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Vol. 16 2024年10月 時事レポート「祖国を捨てて海外脱出する中国人富裕層」 by 大伴審一郎

昨今、街で観光客ではない中国人が増えたと思ったことはないだろうか?これは気のせいではなく、在留資格を得て日本に居住し、長期滞在する中国人が増えているためである。このような現象は、日本だけで起きているものではなく、いま中国人が続々と祖国を離れて海外へ移住している実態が確認されている。

では、いったいどんな人たちが、どんな理由で中国を脱出しているのだろうか?ここ数年、従来とは違う、新しいタイプの中国人が日本へ移住するようになってきた。都内のタワーマンションを“爆買い”したり、インターナショナルスクールに子どもを入れたりと、中国人富裕層や、言論や表現の自由を求める知識人・文化人が中国を離れ、日本に移り住むケースが増えている。

こうした経済的に余裕のある中国脱出組に特に人気なのが、外国人企業経営者向けの在留資格「経営・管理ビザ」である。法務省が発表する在留外国人統計によると、日本でこのビザを保有する中国人は2022年6月に約1.4万人だったのが、2023年6月は約1.8万人になった。約23%増というのは、これまでにない急な増え方である。

写真:Canva.com/leungchopan

1. 中国人が海外へ移住する~「潤」

「潤」とは、先進国など、より豊かな国へ移住することである。「潤」の字を中国の発音で表記すると「run」であることから、原義の「潤う」と英語の「run(逃げる)」でダブル・ミーニングとなっており、お金を稼ぐ(潤う)ために海外で働くというだけでなく、国内の状況悪化に伴い海外へ逃げ出すというニュアンスがある。

本格的に流行するようになったのは、2022年に上海で厳しいロックダウンが実施されて以降である。さらに、中国政治の強権化と経済の減速が鮮明になってきたことも「潤」を加速させる要因となっている。

また、「潤」の考え方を体系的に学んだり、具体的な方法を研究することを意味する「潤学」という学問があり、それを実践する有志によってまとめられた「潤学綱領」という規範には、「潤は中国人にとって唯一の真の宗教であり、唯一の真の哲学といえる。それは物理的な救済を信じる宗教であり、その実質的な価値は、精神的な救済を追求するキリスト教徒に匹敵するものである。潤の人たちはまだ潤していない人たちを助けることを喜びとし、彼らを現実の『地獄』から救う」と謳っている。

中国の人口、およそ14億人あまりのうち、年収12万人民元(約244万円)超が1億人ほどおり、そのうち約1000万人が「情報封鎖」を突破し、外部ネットワークにアクセスする条件を備えていると言われる。そこから200万人の特権階級や既得利益者を除くと、およそ800万人が潜在的な「潤」だと推計されている。

今後「潤」は、ますます加速していくと予測されることから、日本がこうした人々をどのように受け入れるのか考える上でも、世界の趨勢と中国人の日本国内の動向を把握することが不可欠である。

2. 中国人が祖国脱出を図る理由

そもそも中国は恒常的な移民排出国である。かつては貧困から逃れるため、多くの貧困層が海外を目指した。25年ほど前は不法入国、不法残留といえば中国人だったわけであるが、その後の経済発展に伴い、2010年頃の移出者数は歴史的低水準となっていた。

しかし、習近平政権の3期目を可能にした憲法改正が実施された2018年を契機として、その数は再び増加傾向へと転じる。この増加傾向を牽引するのは、中国における中・上流階級、いわゆる「勝ち組」の脱出である。

彼らは、政府の強権的政治(ゼロコロナ政策、民間企業に対する締め付け)や、中国経済の構造的不況(大卒者の就職難)を悲観し、祖国の未来を見限って移住を選択している。

その移住先として日本が選ばれるのは、人種的・文化的近さ、地理的な近さに加え、不動産価格の低さや治安の良さ、清潔な国土や交通網の整備などの社会インフラの充実、さらに日本人の気質(勤勉で真面目)や自由で民主的な国家であることが人気の理由だという。

