2 複素幾何学におけるPositivityについて

Positivity in Algebraic Geometryという有名な代数幾何学のテキストがある。筆者はこのテキストを読んだことはないが、Positivityについては、思い入れがある。このテキストと同様の意味において筆者がPositivityを考えているのか不明だが、筆者が思うに、代数幾何学や複素幾何学では、Positivityという性質が重要な役割を果たすことが多い。今回はこれらの事実について眺めてみよう。

以下$${X}$$をコンパクト複素多様体とし、$${\omega}$$をエルミート計量とする。前回述べたが、閉じたエルミート計量をもつコンパクト複素多様体を、コンパクトケーラー多様体という。ここで、ただ単なる閉じた$${(1,1)}$$形式では、存在しても複素幾何学としていえることはあまりない。あくまで正値の$${(1,1)}$$形式を考えることが重要なのである。正値でないと、エルミート計量にならないので当たり前かもしれないが、ここで、エルミート計量の性質をちょっと弱めて、半正な閉$${(1,1)}$$形式、つまり$${\omega \geq 0}$$で、$${\omega^n \neq 0}$$なる閉微分形式が存在する場合、考えているコンパクト複素多様体の複素構造になにがしか影響があるのではないかと考えることは自然であると思われている。こういった、正値な微分形式を考えることは、代数幾何学では、部分多様体を考えることにあたるのであるが、一般のコンパクト複素多様体の場合、部分多様体をあまり持たないので、したがって、正値、あるいは半正な微分形式が複素構造にどういった影響を与えるのか考えるのであろう。

 ここでは以下で重要となる実カレントの正値性について、正確に定義しておこう。

定義2-1
実$${(p,p)}$$カレント$${T}$$が正値(半正)であるとは、$${X}$$上の任意の$${\eta \in A^{(n-p,0)}(X)}$$に対して、

$$
(\sqrt{-1})^{p(n-p)}T(\eta \wedge \bar{\eta}) > 0 (\geq 0)  ,
$$

が成り立つことである。

 定義2-1はカレントの正値性であるが、微分形式の正値性についても同様に定義できる。正値性を考えることはとても意義があるので、正値性をもつ特異性を許したカレントの存在を考えることも多い。例えば、次の命題をご存じの読者もいるのではないだろうか。

 定理2-2
コンパクト複素多様体がクラスCであることと、その上にケーラーカレントが存在することは同値である。

 これはDemaillyの結果である。ケーラーカレントとは、特異性をもったケーラー計量、つまり、正値の閉$${(1,1)}$$カレントのことである。非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は、コンパクトケーラー多様体をちょっと変な風にmodifyしたというイメージである。

定理2-2において、考えているコンパクト複素多様体がクラスCであれば、ケーラーカレントが存在することは自明である。つまり非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体は何回かブローアップすると、コンパクトケーラー多様体になるのであるが、このケーラー計量を、もとのクラスCコンパクト複素多様体にpush-forwardすれば、それがケーラーカレントである。逆もそれほど難しくはない。概略だけ述べる。コンパクト複素多様体上にケーラーカレントが存在すると仮定しよう。ここで多重劣調和関数は、一般に複雑な特異性をもつが、Demaillyの近似定理により、解析的特異性、つまり、特異集合が解析集合になるような多重劣調和関数により近似できるという事実を使う。したがって、ケーラーカレントは、解析的特異性をもつ多重劣調和関数により、次の様に書くことができる。

$$
T=\alpha + i \partial\bar{\partial}\psi.
$$

ここで$${\alpha}$$は微分形式、$${\psi}$$は解析的特異性をもつ多重劣調和関数である。ケーラーカレントはこのように記述できるので、カレントにも関わらず、正則写像による引き戻しも定義できる。ここでDemaillyの結果を使うことにより、あるproper modifiation$${\mu}$$が存在して、その引き戻しにより、ケーラーカレントを次のようにmodifyすることができる。

$$
\mu^{*}T=\lambda [D] + \alpha,\lambda > 0.
$$

ここで$${D}$$はdivisorであり、$${\alpha}$$は半正の$${(1,1)}$$微分形式である。proper modificationは有限回のブローアップの合成として記述できるので、ブローアップの性質を使うことにより、$${\mu^{*}T}$$のコホモロジー類にケーラー計量を構成することができる。したがって、コンパクト複素多様体にケーラーカレントが存在したら、それはクラスCであると結論できるのである。

