【第409回】『暗殺教室-卒業編-』(羽住英一郎/2016)

 『海猿』を彷彿とさせるような物々しい雰囲気。豪雨の中、暗がりのゲートの中に一台の護送車が入って来る。思わせぶりに後方の大きな扉が開くと、両手足に鉄の鎖を嵌められた1人の男がゆっくりと豪雨の中を前進してくる。囚人はいったいどのような罪を犯してしまったのか?唐突に場面は教室に移動し、殺センセーと教え子たちの学園ドラマが再び幕を開ける。ひょんなことから椚ヶ丘中学校3年E組の担任になった地球破壊予告のクリーチャー「殺せんせー」を中心軸に据え、クラスメイト全員が100億円の賞金首を付け狙う殺し屋として命を付け狙っているという便宜上の設定だが、殺るか殺られるかの緊張感は前作よりも希薄になっているのは止むを得ない。相変わらず血気盛んな寺坂グループは進路指導の際にも殺せんせーの命を狙うが、赤羽業(菅田将暉)はゴム製のダガーナイフを自らの首に当てるも、はなっから殺せんせーを殺る気などない。殺るものと殺られるものの緊張感の希薄さは観る側にとっても作り手にとっても演者にとっても同様であり、黄色い球体で触手をぶら下げた殺せんせーという前代未聞のキャラクターに我々の目が慣れてしまったことは、いかんともしがたい致命的な事実としてそこに横たわる。

前作では赤羽業(菅田将暉)、堀部糸成(加藤清史郎)、自律思考固定砲台通称・律(橋本環奈)、鷹岡明(高嶋政伸)ら刺客たちが次々に立ち現れ、殺せんせーの命を執拗に付け狙っていた。クラスメイト以外の部外者のin-outの動線も非常にすっきりしており、監督はそれを時系列に描写すれば最低限の緊張感は持続していたが、今回はそのシンプルな動線が残念なことに複雑に絡まってしまっている。殺せんせーに立ちはだかる刺客の存在が意図的に2人に絞られたことで、それ以外の雑魚の描写があまりにも乱雑過ぎたきらいがある。文化祭に現れたヒットマンや茅野カエデ(山本舞香)たちを誘拐しようとした他校の不良生徒の描写はまったくの蛇足だろう 笑。そもそもあの文化祭の場面の描写はそっくりそのままカットでも良かったし、その分クライマックスの描写をもう少し丁寧に膨らませて描いて欲しかった。当然軽部アナの出演場面も要らない 笑。だが前作ではどっちつかずになってしまっていた潮田渚(山田涼介)が密かに恋心を抱えるA組生徒の伏線描写をあえてぶった切り、復讐という悲しみを背負ったキミの背中を見守るボクという「キミ・ボク」の構図を明確にしたことで、セカイ系の物語としては関係性が鮮明になる。キミがふいに襟足を上げてうなじを見せる場面をうっかり覗き見るボクの描写には大いに唸ったし、そこからキミがまるで用意していたような白い布でフレーム全体を覆い、滑らかに活劇に転じる場面の羽住監督の手腕は非常に素晴らしかった。

問題は中盤の一番重要な回想場面のあまりにも緩慢な展開にある。元来、映画というのはあまり回想を得意としていない。映画における観客の興味・関心は常に現在→未来にあり、現在→過去にはなかなかなり得ない。しかしながら今作は語りの構成上、2人の刺客の独白部分はほとんど回想パートで占められており、また肝心要の殺せんせーの秘密の告白パートもそのほとんどが回想部分で占められる。前作が大した動機や理由、必然性もないまま、刺客たちの強烈な殺意を次々に積み重ねることで、ショットの連なりが圧倒的なエネルギーをもって胸に迫ったのに対し、今作の中盤場面はほとんどが登場人物たちの理由や動機の説明であり、その懇切丁寧さが時間の流れを弛緩させ、映画としての快楽を阻害しているように見える。全体の総量から見て、過去の回想場面が4割近いウェイトを占めるというのは、商業映画の最適化としてはいかがなものなのか 笑?

私は前作の論評で図らずも今シリーズの感触を、『新世紀エヴァンゲリオン』や『バトル・ロワイヤル』以降のいわゆるセカイ系を象徴する作品だと述べたが、その思いは今作を観るとより強くする。山田涼介が演じた潮田渚のあえて意図した弱々しい声色、一匹狼の菅田将暉の底知れぬ怖さがぶつかる中盤の『バトル・ロワイヤル』さながらの名場面がある。なぜ人は殺しあわなければならないのか?復讐を遂行しようとするキミと殺せんせーを同時に守るには?そもそも地球という空間の中で、一貫して無力な自分に一体何が出来るというのか?ひたすら自分の殻に閉じこもり、自問自答して来た男に迫り来る究極の二元論とリアクションはそれなりの説得力を有している。だがやはり、今作の主役は演出の比重においても思い入れにおいても、山田涼介が演じた潮田渚ではなく、柳沢研究所のガラス一枚を隔てた内側に幽閉されていた人物ではなかったか?羽住監督の演出意図はわからなくもないが、主役・脇役の線引きをもっと整理し、回想場面を抑制し、説明過多な部分をもっとスリムにすれば、このような複雑に動線が絡み合った映画にはならなかったはずである。その全部を成立させようとした監督の意欲は買うが、肝心要の映画は焦点や中心軸がしっかりと見えてこない。やらなければならない制約や妥協点と商業映画のバランスについて、あらためて考えてしまう。

#羽住英一郎 #山田涼介 #菅田将暉 #山本舞香 #暗殺教室卒業編

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