【第518回】『アルカトラズからの脱出』(ドン・シーゲル/1979)

 サンフランシスコ湾を臨む巨大な金門橋ゴールデン・ゲート・ブリッジの壮大な光景。1人の男がいま、湾内に停めてある船に護送されようとしている。叩きつけるような大雨の中、左右を警察にガッチリとガードされ、護送される男の姿。その腕には手錠が嵌められ、表情は険しい。桟橋を渡り船内に入ると、小さな船が小刻みに上下に揺れる。2km以上走っただろうか?そこに浮かぶのは面積0.076km²の小島。ザ・ロック、監獄島とも呼ばれ、1963年まで連邦刑務所として使用された施設は「シン・シン」「サン・クエンティン」にある刑務所と並び、世界屈指の堅牢さを誇る。やがて船を降りた瞬間、頭上から照らされる強い光。男は青い護送車に乗せられ、刑務所事務所へと運ばれていく。医者が彼の頭部、耳、目、口を一通り調べた後、男は早速堅牢な刑務所の独房へと案内される。着ていた衣服は剥がされ、全裸で長く冷たい廊下を歩く囚人フランク・モリス(クリント・イーストウッド)の姿。独居房に入れられ、鉄製のスライド式のドアが閉められた時、所員から「アルカトラズへようこそ」という絶望的な皮肉に満ちた言葉が投げ掛けられる。こうしてモリスの自由を奪われた監獄生活は幕を開ける。

モリスは当初、この刑務所への船の中で、サンフランシスコ湾に上陸することの困難さを思い知らされる。それと共に中の囚人の話として、水温の冷たさ、潮の流れの速さが脱獄を困難にしているという絶望的な話さえ聞かされる。刑務所映画と言えば大抵、「ホモ、暴力、嫌な看守」が3点セットで付いて回るが、今作も例外ではない。モリスは入所早々、ウルフ(ブルース・M・フィッシャー)という巨漢な白人に目を付けられ、うんざりするような表情を浮かべる。ただ彼の腕っぷしの強さは『ダーティファイター』の地下格闘家並みを誇り、簡単にはホモの言いなりにはならない。風呂場、中庭で繰り広げられる暴力の恐怖を、モリスはその拳の強さだけで退ける。イーストウッドと言えば、マイノリティへの眼差しも忘れてはならない。自分がアル・カポネだと断言して憚らない花と小さなネズミを愛する初老の男リトマス(フランク・ロンチオ)、集団の輪に入ろうとしない寡黙で絵が好きな男ドク(ロバーツ・ブロッサム)など、直接的にモリスの脱獄には参加しない人々にシーゲル×イーストウッド・コンビは熱量を割いている。特に黒人軍団のボスであるイングリッシュ(ポール・ベンジャミン)との友情は、『アウトロー』におけるコマンチ族酋長テン・ベアーズや『ダーティハリー3』における黒人過激派のリーダーであるビッグ・エド・ムスタファとの友情を想起させる。白人と黒人の友情の主題で言えばおそらく、フランク・ダラボンの『ショーシャンクの空に』にも影響を与えているに違いない。

脱獄モノというジャンルで言えば、最高峰だと断言するジャック・ベッケル『穴』を筆頭に、ジョン・スタージェスの『大脱走』、同じくスティーブ・マックイーンによるフランクリン・J・シャフナーの『パピヨン』など数々の名作が作られてきた。今作は実際に1962年に起きたフランク・モリスとアングリン兄弟の脱走劇を基にしている。実際に彼らのその後がどうなっているのかわからないように、映画もクライマックスをあからさまなハッピー・エンドには描いていない。だが合計4度登場する菊の花だけが彼らの末路に希望の火を灯す。モリスは当初、まったく想定していなかった脱獄を、冷酷な刑務所長(パトリック・マクグーハン)への復讐として計画する。ここにはイーストウッドの生涯のテーマである「法と正義の行使の不一致」や『ダーティハリー』から一貫して描いてきた白人至上主義、権威主義、官僚主義への強い怒りが渦巻いている。今作は銃火器の使用もなければ、女性とのロマンスもない実に堅実でゴリゴリな男性映画である。それどころか主人公イーストウッドの台詞も必要最低限しかなく、その抑制されたトーンもこれまでのイーストウッド映画随一を誇る。ジャック・ベッケル『穴』が地下の迷路へと向かったのに対し、今作では堅牢なアルカトラズ刑務所の虚を突き、屋上へと解放されるイメージの連鎖が素晴らしい。ある種、アメリカの縮図とも言える刑務所の中のヒエラルキーに対し、イーストウッドはどう脱獄するかだけに特化する。人は拘束され、檻に入れられた時、はじめて自由について考えるのだと言わんばかりに、モリスは己の知力・体力だけを武器に、清々しいまでの権威主義への抵抗を試みる。今作は弟子イーストウッド×師匠ドン・シーゲルの5本目の作品であり、結果的に最後のコンビでの作品となった。その抑制されたトーンとマナーが、21世紀のイーストウッド作品の不穏さの原点であるのは疑いようもない。

#ドンシーゲル #クリントイーストウッド #ポールベンジャミン #パトリックマクグーハン #フランクロンチオ #ロバーツブロッサム #アルカトラズからの脱出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?