【第529回】『ペイルライダー』(クリント・イーストウッド/1985)

 カリフォルニア州カーボン渓谷、昼間の強い光に抱かれ、ある者は砂金取りに勤しみ、ある者は川沿いで食事をし、女たちは洗濯物を干している。傾斜の厳しい斜面に住む砂金取りの集落では、思い思いに生活を楽しんでいる。そこへ無法者たちの集団が勢いよく迫って来る。傾斜の厳しい登り坂を一気に駆け上がる馬の蹄の音。川沿いの砂利道を通り、やがて渓谷を下ると、平和な集落が見える。男たちは奇声を発しながら、ログハウスやテントハウスをロープを使って、次々になぎ倒していく。アコースティック・ギターによる牧歌的な音楽は無法者たちの残虐さに掻き消され、馬の下敷きになった老人は死に、家畜の馬は撃ち殺される。少女メイガン・ウィーラー(シドニー・ペニー)もちょうど犬の散歩に出たところで、無法者たちの凶行に巻き込まれる。びっくりした犬のリンジーはメイガンの元を離れ、あえなく銃で撃ち殺される。メイガンの母親の恋人のハル・バレット(マイケル・モリアーティ)もショベルで応戦を試みるが、銃を手に取る無法者たちを相手にまったく歯が立たない。愛犬リンジーの亡骸を土に埋め、メイガンは天に祈りを捧ぐ。「ああ神様、死の谷を通っても恐れるなと聞きました。でも怖くて仕方がありません。主のお導きを知ってはいますが、どうか奇跡を起こして下さい。このままでは皆、飢え死にしてしまいます。どうか助けてください」。惨劇のほとぼりも冷めぬ午後、ハルは山の向こうの高地に佇む街へと生活用品を買いに走る。案の定、昼間の無法者たちにリンチに遭う男の姿。やがてマッチにつけた火を品物へ放たれる瞬間、バケツに入った水を浴びせかける1人の男の姿。彼こそは「蒼ざめた馬」に乗る流れ者の男(クリント・イーストウッド)に他ならない。

男は最初、数10m先からこちらの様子を伺っているが、少し目を放し、彼の立っていた場所にもう一度目をやると、い忽然と消えてしまう。かと思うと無法者たちのすぐそばにいて、木の棒で返り討ちにされる。ハルは助けてもらったお礼にと流れ者の男をカーボン渓谷にあるログハウスへと誘い出す。その家でハルと共に暮らす母娘は、野蛮な殺し屋は追い出してとハルに懇願するが、そこに現れた流れ者の風貌に愕然とする。野蛮な殺し屋だと思った男は実は牧師であり、俗から聖への橋渡し役となるのである。メイガンの読むヨハネ黙示録第6章の言葉は、彼の超然的な何かを紹介する役割を担う。その背中にくっきりと残る六角形の痛々しい銃弾痕が男の過去を物語ると共に、即死しかねない痛々しい傷=生と死を超越した異形のヒーローとしてのイーストウッドの造形を露わにする。これは少女目線で紡ぐか少年目線かの違いはあれど、ジョージ・スティーヴンスの『シェーン』に近い。しかしそれよりもむしろ、イーストウッドにとって初めての西部劇の監督作となった『荒野のストレンジャー』との驚くべき類似に唖然とさせられる。『荒野のストレンジャー』では保安官の亡霊のような男が、町の権力者を壊滅させたが、今作では保安官の亡霊以上に、聖なる男としての神々しい牧師の姿に圧倒される。また女たちの造形も、勝ち気で恐れを知らない娼婦のような鋼の心を持った女たちから、信心深い母娘に変更されているのも興味深い。メイガンもサラ・ウィーラー(キャリー・スノッドグレス)も扶養主であるハル・バレットという一家の大黒柱の存在を認めつつも、イーストウッド扮する流れ者の男に恋をしてしまう。夜間、森の中で牧師と偶然出会ったメイガンは、母親が結婚したのと同じ15歳になったわと精一杯の愛情で男を誘うが、男はそれを意に介さない。女としての屈辱を受けたメイガンは、流れ者に対し汚い言葉を吐き、罵る。彼が生と死を超越した男とも知らずに・・・

コイ・ラフッド(リチャード・ダイサート)ら町の権力者たちは、水圧式採掘という19世紀には近代的な方法で砂金を採り、山の上にある平地で悠々自適の生活を送っている。その一方でハル・バレットら貧乏人たちは、鍬と自分たちの身体を使って、原始的な方法で砂金取りに励むしかない。この急斜面という地勢学的な条件がそのまま、富裕層と労働者たちの権力闘争となる。ハル・バレットらが斜面に家を立て、困難な状況で数%のゴールド・ラッシュの可能性を追い求めるのに対し、権力者たちは水圧式採掘という合理的な方法で、より確実に巨万の富を築く。この有力な権力者たちの違法な追い出しという「法と正義の行使の不一致」に対し、流れ者の男は力づくで抵抗を試みる。権力者たちの鋭い威嚇に、ただただ怯えるだけだったカーボン渓谷の人々の精神を変え、ハル・バレットを中心に、権力には屈しない集団へと短期間で変えていく。当初は敵役だった巨人症の大男クラブ(リチャード・キール)への眼差しにはまたしてもマイノリティへの深い愛情が垣間見える。クライマックス、ストックバーン(ジョン・ラッセル)と彼の助手たち、通称7人の無法者たちとの闘い、建物の隙間から殺し屋たちの移動を捉えるドリー・ショットの素晴らしさ。流れ者の隠れ場所にまんまと訪れ、罠にはまる無法者たち。ラスト、主人公がどこからともなく現れ、どこかへと消えていく一連の描写に、セルジオ・レオーネの「名無しの3部作」を想起せずにはいられない。『荒野のストレンジャー』の派手派手しいバロック様式の世界観とは打って変わり、イーストウッドはもはや古典的な西部劇の手法に接近する。初期から何度もコンビを組んだブルース・サーティースのキャリア最高峰であり、その美しいまでのイーストウッドの美学に痺れる116分の比類なき傑作である。

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