【第592回】『アメリカン・スナイパー』(クリント・イーストウッド/2014)

 2003年イラク、犬のような臭いを放つ空気、どこからともなく聞こえて来るアザーンの調べ、瓦礫の山と砂煙で壊滅状態になった街を、アメリカ海兵隊M1戦車はゆっくりと力強く歩を進める。その戦車を弾除けにするように、後ろから歩兵たちは潜伏する住民を探そうと、家々の門を蹴破って中に侵入する。その様子を後方から支援する特殊部隊ネイビー・シールズのスナイパーであるクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)の姿。彼は屋上に身を潜め、狙撃銃の引き金に手をかけ、そっと照準器に目をやる。屋上で何やら携帯電話で連絡を取っている男がいるが、実戦が初めての彼は、いちいち上官の指示を聞かなければ狙撃の判断が出来ない。そうこうしている間に男は住居に戻り、代わりに中から母親とまだ10歳にも満たない少年が出て来る。母親は黒のチャードルを全身に纏い、息子と寄り添いながら海兵隊の進路を塞ぐように立っている。明らかに民間人の格好である。だが次の瞬間、母親がチャードルの陰からRKG-3対戦車手榴弾を手渡すのを確認し、彼はもう一度引き金を引く準備をする。横にいる同僚の「間違っていたら軍法会議だぞ」の声にも怯むことなく、彼はアメリカの正義の名の下に引き金を引く。射撃の瞬間がオーバーラップし、時代はクリスの幼少時代に遡る。初めてのライフル体験で父親のアドバイスを聞きながら鹿を撃ち殺したクリスは、ライフルを地面に置いたことをこっびどく叱られる。日曜礼拝に家族4人で訪れる光景、まだ幼かったクリスには、教会の十字架よりも青い聖書の方に興味が行く。現在と過去を切れ目なく繋げるオーバーラップ、父親から子供に受け継がれる教育とイニシエーションの主題、陰惨な物語に立ち現れるシンボリックな十字架という3つのイーストウッドの署名が、開巻早々現れる導入部分の見事さが息を呑む。

主人公であるクリス・カイルは、イラク戦争で160名以上の戦闘員を殺し、「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」と呼ばれた人物として広く知られている。イーストウッドにとって今作は、『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』、硫黄島2部作に続く4本目の戦争映画だが、それ以外の作品においても、監督イーストウッドは戦争の爪痕を無理に隠そうとはしない。『グラン・トリノ』や『目撃』の主人公たちは朝鮮戦争帰りの退役軍人だったし、『ダーティ・ハリー』シリーズ1〜3に登場したサイコキラーたちはいずれも、ヴェトナム戦争帰りの若者だった。イーストウッドは既に60年代の終わりから、PTSDに似た症状をヴェトナム帰りの若者の苦悩として描いていた。監督デビュー作『恐怖のメロディ』でも、『ミスティ』をリクエストしながら、主人公に詰め寄る女は現代的にはストーカーに分類されるだろう。今作において兄クリスと弟コルトン(マックス・チャールズ)の兄弟は、信心深かった父親の教えを忠実に守ろうとする。小さい頃、仲間にいじめられ目が赤く腫れあがった弟と向かい合った家族4人の食事の時、父親は聖書のフレーズを引用しながら、弟を守るのはお前だと強く言い放った後、ズボンのベルトをやおらテーブルの上に叩きつける。その様子をじっと見つめていた母親は一言も言葉を発することがない。この異様なまでの常軌を逸した加虐性こそがイーストウッド映画の素地を作る。『ブロンコ・ビリー』のように、週末には馬に跨り金を稼ぐ兄弟の青春はやがて、TVモニターの向こう側に見たタンザニアとケニアにおけるアメリカ大使館爆破事件に生き様を見出す。『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』のような鬼教官によるしごきの描写は出て来るが、クリスにとって生涯の手本となるのは信心深かった実の父親の面影に他ならない。

『許されざる者』において、ウィリアム・マニーの誘いを断れずに再び賞金稼ぎの旅に出たネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)の背中を、呆然と立ち尽くしながら見つめた妻のように、戦争=殺人で傷つくのはいつだって女たちである。今作でも新婚早々のクリスの出兵を、妻タヤ・カイル(シエナ・ミラー)は寂しげな表情で見つめるしかない。右手でライフル銃の引き金に手をかけ、片目で照準器をじっと見つめ、左手でアメリカに残した新婚妻に電話をかける様子は、『ホワイトハンター ブラックハート』において、女優の小言を聞きながら、上の空で手帳にスケッチしていたジョン・ヒューストン以上の神業を見せつける。実戦では絶対に有り得ない話だが、トラックの下に落ちた携帯の声のしない受話器に向かい、妻タヤが何度も呼びかける姿の描写が凄まじい。ここでも『許されざる者』以降の父性の欠如の主題が一貫して頭をもたげる。妻の制止を無視し、クリスは合計4度も不毛な戦争に加担する(加担せざるを得ない)。そのことに苦しむのは愛する妻であり、まだ幼い息子と娘に違いない。アメリカ軍クリス・カイルと、元五輪金メダリストでイラク軍のムスタファ(サミー・シーク)の鏡像関係は、『ダーティ・ハリー』におけるハリー・キャラハンと連続殺人鬼スコルピオの裏表一体の危うい関係同様である。クリスがもはや「Kids」と呼べるだろう自分の息子や娘の世話を怠り(それがクリスの選択ではなく。アメリカ合衆国の選択だったとしても)、アメリカから遠く離れたイラクの子供らを多少の躊躇がありながら撃つ殺す様子は、2000年代のイーストウッドの陰惨さを見守った観客にとってはあまりにも痛ましい。2人目の娘が生まれた時、保育器に入った彼女の泣き声をフォローしない看護師にブチ切れ、何度も窓を叩くクリスは何らかの「妄執」に取り憑かれている。2000年代で最も陰惨なクライマックスを持った今作は皮肉にも、イーストウッド映画最大のヒットとなった。

#クリントイーストウッド #ブラッドリークーパー #シエナミラー #マックスチャールズ #サミーシーク #アメリカンスナイパー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?