【第333回】『フック』(スティーヴン・スピルバーグ/1991)

 ピーター・バニング(ロビン・ウィリアムズ)は仕事中毒とも言うべき40歳の企業弁護士。妻モイラ(キャロライン・グッドール)、11歳の長男ジャック(チャーリー・コースモ)、7歳の長女マギー(アンバー・スコット)という家族に恵まれているが、子供たちは四六時中仕事にかまけている父親に不満を持っている。ジャックが楽しみにしていた少年野球の応援も仕事でドタキャンした。クリスマス休暇に、一家はモイラの祖母でピーターを孤児院から救ったというウェンディ(マギー・スミス)をロンドンに訪ねる。一家はウェンディの邸宅でしばらく暮らすことになるが、ある夜大人たちが外出先から帰ると子供たちの姿はなく、ドアには脅迫文があった。「親愛なるピーター、子供を助けたければ姿を現わせ。ジェームズ・フック」何が起こったか見当もつかないピーターに、ウェンディが真実を告げる。

かねてからスピルバーグがファンであることを公言していた『ピーターパン』の実写映画化。とはいえごく普通のファンタジーではなく、映画はフック船長と戦った少年の頃から既に数十年が計画しているという設定の後日譚であり、今は40歳の大人となった猛烈仕事人間の弁護士ピーターが、子供の頃の心を思い出し、フック船長と再度戦うことになる物語である。冒頭、エレベーターの前で剣ではなく、発売されたばかりの携帯電話を持ちながら決闘する場面が可笑しい。当時は孤児たちのリーダーとして戦ったピーターパンも今は年を取り、法律の最前線で戦うバリバリの企業戦士なのである。そんな彼に対し、息子と娘はあまり快く思わず、もっと父親との親子のコミュニケーションを取りたがっている。息子の晴れ舞台となる野球の試合もほったらかしたわけではないが、仕事が押して遅刻し、彼が練習場を訪れた時にはもう誰もいない。ここでの撮影スタイルはさながら『太陽の帝国』の主人公のようである。小高い丘を登ると、そこには日本軍の戦闘機の残骸が落ちているのではなく、無人の野球練習場が見えるのである。

そんな彼の企業戦士としての振る舞いに対し、妻が夫を冷静にたしなめる場面が印象深い。アメリカでは高校を卒業する時、子供たちは進路を決めて家を出る。11歳の長男と7歳の長女を抱えるピーター一家にとって、あと数年が親として子供の面倒を見られる一番大事な季節である。その大切な時間を無為に浪費する夫に対して、キャロライン・グッドールが心の底からクギを差すのだが、それでもロビン・ウィリアムズには響かない。最終的に夫の携帯を雪の降る庭に放り投げることで彼を目覚めさせようとするのだが、それすらも夫の心を動かす決定打にはならないのである。

叔母のウェンディの孤児院設立式のパーティに出席するピーター一家は、お手伝いのライザに子供達を任せ、自分たちはウェンディの立会いでパーティに向かうが、そこで意味ありげに窓が開き、突風が部屋中に吹き荒れる。スピルバーグの映画においては夜、子供がベッドで寝静まる頃決まって事件が起こるらしい。突風により大きな窓が開き、夜とは思えないまばゆい光に覆われた瞬間、時空の扉が開くのである。前作『オールウェイズ』において、ピートの声はデリンダには二度と届くことがなかった。彼は死後、ドリンダに寄り添うようにそこに存在するが、もはやその声は届かない。今作『フック』では絶望的な距離感に引き裂かれた父と子だが、あの世とこの世ではないこの遠い距離感はピーターによってどうにでも克服可能である。

その媒介者となるのは小さな妖精ティンカーベル(ジュリア・ロバーツ)である。ティンクはピーターをシーツにくるみ、ネヴァーランドへ向けて飛び立つ。島に着いたピーターを待っていたのは、腹心スミー(ボブ・ホスキンス)を従えた残忍なフック船長(ダスティン・ホフマン)だった。子供たちを前に、ティンクはピーターがピーターパンだと3日以内に証明してみせると宣言する。はずみで海中に転落したピーターは島の反対側に流れ着き、迷子の少年たちの助けを借りて、ピーターパンとなる特訓を受ける。地上では徹底した現実主義者であり、大企業の買収部門で働くリアリストであるピーターが、空を飛んでみせろというあまりにも真逆なファンタジーの世界の要求を突きつけられ、困惑する。彼は昔ピーターだったと言い張るが、かつての孤児たちはブタみたいに太ったおっさんとなった中年を、当時のピーターパンとは想像出来ない。その中でもある黒人少年がピーターの眼鏡を外し、骨格や頬や皮膚などをじっくりと凝視し、ピーターパンだと叫ぶ印象的な場面があるが、彼はその時点ではあくまでピーターパンの面影を残したタダの中年でしかない。

そんな彼がたった3日間の約束でかつての自分を取り戻す作業に入るのだが、ここでの方法の引き出しが少なく、面白味に欠けるのが何とも残念である。ここで我々観客は今作が彼の盟友の撮ったある映画に似ていることに気付くだろう。それがジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』である。ピーターが少年時代の記憶を取り戻す3日間の修行はヨーダによるルークの修行の場面に呼応する。反抗期にさしかかった息子が、現実の父親よりも自分の方が愛情豊かに育ててやれるという甘い誘いを断りきれずに、フック船長に迎合する様子は暗黒面に落ちたアナキンそのものである。映画外の出来事であるものの、最初の対戦でフック船長の片腕がピーターパンとワニにより切り落とされたことを考えれば、この奇妙な符号に気付くだろう。

大人びた子供と、子供じみた大人との聖戦はフック船長の船の上で盛大に繰り広げられる。ここでは子供向け映画として、決定的な殺人場面は巧妙に回避され、子供達の武器もおよそ武器とは呼べない代物に移行する。卵の殻を割って中身を投げる機械や、階段を丸まって転がるデブの描写など実に子供じみた愛らしいアイデアである。しかしラストの場面ではルフィオの身に悲劇が起こる。彼の「父親が欲しかった」という最後の言葉は幼少期のスピルバーグの心境を代弁するかのようである。その言葉を聞いて、食卓に何もない長テーブルを介しての2人の言い合いを思い出すと涙がこぼれる。前作『オールウェイズ』が大切な全てを失う男の物語だとしたら、今作は大切なものを取り戻す物語だと言えるだろう。喜劇役者として絶好調だった故ロビン・ウィリアムスの勇姿は何度も目に焼き付けたい。

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