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現在・過去・未来(渡辺真知子「迷い道」より)

情報と情勢につい振り回される

「武漢が閉鎖されたからパパ1週間休み伸びたらしいよ」
「ゆきちゃん(妹)の受験だから、いてくれるのちょうどいいんじゃん?」
1月末、上海勤務の父が旧正月で日本に帰ってきて、1週間・2週間・1か月と、中国へ戻れなくなったところから我が家の新型コロナの話題は始まる。

それまでは、中国で大変なことになってるな…父大丈夫かな…くらいで、
休校要請・イベント自粛・他国の情勢悪化・渡航禁止・経済活動の停止。
本音のところ、こんなに大きなコトになるとは思っていなかった。

新型コロナの一件に対して、私はものすごく、中途半端な立ち位置だ。色んな方々が、オンラインの教育機会提供や居場所作りに奔走している傍ら、私は「何かできることはあるのかな」「なにやればいいかな」「そもそもなにしたいんだろ」の3点をワン・ツー・スリーとぐるぐるしている。
すぐに"反応"するにはちょっと遠くて、"反応"しないには気になる情報が入ってきすぎる。

世の中は、批判・批評が多すぎる、と文句を言っておきながら、
私がいちばん、問題の外にいようとしているのかもしれない。
「他の惑星から見たら今の地球の状況ってどう見えるのだろうか」
「30年後には、この期間はどのようなものと捉えられるのだろうか」
なんなら空間・時空を超えて逃避しようとしていてびっくりする。笑

何も心が動かないわけでもないけど、これと言って信念を決めてやることが決まるわけでもなく、モヤモヤした気持ちのままで、
2020年3月11日14時46分になった。
島根の事務所で「黙祷しよう」と言い合って、目を瞑った。

沈黙。1分間が長く感じた。

大学生だった2011年3月11日の長い一日のこと、mixiで義援金を募る日記を書くことが私の精一杯だったこと、そこから出会った雄勝・女川の人たちのこと、小学生だった9.11のときの記憶、そこからたくさんの時間が経って今、島根にいること。

過去に思いを巡らせて、今に戻ってきたとき、
色んな感情が戻ってきた。
相方の香に話したくなって、slackに過去と今の気持ちを書きなぐったら、
香からも同じ厚みで返事が返ってきた。どうやら同じくもやもやしていたみたいだ。

ちょっとだけ、今起こっているコトと自分の外側のコトに目を向けすぎて、疲れていたのかもしれない。

「わたしのいま」を言葉にしてみる

週末、香と時間を取って、ここ数週間で印象に残っていることと感じたことを整理する時間を取った。

・東京にトイレットペーパーが本当にない。朝から並ばないと買えないけど並ぶのも恥ずかしい。不安が不安を呼んで消費が正常じゃない。
・「ピンチはチャンス」と行動する人々。オンラインサービスの無料解放のスピード感と量。これはすごいよね。
・非正規雇用・学童・共働き世帯…など見ないようにしてきた「事実」や世の中の「メンタルモデル」が表出してきた瞬間
・有事の変革は変革なりうるか。揺り戻しが起こるのだろうか
・批判、批評がとても多い(目につくだけなのか)感染者の行動をSNSで批判する、ダイアモンドプリンセス号への対応、厚生労働省の対応(自殺者まで…) 
・よくもわるくも、国を超えた地球全体のつながりを感じる機会
・地球上で、関係ない、がない

いま見えていることと感じていること、が言葉にできてはじめて、自分たちの捉え方が整理できてきた。

ひとつめ、今の事象は新型コロナウイルスという一過性の疫病による災害というよりは、コロナをきっかけに、今まで目を向けてこなかった、あるいは、見ないふりをしてきたたくさんの課題が表面上に出てきた機会。それが世の中の騒めきを引き起こしている。社会・国・世界の免疫の不和。
ふたつめ、その免疫の不和に向き合うためには、西洋医学的な投薬や手術によって悪いところのみを解決・排除して直すだけではうまく行かず、東洋医学的に起こってしまった不具合・不和を体全体(世界)を観察しながら、うまく調和していくこと・内側から治療することにヒントがあること。

やっと、考えることが、問いが、地に足がついた気がした。さてと、
「もしも、3年後、人生の学校が作れている状態のわたしたちだったら、何ができるだろうか。やりたいだろうか」
「5月に企画していた春のショートトリップ、ちょっと趣旨を変えてみようか」

今だからこそできる”学び”は?
こういう時こそ、"物語"から学ぼう。

未来のために、過去を遡る

ちょっと話が変わるけど我々compath、特に香さんがここ一か月「日本の歴史」「アイヌの歴史」にハマっている。

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喜んでた無料公開が"宇宙少年"でも"ワンピース"でもなく
"少年少女の日本の歴史"でシュールすぎて笑った

興奮半分に、彼女から聞いたアイヌの世界と哲学がちょっと面白かった。

「強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ。すべてを引き受け、あるいは補いあって生きていく。」

これ『熱源』という小説の中に出てくるアイヌの人の言葉なんだけど、彼ら・彼女たちが大事にしている世界観を表しているなと思った。小説だから実際の言葉かはわからないけど、どのアイヌの本もこれに通ずるものがあった。
共同体の中で、贈与しながら、補い合って生きていくことを大事にしている。だから、”お米”という権力の差をうんでしまうもの(保存がききやすいから)を選択せずに、"狩猟"という(必要な時に必要なものをとる。長期間蓄えられないから一人勝ちできない)ものをベースに生きる道を選んだのかなと思った。(香より@slackのつぶやき)

すべてを引き受け、補いあって生きてゆく。
より多くを手に入れるために境界線を引く世界に慣れてしまった私は、その言葉がしっくりくる世界が正直まだ想像できない。それでも、いま私たちが生きている現代の社会を相対化する上で、アイヌの文化に触れて、いまの自分たちの"無意識"の常識を問い直してみたくなった。

5月4日~6日のゴールデンウィーク中、こんなご時世だから、予定していたショートトリップを中止するか迷いましたが、少人数で、わたしたちの中に流れる物語に想いを馳せ、今感じていることを対話する旅をしようと思っています。(4/12 追記:情勢を鑑みて、ツアーを延期することに決定いたしました。またどこかで開催できたらと思います。)

・アイヌの方の考え方や生き様に触れながら、私たちがいま生きている日本社会の”前提”に好奇心を寄せる 
・春の東川町をぷらぷらと散歩しながら、身体と心を癒す
・自分を豊かにしながら優しい革命をする新田ご夫妻との対話
(テーマは共生社会・都会と地方の優しい繋がり方など)

こんなことを考えていますが、今だからこそ「学びたい」「対話したい」「こんな時間を過ごしたい」を参加者と一緒に決めて、作っても面白いかもしれない。少人数の醍醐味。

まずは小さくてもできるところから。小さなことに大きな愛をこめて。

はー。言語化と消化に2か月もかかってしまった。笑

**おまけ**
タイトルの「現在・過去・未来」は、渡辺真知子さんのデビュー曲「迷い道」という歌の歌詞です。ノーベル科学賞受賞の吉野彰さんが好きな曲で「なぜ過去現在未来じゃないのか?」と違和感を持ち「そうか!まずは現在をしっかり捉えて、過去に遡り、そこから未来を予測することが大事なのか!」と影響を受けた歌詞だと紹介していました。げんざいかこみらーいー

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