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ことのはいけばな’22 啓蟄 第9候『菜虫化蝶』3・15〜 

花を活けるように、言葉を三十一文字他の器にのせて活ける。はなとことばを立てて相互記譜。七十二候のことのはとはなの旅。


 春の海が見たくなった。最近読んだ岡野弘彦『伊勢国魂を求めて旅した人々』や、渡部泰明『和歌とは何か』、中沢新一『虎山に入る』などからさまざまな影響を受けたから。

 山ねむる山のふもとに海ねむる
 かなしき春の國を旅ゆく(牧水)

 3・11からの動揺は春がやってくるたびで、風土や風景、山河草木国土との乖離がもたらしたものの大きさを感じる。

 箱根を超えて伊豆の海を見に。箱根神社に参拝し、峠を超えて見える伊豆の海。三嶋大社へ立ち寄って、大山祇命[おおやまつみのみこと]、積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、御二柱の神を総じた三嶋大明神[みしまだいみょうじん]にお参り。海と山のせめぎ合いの地。山と海の神様が祀られている。三嶋とは御嶋とのことで、伊豆諸島のことらしい。太平洋プレートとフィリピン海プレートの境目の島々。その突端が富士山だろう。となると諏訪大社みたいにやはり地震や噴火を鎮めるための祈りの場なのかもしれない。

境内には堂々した槇や那岐の木が。
地球は木をつくったのだ。自らの意思として。それは根から幹をを伝って、太陽と会いたくて、宇宙にその葉を広げる。どこまでもどこまでも、その咬合の中から花は生まれ、ついに太陽の魂とマリアージュする。裂け目は開き、躊躇いはつゆほどもない。
飛び散りて愛の果てまでいくは花。種は死であり、誕生なのだ。


日輪は笠雲に散りささくれて犬槙の樹皮柔らかに剥く
 日輪は笠雲に融け露を帯び露を帯び犬槇の肌潮になめされ
この星は青また青し経巡りて半島の先二つある不二
みさきより散乱光の蜃気楼合わせ鏡の不二の山みゆ
はるのうみみさきのへりを左見右見あわせかがみの不二がふたっつ


仙人掌さぼてんや千手観音青くなる
仙人掌せんにんしょう阿弥陀来迎手を合わせ百鬼夜行ともいわむとするか
さぼてんのみどり色なす両生るいクチクラ照らす春の海かも

白骨も嬰児も住ますビャクシンの磯の香りや懐かしく聞く
小さ子のそこここにいて大瀬崎つぶらな石群れ巨人寄せるか
しらほねのよじれ曲がるは転生の痕残しけむ虹色の蛇
戻るのを押しとどめんとサイレント丸石累々転がっている
穏やかに残波葉となり口々に巻き戻りたし海月なす海


ざらざらと晒され苔もつかぬゆえ大瀬崎とふ荒野で笑う
この裏の誰かの何かを隠しをりただ浴びる陽と寄せる波音

ねいきをきいて

不眠の夜
静かな夜
さっきは地震があった

ねえ、生きている?
ねいききこえる

ねえ、生きている?
ほのかなぬくみ

ねえ、生きている?
ゆびさきふれる

布団の下闇を縫って
小指のその先爪にたどりつく。

白くてかたくて
小さくてまるい

死んでしまったら
爪はしばらく残るだろう

そうして白く光っている

息はつき
血は澱み
冷たく硬っていくとしても

爪はのび
あくまでうすく うすく反り
そうして白く光っている

月明かりすらうつして

ねえ
いきている?
ねぇ

ひつそりとエロスとタナトス一代の賽の河原は連理のたもと
海風に晒されし季の真葛さねかずら生々しい手で触れてくれるな
翁とふ生まれ変わりのその極にみどりいろなす於母影は立つ


みがかれし大角鹿の片つのの童子の舞にざわめきの森

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