ多様体のトポロジーから言えることであるが、詳しくは次回以降の解説に回したい。ちなみに、筆者は、strongly Gauduchon多様体は、すべてbalanced多様体の複素構造の微小変形で得られるのではないかと考えたが、まだ証明できていない。いわゆる小平予想の真似である。あまり難しい問題ではないように思えるので、興味のある方は挑戦されてはいかがだろうか。

以上、コンパクト複素多様体に入る計量について述べてみた。述べたりないことも多いが、長くなったので、次回以降に回したいと思う。なお、ここには書いてない非ケーラー計量もいくつかある。定義することは簡単なので、もし興味のある読者は、自身で非ケーラー計量を定義してみてほしい。

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