【第542回】『ルーキー』(クリント・イーストウッド/1990)

 奥行きのある面接室。新人が面接試験のドアを開けると、薄暗い部屋に3人の面接官が座っている。その表情は暗くてあまりよく見えない。幾つかの問答の後、「弟はいるか?」と聞かれた男は「いません」と即答するが、その嘘を鋭く見破る面接官たち。やがて男の記憶は幼少時代にフラッシュ・バックする。年の離れていない弟と拳銃ごっこに明け暮れる兄の姿。その楽しい瞬間に突如訪れる弟の悲鳴のような叫び声。弟の死のトラウマが突き刺さる瞬間、ディヴィッド・アッカーマン(チャーリー・シーン)は悪夢から目覚める。一方その頃、夜の歩道では1台のキャリア・カーがゆっくりと姿を現わす。何度かの出し入れの後、用意周到に練られた作戦により、一味はハイウェイへと向かう。その様子を見て、ゆっくりと尾行に入るニック・パロヴスキー(クリント・イーストウッド)と相棒のレイ・ガルシア警部(ペペ・サーナ)。2人は高級車ばかりを狙う窃盗団のボスであるストロム(ラウル・ジュリア)を何ヶ月もの内偵捜査の末、ようやく逮捕出来ると思った瞬間、相棒のレイは凶弾に倒れ、ストロム一行にも逃げられてしまう。失意のどん底のニックは署長室に押しかけるが、後ろで聞き耳を立てるアッカーマンの姿。ニックは無理矢理ドアを閉め追い出すが、署長の「新しい相棒だぞ」の掛け声にニックは怪訝な表情を浮かべる。『サンダーボルト』『アウトロー』『センチメンタル・アドベンチャー』に続き、ベテランと何も知らない若者との何度目かの物語が幕を開ける。

交通課に勤務しながらも、まるで殺人課の刑事のようなニックのかなり手荒な捜査方法には、5作で完結したイーストウッドの当たり役となった『ダーティー・ハリー』シリーズを想起せずにはいられない。メキシコ系、黒人、女、相棒なし、中国系と変遷したマイノリティの系譜が、ディヴィッド・アッカーマンというお子ちゃまな白人に姿を変える。父親は一流企業のCEO、一際美人な彼女サラ(ララ・フリン・ボイル)と付き合いながら、一貫して弟の不在という大きな心の傷を抱えるアッカーマンの造形は、守れなかった弟の代わりに、サンフランシスコの治安を守ろうという純粋な野心に燃えている。だが父親も彼女も、アッカーマンが有能な警官になれるとは微塵も思っていない。この道数十年のベテラン警官であるニックの背中を見て、この街の警官のイロハを叩き込まれるが、アッカーマンのお坊っちゃま気質はかなり危なっかしい。ニックの部屋に飾られたレーサー時代の輝かしい写真、別れた妻との2ショット、69年製ノートン、67年製トライアンフ、48年製ハーレーなどの道具立てにより、ニック・パロヴスキーの人物造形の変遷を完璧に提示する見事さ。ニックが何度修理を試みても直らなかったハーレーを、いとも簡単に直してしまうアッカーマンの姿に驚きの表情を浮かべる。そのほんの一瞬が男同士の友情となり、来たるべき終盤へ繋がる見事な展開。お坊っちゃまの危なっかしさが物事の優劣を簡単に逆転させてしまう。防弾チョッキの背中に付けられた3つのキズ。組織に失格の烙印を押された男は初めて自らをかなぐり捨て、新米刑事アッカーマンは一線を越える。

ディヴィッド・アッカーマンの豹変から、サディスティックだったニックとマゾヒスティックだったアッカーマンの嗜好は、ものの見事に逆転する。椅子に縄で縛りつけられ、ストロムの彼女リースル(ソニア・ブラガ)に、カッターの刃で頰をぱっくりと裂かれるニックの姿。自動車修理工場に備え付けられたおびただしい数のTVモニター。コカインでハイになったカーリー・ヘアのリースルによるレイプがモノクロ画面を通して、極めて倒錯的な嗜好を帯びる。ここでもイーストウッドの薄汚れた暗部=主人公の加虐性が執拗に顔を出す。情けない醜態を晒すニックとは対照的に、アッカーマンはまるで別人のような手荒な捜査を見せる。BARカサブランカを全焼させ、路上で拳銃を発砲し住民を怯えさせ、しまいにはニックのバイクを盗み、自宅に突っ込むが、トラウマを払拭するような最後の瞬間はサラに奪われる。父親を脅し、200万ドルを引き出させるにあたって、男はがむしゃらに死なせてはならない男を救おうと心に誓う。爆破1秒前の車での脱出シーンのスロー・モーションのカタルシス。死の恐怖に囚われ、失格の烙印を押されたアッカーマンは『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』のスティッチ・ジョーンズのように真に勇敢な男に姿を変える。クライマックスの情け容赦ないニックの行動はまさにイーストウッド生涯のモチーフとなる「法と正義の行使の不一致」を声高に叫ぶ。息子カイルに全てを教え込んだ『センチメンタル・アドベンチャー』のように、無敵のダーティ・ヒーローであるハリー・キャラハンを演じた男がここでは若者に希望を託し、後進へ道を譲ろうとする。作家性を前面に押し出し、不振に喘いだ『ホワイトハンター ブラックハート』の後、渋々撮った今作の大ヒットにより、イーストウッドはコインの裏表のようなハリウッド哲学を学んだのは間違いない。その哲学は次作『許されざる者』で結実する。

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