非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体というのは、滑らかな部分多様体を中心とするブローアップを繰り返すことによりケーラー多様体にすることができるので、特に、必ず、部分多様体をもつことに注意する。部分多様体を一切持たないコンパクトケーラー多様体が存在しうることに対して、非ケーラークラスCはこの点が影響して、コンパクトケーラー多様体とは違う性質を持ちえると筆者は考えている。まだはっきりとわかっているわけではないが、非ケーラークラスCではケーラー構造への障害が部分多様体として存在すると考えられるのである。例えば、コンパクトケーラー多様体は複素構造の微小変形でケーラー構造は壊れないが、非ケーラークラスCのコンパクト複素多様体の中には、複素構造の微小変形により、クラスC性が壊れた非ケーラー多様体になることがある。これはケーラー性とクラスC性の大きな違いである。
クラスCの多様体でも、特に、射影代数多様体と双有理同値になるコンパクト複素多様体をMoishezon多様体という。クラスCのコンパクト複素多様体については、次回以降、触れることにする。

 複素幾何学においてPositivityは、良い構造を導いたりもするが、非ケーラークラスCのところでもちょっと触れたように、変なPositivityがある種の幾何構造の存在の障害になったりすることもある。例えば、ホップ多様体を見てみよう。ホップ多様体には、Divisorがたくさんある。Divisorは半正の閉$${(1,1)}$$カレントを定義するが、ホップ多様体は二次のベッチ数が0のため、このカレントはboundaryとなる。こういった、いわゆるboundaryとなるような半正閉$${(1,1)}$$カレントの存在は、複素多様体の構造としては、変なものが入っているというイメージで、こういった部分多様体の存在が、ある種の幾何構造の存在にたいする障害になったりすることが知られている。前回、balanced多様体やstrongly Gauduchon多様体のトポロジーの縛りがあると述べた。これはちょっと言い過ぎで、複素構造の絡まないトポロジーの存在から何かが言えるわけではなくて、複素部分多様体のトポロジーが、複素多様体の幾何構造に制約を加えることがあるということである。例えば、strongly Gauduchon多様体への障害については、次の定理が知られている。

 定理2-3
$${X}$$にboundaryとなる半正閉$${(1,1)}$$カレントが存在することと、$${X}$$にstrongly Gauduchon構造の入らないことは、同値である。

 この定理から、ホップ多様体にはstrongly Gauduchon計量の入らないことがわかる。したがってbalanced計量も入りえない。ホップ多様体のトポロジーから、Divisorを持つだけで、幾何構造に大きな影響があるのは、現在の立場で見ても、まだ不思議な感じがするのは筆者だけであろうか。ちなみに、もっと高次の半正閉カレントでboundaryとなるものが存在しても、strongly Gauduchon構造の障害とはならない。つまり、もっと低次元の部分多様体で変なのが存在しても、それがstrongly Gauduchon構造の障害になったりすることはないことを示唆している。

定理2-3のように、幾何構造の存在に対する障害をカレントとしてとらえることにより、幾何構造のproper modificationによる安定性を論じることが可能になる。次の定理が知られている。

 定理2-4
strongly Gauduchon多様体と双有理同値なコンパクト複素多様体は、strongly Gauduchon多様体である。

 同じことの繰り返しになるので、省略するが、balanced構造もproper modificationによる安定性をもつ。したがって、balanced多様体が一つあれば、ブローアップを繰り返すことにより、異なるbalanced多様体をいくらでも作り出すことができる。これらの事実から、balanced構造やstrongly Gauduchon構造は、部分多様体の付け替えくらいでは壊れないイメージを持ってしまうが、重要なのは、proper modficationは正則写像であり、なんでもかんでものmodify、つまり、単なる部分多様体の付け替えだけでは、当然、balanced構造やstrongly Gauduchon構造が壊れてしまうこともあると筆者は考えている。おそらく、何らかの結果が知られているであろうが、筆者は知らない。興味のある読者は調べてもらうといいと思う。

 以上、複素幾何学において、Positiviyが複素構造にどういう影響を与えるのか眺めてみた。直感的な説明が多いので、いささかわかりにくかったかもしれないが、正確な証明などは、arXiv.comから入手できるので、気になった事柄があれば、調べてもらえるとありがたい。Positive currentの話など、この記事一つで説明できるほど底の浅いものではないので、今後も折を見て、述べていきたいと思う。


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