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ことのはいけばな 小雪 第58候『虹蔵不見』

 目には見えないが、不意に、たまたま訪れる声なるもの(=音連れ)がある。こうした「ファーストコンタクト」と呼べる現象は名のある宗教家やシャーマンたちばかりではなく、誰にでも確かにあって、不思議な人とか、変わってるとか言われるのであまり表に出さないけど、そういう声に素直になっている方がうまくことが運んだり、心持ちが楽だったりする。そうしたことは竹倉さんのいう通り全く不思議なことでは実はない。声は遍く満ちている。真偽がどうとかではない。「声」を、それぞれがよりよく生きるためのリソースとして捉える。生きるための「資源」であり、これが本当の「資本」で、私たちの軸を作ってくれる。「いずるば」での竹倉史人さんの講演をこんなふうに聴いた。
 植物を扱うことは、彼らと対話することだけど、それは向き合ってというよりも彼らと同じ側に立って、同じ方向を見る感じ。コーマワークに似ていると言ってくれた方がいた。そちら側で、お臍の奥に泉があって、そこに花を立てる。彼らのきた場所と近い場所へ。花を活けることは身体技法であり、活けていると整えられていく。やがて場へも、見てくださる方にも広がっていく。     
 花活けは、背骨があって腰を要に立ち上がることで手足を自由にし、軸を持った回転する身体の振る舞いで、身体と意識の軸とを結び合わせることでもある。それは再生する「みどりの身体」である。植物が媒をしてくれる。真善美をそもそも持っているピュアな生命体を手にすれば、何も考えなくてももう伝わってくるものがある。頭ではなく、身体が、細胞がそれを感知してしまう。細胞同士の混じり合いなので、準備さえ怠らなければ、後は安心してそこに連れて行ってもらうだけだ。翼をもたない人が、飛翔するためのテクネーなのだろう。
2021年11月23日

お客さんが入る前の様子↑↓
仕上げの花を活けていく
竜胆、岩南天、笹、小菊や森で拾った朴葉

渚にて新たな祈りの言霊を結ぶ神籬未来いずるば

紫に染まる葉色に狂い咲き躑躅も菊もとどまりてすぐ

空澄みて虹隠れても水底に緑の鱗片龍の如くに

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