【第516回】『ガントレット』(クリント・イーストウッド/1977)

 アリゾナ州フェニックスの夕陽をバックに、イーストウッドお得意のヘリによる空撮が繰り広げられる。バー・ラウンジから出て来た1人の男ベン・ショックリー刑事(クリント・イーストウッド)が、道の向かいに停められた車に乗り込む。その歩き方はどこか千鳥足気味で、表情は冴えない。ハイウェイを一直線に目的地へ向かう男の姿。やがて大きな施設の前に車を停めた男、ドアを開けた瞬間、ジャック・ダニエルズの瓶が地面で割れる。すっかり伸びきった無精髭、ネクタイもしないスーツ姿、やがて男は施設に入り、カウンターにいた旧知の男ジョセフソン(パット・ヒングル)の歓待を受ける。明らかに約束の時間に遅れたベンに対し、ジョセフソンは彼の妻のように、身なりを整え、礼儀正しくすることを命じるが、ベンにとっては馬の耳に念仏に過ぎない。やがて署長室の前に着いたベンは、フェニックス市警察委員長ブレイクロック(ウィリアム・プリンス)と面会する。署長の命令は「ガス・マリーという男を護送して欲しい」。「どうして俺が?」といつも通りの怪訝そうな表情を浮かべたベンに対し、「君が優秀だからだよ」と即答で返すブレイクロック。これまで市勤務だったうだつのあがらない男が、ブレイクロック委員長の褒詞にほだされ、彼女を護送するために単身、ラスベガスへと向かう。これが全ての惨劇の始まりとなる。

今作におけるフェニックス市警察のベン・ショックリー刑事の人物造形は、サンフランシスコ市警察を舞台にした刑事ものに登場したハリー・キャラハン刑事とは実に対照的である。昼間から酒を煽り、公務をすっぽかし、愛したはずの女といつまでも一緒にならない田舎町の典型的なダメ刑事として造形される。この男はかつてジョセフソンを相棒にしていたことが明かされるが、ジョセフソンは今や本部の事務職に昇進し、ベンの方はと言えば、一貫して外回りの仕事に甘んじている。導入部分の展開で、ブレイクロックに対し、「どうして市勤務(外回り)の俺が護衛の仕事なのか?」と率直な疑問を呈するのも無理はない。サンフランシスコほど治安の悪化してないフェニックスの街で、男は酒浸りの生活を送りながら、刑事として自暴自棄な日々を送っている。そんなベン・ショックリーに白羽の矢を立てたブレイクロック委員長も、何らかの意図や謀略があってのご指名なのだが、勘の鋭いハリー・キャラハンに対し、ベン・ショックリーはこの謀略の意味に気付く由もない。片田舎から出て来た主人公が都会の洗礼を受ける様子は、明らかにドン・シーゲル『マンハッタン無宿』にオマージュを捧げている。ベンは当初、ガス・マリーの名前から男だと信じて疑わないが、それが女だとわかった時の驚き。留置所の格子の奥にいるガス・マリー(ソンドラ・ロック)は囚人服を着て、うつ伏せに横になっている。女が飯を食べず、コーヒーだけ手をつけ、そこに入ったタバコの吸い殻に仮病だと言い張る。「ここを出れば、あなたも私も殺されてしまう」というマリーの甘言に対し、ベンは一切耳を傾けない。この時点でベンは、大きな陰謀をまったく理解していない。

ラスベガスからアリゾナへ、愚直なまでにマリーを護送しようとするベンの健気さが泣ける。救急車でのカー・チェイス〜売春宿に一斉に警察の銃弾が発射され、蜂の巣状態となる館を呆然とした様子で見つめるベンの姿。やがて地下室を発見し、2人は警察の網の目をくぐり、逃避行に打って出る。地元の警官を人質に取り、3人で逃避行を続ける場面は、スティーヴン・スピルバーグ『続・激突!/カージャック』のゴールディ・ホーン、ウィリアム・アザートン、マイケル・サックスの逃避行を彷彿とさせる。『ダーティハリー』シリーズでは執拗に犯人を追い詰めるイーストウッドの姿が一際鮮明に映るが、今作では逆にイーストウッドは見えない敵に命をつけ狙われる。この見えない敵の恐怖は同じくスティーヴン・スピルバーグの『激突!』にも近い。だが意に沿わぬ刑事と娼婦のマッチアップ、奇人変人の男女による恋愛喜劇という主題は、むしろジョン・ヒューストン『アフリカの女王』やフランク・キャプラ『或る夜の出来事』以降のスクリューボール・コメディ×ロード・ムーヴィの様相を呈する。抜群に腕は立つが、周囲の状況に鈍感なベン・ショックリー刑事を、娼婦であるガス・マリーの機微や頭の回転の早さが支え、ベンに官僚機構の陰謀をわからせる展開はあまりにもベタだが、ベタはベタなりに2人の絶妙なコンビネーションを照らし出す。今作のジョン・ヒューストン『アフリカの女王』への無邪気なオマージュが、後のバックステージ映画である『ホワイト・ハンター、ブラック・ハート』に繋がるのは云うまでもない。バイクにまたがり「何年振りかな」と呟くベンの独白が、ドン・シーゲル『マンハッタン無宿』から連なる映画史的な継承を促す。どこまでも出自に正直なイーストウッドが泣かせる。

クライマックスのあまりにも有名な鉄板をぶら下げた死闘には、セルジオ・レオーネ『荒野の用心棒』を想起せずにはいられない。バイカー集団に顔を切られ、しまいにはヒットマンに足を射抜かれた傷だらけのマゾヒズムが、ソンドラ・ロックの存在に浄化され、勃起不全だった男根を奮い立たせる展開はあまりにもベタだが、シリアル・キラーの凶行と官僚機構の腐敗とを同時に開示しなければならなくなった不自由な『ダーティハリー』シリーズ以上に、ただ娼婦を護送するだけというシンプルなプロットが問答無用に素晴らしい。クライマックス、フェニックス行きの鈍重なバスが、両側から警察機構により蜂の巣にされ、その車体をノロノロと市庁の前に停める場面の圧倒的な静寂。このスピーディな展開とは対照的な鈍重なアクションこそが、今作の白眉となる。そのクライマックスの『俺たちに明日はない』とは真逆なベクトルの、悲壮感の欠如には、あらためて「アメリカン・ニュー・シネマ」の作家ではなかったイーストウッドの特殊性を思い知る。逃走劇のロード・ムーヴィーという側面では「アメリカン・ニュー・シネマ」のスティーブン・スピルバーグを参照しながらも、あくまで自分の出自であるシーゲルやレオーネにオマージュを捧げながら、ジョン・ヒューストン『アフリカの女王』やフランク・キャプラ『或る夜の出来事』ら名作群からアイデアを拝借した骨太な展開は、クリント・イーストウッドの気骨をあらためて内外に知らしめることとなる。『愛のそよ風』の主演オーディションで知り合い、前作『アウトロー』が初めての共演作となったソンドラ・ロックとは今作から愛人関係を結ぶ。今思えば束の間だったソンドラ・ロックとの蜜月がイーストウッドに与えた影響は計り知れない。

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