【第571回】『トゥルー・クライム』(クリント・イーストウッド/1999)

 カリフォルニア州にあるサン・クエンティン刑務所のヘリコプターによる俯瞰ショット。曇天の空を見ることも出来ず、死刑囚フランク・ルイス・ビーチャム(イザイア・ワシントン)は幽閉された刑務所内で血圧を測っている。両腕にはしっかり手錠がかけられ、刑務官は前後両方にピタリと張り付きながら、異常なしと告げる。「馬並みに健康だ」という刑務官の冗談にもならない皮肉。フランクはその言葉にも無表情を貫く。一方その頃、オークランドにある一軒のうらぶれたBARの一番左側の席で、ミシェル(メアリー・マコーマック)は新聞社の先輩で、初老の男スティーブ・エベレット(クリント・イーストウッド)に愚痴を聞いてもらっている。彼はミシェルに優しい言葉を投げかけながら、あわよくば娘ほど歳の離れた女性を口説こうと余念がない。ヴァージン・マリーという必殺のカクテルを頼んだ後、マスターが離れた隙に口づけをするスティーブだったが、初老の男の猛烈なアタックを交わし、ミシェルは店を出る。マスターのダメだったのかの言葉に、スティーブは「また次があるから」と苦み走った表情で力なく答える。叩きつけるような激しい雨の晩、ミシェルはミラーを見ながら、先ほどの余韻が残る唇に触れる。ラジオから流れるJazzの音量を上げながら、速度を90kmで飛ばした女の運転は次のカーブで、ハンドルを曲がりきれず天国へと旅立つ。

こうしてミシェルのショッキングな死により、その数十分前まで彼女を口説いていたはずのスティーブ・エベレットが、亡き後輩の残務処理を受け継ぐことになる。かつてはNYで優秀なジャーナリストとして鳴らしていたが、現在はカリフォルニアのオークランド・トリビューン紙に異動となり、今ではすっかり窓際族に追いやられているスティーブの惨めな有り様は、『ダーティ・ハリー』シリーズのハリー・キャラハンとも遠からぬ因果を感じる。彼の異動の理由は、オークランド・トリビューン紙編集長アラン・マン(ジェームズ・ウッズ)と彼自身とによってまったく異なる理由が語られるが、果たして真実が明らかになることはない。このことは明日の夜12時1分に死刑執行される手筈になっているフランク・ルイス・ビーチャムの犯行が、果たして有罪なのか無罪なのかとも無縁ではない。NYからアメリカ大陸の反対側とも言えるオークランドの街にやって来たよそ者のスティーブは、3年半日陰の身に甘んじながらも、徹底的にこの街の人間ではなく、1人の部外者として事件に向き合おうとする。フランク死刑囚は自動車整備工として勤勉に働きながらも、お腹に子供を身籠り、コンビニの店先に立ったエイミー・ウィルソン(マリッサ・リビシ)殺害容疑で、サン・クエンティン刑務所に収監されている。アメリカの民衆は身重の白人女性を狙った黒人男性が死刑になる日を心待ちにしている。世論は日に日にエスカレートするが、スティーブの嗅覚はフランクが「シロ」だと直感する。

スティーブの直属の上司である編集長アラン・マンやデスクであるボブ・フィンドレイ(デニス・リアリー)の横柄な態度、フランク・ルイス・ビーチャムを天国に導くはずの牧師であるシラーマン(マイケル・マッキーン)の人間の尊厳を踏みにじるような態度には、イーストウッドの生涯変わらない白人至上主義や官僚機構への強い怒りが滲む。中盤に出て来る黒人運転手を雇う当時の白人弁護士の様子には、マイノリティを軽くあしらう白人たちへの強い警鐘の念が現れている。『許されざる者』以来、解禁されたイーストウッドの父親としての造形は、幼い娘を持ちながら、いまだに父親になりきれず、浮気ばかりしているだらしのない醜態を妻に晒す。動物園での家族サービスは、まるでミシェルを襲った死のカーブのように、実の娘でもあるケイト(フランセスカ・フィッシャー=イーストウッド)を襲う。コンクリートにしたたか打ち付けた彼女の傷口に貼られたブルーとグリーンの絆創膏は、そのまま死刑執行前のフランクの家族との最後の接見の際に、フランクの娘ゲイル(ペニー・ビー・ブリッジス)によって描かれた空のブルーと牧場の草原のグリーンに呼応する。娘を守れなかった男同士はいつしか深い絆で結びつき、身勝手だった自分の家庭環境よりも、昨日までまったく関係のなかったフランクの家庭環境に深く心酔する。明日の夜12時1分というタイムリミットを指定しながら、観客に死刑執行までの様子をつまびらかにするイーストウッドの作法は明らかにヒッチコック・マナーであり、奇跡的なラスト・ミニッツ・レスキューを果たすイーストウッドの手腕には、D.W.グリフィスの『國民の創生』における無実の死刑囚を救うための時間との競争の主題が垣間見える。フラッシュバックにより各人の証言を炙り出す手法と夜の気配の不穏さ、法と正義の行使の不一致を糾弾するイーストウッドの姿勢は、後に『チェンジリング』で更なる深化を遂げることになる。

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