【第501回】『恐怖のメロディ』(クリント・イーストウッド/1971)

 波に削られたゴツゴツとした岩肌を臨むアメリカ西海岸カーメルの海岸線。ヘリコプターからの空撮ショットはやがて岩山の上に立つ一棟のヴィラを映し出す。バルコニーに佇むこの部屋の主デイヴ(クリント・イーストウッド)。しばらくすると彼は階段を駆け上がり、部屋に飾られた自画像をしげしげと眺める。かつて恋人が書いてくれた肖像画。それを感傷に浸るようにゆっくりと眺めた後、男はふもとに置いてあるオープンカーに乗り出かける。急カーブの多い岩山の道路。ストレート・ラインを走る俯瞰ショット。遠近のバランスを考えた絶妙な構図、見事な空撮ショットはブルース・サーティース×イーストウッド・コンビの映画のルックを決定付ける。やがて到着するKRMLのラジオ局。ちょうど自分の出番の5分前に到着した人気DJはブースの前に座り、5時間のラジオ・プログラムを始める。その憂いを帯びた低音ボイス、JAZZを中心とした落ち着いた構成、詩のフレーズを引用した知的な世界は西海岸一帯で圧倒的な影響力を誇っている。番組中にかかって来るリクエスト電話、女性の声でErroll Garner『ミスティ』をかけてといういつものリクエスト。滞りなく進められた仕事の後、デイヴはいつもの馴染みのバーへ向かう。カウンターに腰掛けたデイヴ、視線を横にやると美しい女性イブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)の姿。デイヴは店のマスター(ドン・シーゲル)と恋の行方を賭ける。見事賭けに勝った男は一晩だけの恋に落ちる。

冒頭の自画像を眺める一瞬のショットが、その前にある恋人の突然の蒸発を暗示したものだとわかるまで、さほど時間はかからない。ドン・シーゲル仕込みのあまりにも見事な職人的省略の妙であろう。今作は一夜限りと夜を共にした女に、命をつけ狙われるサスペンス・スリラーにして、イーストウッドの記念すべき監督デビュー作である。権利を持っていたユニバーサルの重役に、「無給でもいいから作らせてくれ」と直訴し、作られた今作は同年に撮影されたドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』同様に女性の怖さ、二面性をまざまざと見せつける。最初は偶然を装い近づいてきた美人に、デイヴはまんざらでもない様子を見せる。「一晩だけなら」という契約だったはずが、徐々に女の要求はエスカレートしていく。昼間、食料を持って部屋に押し入り、胃袋を満たして男を丸め込もうとする。肉の焼き方を「ごくレアで」と微笑むジェシカ・ウォルターの薄気味悪さ。その後も彼女の要求は苛烈さを極め、昼夜問わず電話が鳴り止まない。しまいには仕事場に押し入り、彼の仕事の邪魔をする。朝帰りする前、隣人に安眠妨害だと怒鳴られた際の逆上の仕方が尋常ではない。時間がないデイヴの口から出た差別用語に、「ASS HOLE」と付け加えて返す描写は、明らかにドン・シーゲル『真昼の死闘』でシャーリー・マクレーンが思わず口にした「ASS(ケツ)」を参考にしている。その信じられない言葉を耳にし、小声で「What!」と呟くイーストウッドの怪訝な表情は、イーストウッドの女性観、シニカルなユーモアを提示する。

女は明らかにデイヴを運命の男「オム・ファタール」だと夢想するが、残念ながらデイヴには別の女がいる。そもそも「一晩だけなら」という軽い契約だったはずだが、狂気に満ちた女は一切取り合おうとしない。猫撫で声で縋ったかと思えば、突如逆上し、罵声を浴びせかける女の狂気は現代ならストーカーに分類されるはずだが、女の人物造形は71年当時は真に斬新な理解不能な展開を見せる。リスカした女の狂気にも、デイヴは何とかなると考えているが自体は最悪の様相を呈する。やがて起こる夜の凶行はまるでアルフレッド・ヒッチコック『サイコ』のノーマン・ベイツのような怖さを感じさせる。当初は不快感を露わにしたマッカラム巡査部長(ジョン・ラーチ)との静かな友情と随分あっさりとした悲劇、ナイフを持った女の苛烈なカッティングもヒッチコックを手本にしていたのは云うまでもない。幸福な女トビー(ドナ・ミルズ)と不幸な女イブリンの対比もどこかヒッチコックの『めまい』を連想させる。ラジオのDJという動きを封じられた環境から、起死回生の脱出を試みるアイデア。「アナベル・リー」という名前の持つミステリーに気づく場面、クライマックスの苛烈なクロス・カッティングまで、イーストウッドは王道的な手捌きで見事なサスペンスを醸成する。全体的なバランスで言えば、中盤のRoberta Flack『The First Time Ever I Saw Your Face』が流れるインサート・ショットは流石に古さを感じさせるものの、モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルを映した演奏風景にイーストウッドの変わらぬJAZZ愛が滲む。それにしてもクライマックスの自画像を切り刻むジェシカ・ウォルターの姿に、瀕死の重傷を負うことを厭わないイーストウッドの屈折した心情が窺い知れる。イーストウッド映画はごく初期から屈折し、異様だったのである。

#クリントイーストウッド #ジェシカウォルター #ドナミルズ #ドンシーゲル #恐怖のメロディ

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