【第328回】『カラーパープル』(スティーヴン・スピルバーグ/1985)

 アメリカ映画のヒットメイカーとなったスピルバーグが撮った初めてのシリアスな映画。1909年、南部ジョージアの小さな町のはずれに住む黒人の一家。自分もまだ子供にすぎないセリー(デスレータ・ジャクソン)が義父と自分との間の子供を生まされるが、子供は養父と自分だけの秘密としてどこかへ連れて行かれる。セリーの心の支えは妹のネッティ(アコースア・ブシア)ただ一人であった。セリーはネッティの代わりにミスター(ダニー・グローヴァー)のところへ嫁ぐが、そこでは地獄のような日々が待ち構えていた。

今作は南北戦争以前の黒人奴隷問題を扱っている。貧しいながらも互いに深い愛情で支え合う姉妹を、当時の社会は否応なしに引き裂いてしまう。ミスターは最初はネッティに好意を持っていたが、養父に縁談を断られ、代わりに提示された姉のセリーを嫁にもらうのだが、彼は暴力が酷く、家では常に家主に怯えながら奴隷のような生活を送っている。ここでは白人が黒人を奴隷のように扱うのではなく、黒人間の中でも階級差が根強く残り、女は男に逆らえない。まさに奴隷階級差別と言えるような状況がセリーの身にふりかかり、来る日も来る日も朝から晩まで掃除、洗濯、料理、子供たちの世話をして1日が終わるそんな有様だった。

その上ミスターという非道な男は、セリーだけではなくネッティも手にかけようとする。結局強姦されずに未遂に終わるが、セリーはそんな牢獄の中のような生活からネッティを外に出そうとするのである。姉妹の長きに渡る音信不通の直前、ネッティはミスターの性格を考え、手紙だけでもやりとりが出来るようにと姉に読み書きを教える場面は、涙なしには見れない。体の部分に単語を貼り、読み書きの出来ない姉に視覚的に覚えさせようと苦心する妹の姿は、『E.T.』で宇宙人に読み書きを教える主人公の姿によく似ている。スピルバーグの映画では往々にして、難民や奴隷や虐げられた人々にも教育は平等であり、その機会を積極的に与えようとする。この学外での弱者と弱者の熱心な教育の根底にあるイメージは、スピルバーグが敬愛していたトリュフォーの『野生の少年』であることは間違いない。

ある日、ミスターは歌手のシャグ(マーガレット・エヴリー)を家に連れて来る。セリーがシャグの面倒をみているうちに、2人の間に奇妙な黒人同士の階級を越えた友情が芽生える。セリーの耐え忍ぶ姿に共感したシャグと、夫の愛人ではあるものの、歌手としての美しい心と男性からの自立心を持つシャグに尊敬の念を持つセリーは友情を交わす。ここでのシャグの姿はアフリカへ渡ったネッティと入れ子構造のようになり、ふさぎ込むばかりのセリーの心に一服の清涼剤となる。やがて彼女はセリーの持つ見えない可能性を開き、彼女が立ち直るきっかけを与えることになるのだが、シャグがセリーへ思いを伝えるブルースを歌う場面の描写は、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』冒頭のミュージカル・シーンよりも遥かに素晴らしい。まるで枯れかけた花に水をやるように、マーガレット・エヴリーの優しい歌声がセリーを優しく包む名場面である。

今作ではセリー、ネッティ、シャグの女性3人の描写の他に、ミスターとその父親、ミスターと息子ハーボ(ウィラード・ヒュー)とその妻ソフィア(オプラ・ウィンフレー)との複雑でいびつな関係性にもフォーカスしている。直接的な描写はないものの、ミスターとハーポの関係に虐待があることが暗喩的に示される。ソフィアは男勝りの性格が災いして離婚するハメになり、その後市長夫人に反抗的な態度をとったことから、10年間もの長きに渡り彼女の奴隷として自由を削がれこき使われ、かつての勝気な性格がすっかり骨抜きにされてしまうのである。

クライマックスの短いショットの積み重ねは、セリーの心に生きがいの炎が灯ったことに呼応する。積み上げられた手紙を読む回想シーンは、彼女が字を読むことを諦めなかった結果であり、その強い思いが感動のラストへ帰結する。しかしながらスピルバーグは最後の最後に、あまりにも非道だったミスターにも人の道があったことを丁寧に伝えるため、やや焦点がぼやけてしまったのも事実である。もともとのアリス・ウォーカーの小説はその辺りに対して徹底的で容赦がない。スピルバーグは20世紀の初頭の黒人社会に奴隷階級差があったこともレイプ、虐待、同性愛などが現実にあったことも認めはするものの、それを自らの作品の中ではっきりと伝えようとしない。その悔恨が、後の『アミスタッド』へとつながったのは間違いない。

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