3. 「高度専門職/経営・管理」資格者が増加

「高度専門職/経営・管理」資格は、長期滞在を前提とした「資産(年収)」、「学歴・職歴」等が基準となる。つまり、資産家・ホワイトカラー向けのビザの取得者が急増しているのである。

それと対照的に、以前の主流であったブルーカラー向け「特定技能/技能実習」資格に基づく在留者数は減少していることから、近年の在留中国人増加を牽引するのは、資産家・ホワイトカラー層であることが窺える。

現状、「高度専門職/経営・管理」資格者数は、「特定技能/技能実習」資格者数を超える勢いであり、先述のとおり、2023年の対前年増加率は23%を記録している。在留中国人総数の対前年増加率が6%であることに鑑みれば、その勢いは明らかである。

4. 中国による海外移住者に対する抑圧

しかしながら、「潤」を成功させても、中国人は祖国の強権政治から解放されるわけではない。昨今、中国当局による在外中国人への「国境を越えた抑圧」についての報告が相次いでいる。

例えば、人権NGOのセーフガード・ディフェンダーズは2022年、中国の海外警察組織「サービス・ステーション」が53カ国に102拠点存在すると告発し、またアムネスティ・インターナショナルは2024年、英国に学ぶ中国人・香港人学生に迫る中国当局の監視について警告した。

中国を含む192カ国が批准する「外交関係に関するウィーン条約」では、他国内において在外公館以外に許可なく政府関連施設を設置することを禁じており、ましてや海外における警察権の行使は主権を侵害する行為と言える。

さらに、2024年8月、米国において歴史家であり民主主義運動家として知られていたワン・シュージュン氏がスパイ罪で有罪判決を受けた。彼は、90年代に渡米して米国市民権を得ており、民主主義運動家として移民・反体制派コミュニティに地位を有していた。しかし、その裏で彼の下に集まる反体制派の情報を、中国の情報機関である国家安全部に流していたという。

中国の情報機関は、自国の経済的・技術的優位を確立するため、いつでもターゲットを特定・関与・操作・利用・盗用することができると考えている。したがって、我々はあらゆるレベルでリスクを管理しなければならない。

5. 「ヒト」へのデュー・デリジェンス(リスク調査)による管理

前述のワン・シュージュン事件は、中国の諜報活動が社会の奥深くにまで浸透していることを示すものである。この事実を目の当たりにして、「高度専門職」資格を有する中国人の雇用を増やしている日本企業は、いったい何を注意すべきであろうか。

「高度専門職」資格を有する中国人(例えばIT技術者)の増加は、とかく人材不足が叫ばれる日本にとっては渡りに船である。経産省推計によれば、日本におけるIT技術者数は、2030年に79万人不足する。これに対し、日本で働く中国人IT技術者の数は、2014年の約1万7千人から2023年の10年間で倍増しており、不足の補填に一役買っていると言える。

しかし、高度専門性を有する人材は、自然の成り行きとして企業の先端技術にアクセスする機会が多くなるため、「ヒト」による技術流出のリスクはより一層高まるであろう。

これを裏付けるかのように、2024年3月には中国国籍の元Googleエンジニアが、AI技術に関する情報を中国企業に渡したとして起訴されている。この容疑者には、エンジニア職務の一環として機密情報へのアクセスが認められていた。

外国政府が高度技術情報を入手するため、企業内部の労働者を利用するという懸念が高まっており、フィナンシャル・タイムズは「GoogleやOpenAIといったシリコンバレーのハイテク企業群は、2024年6月現在、従業員や求職者に対するデュー・デリジェンス強化に取り組んでいる」と報じた。

従前の日本企業の対策は、退職時の秘密保持誓約などだが、その実効性は極めて疑わしい。国際社会における技術優位をめぐる競争が激しくなる中、外国人スパイが機微技術獲得を目的に企業に入り込む危険性が高まっていることから、企業には従業員の採用活動から退職まで、一貫した「ヒト」へのデュー・デリジェンスの実施が求められている。


※ この記事の内容は大伴審一郎の個人的な見解です。

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