【第502回】『ダーティハリー』(ドン・シーゲル/1971)

 西海岸サンフランシスコ、殉職警官たちの名前が順番に書かれた記念碑、左上に燦然と輝くサンフランシスコ警察の金バッジ。ラロ・シフリンの奇妙な音楽に乗せて、殺人鬼の構えるライフルの筒のクローズ・アップ、切り返された照準鏡の十字に彩られた丸い視界。射程距離に収めるのは屋上のプールを優雅に泳ぐ富裕層の美女、黄色い水着を着ながら、優雅に平泳ぎを楽しみ女の背中に、男の凶弾が突き刺さる。その瞬間、女は即死し、全身脱力した身体がプールに沈む。拡がるおびただしい血。この凶行に及んだ犯人は、覗き見た女を明らかに快楽の餌食として弄ぶ。そのエロティシズム溢れる暴力描写が凄まじい。やがて殺人現場を訪れたハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は死体の状況を確認し、空間把握により、犯人が狙った現場に当たりをつける。スーツ姿に真っ黒なサングラスの颯爽とした男は、ビルが立ち並ぶサンフランシスコのオフィス街を歩く。やがて隣り合うビルの屋上へとゆっくり上がり、犯人と同じ視点で惨劇現場を見つめる。その足元に絡む異物。ハンカチで薬莢を拾い上げ、封筒に入れたキャラハンは犯人が書いたものと思き1枚の便箋を手にする。「毎日1人ずつ殺す。実行されたくなければ10万ドル払え」。あまりにも理不尽な男の要求に市長(ジョン・ヴァーノン)、マッケイ本部長(ジョン・ラーチ)ら官僚機構のお偉方は首を横に振る。その様子を憮然とした表情で見守るハリー・キャラハンの表情は、ヒロインの口から自然に出た「ASS(ケツ)」の言葉に怪訝な表情を浮かべる主人公と同等の驚きと怒りに満ちている。

今作はサスペンスでありながら、刑事物であって純然たるミステリーではない。それゆえに貴婦人を狙い銃弾を放った犯人の姿はあっさりと開示される。無造作に伸びた長髪、ピース・マークを刻み込んだバックル、白い靴紐のパラシュート・ブーツを履いた犯人スコルピオ(アンディ・ロビンソン)は明らかに「ゾディアック・キラー」(星座殺人鬼)を想起させる。サマー・オブ・ラブとマリファナ、LSD信仰、そしてベトナム出兵に揺れた70年代初頭のアメリカでは、犯罪率の増加が深刻な社会問題となっていた。都市部の治安は悪化し、若者たちの無軌道ぶりを沈静化させるために、官僚機構は若者たちの口を無理矢理暴力で塞いだ。そういう時代の閉塞感こそが、70年代初頭を「暴力の時代」たらしめたたのは云うまでもない。スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』、サム・ペキンパー『わらの犬』、ウィリアム・フリードキン『フレンチ・コネクション』など暴力の嵐が同時多発的に産み落とされた。マーヴィン・ルロイの『犯罪王リコ』などで悪役として名高かったエドワード・G・ロビンソンの息子として登場したサイコキラーのアンディ・ロビンソンは、ベトナム戦争を描くことはご法度だった時代に、明らかにベトナム戦争帰りとして造形される。いわゆる小児性愛者としての側面も快楽殺人鬼としての側面も併せ持つ男の病は「ゾディアック・キラー」を連想させるが、今でいうところの「PTSD」の衝動も滲んでいる。処女作『危険なメロディ』のストーカー同様に、PTSDさえも現代病に認定されることを予知したイーストウッドの先見性にはただただ驚く。

ベトナム戦争の国家的トラウマを抱えながら、やがて訪れる捜査の限界は「法と正義の行使の不一致」というイーストウッドの生涯に渡り通底するテーマを如実に映し出す。当時のミランダ警告を盾にした男の主張は、被害者の人権よりも加害者の人権を重んじる法律の抜け穴を極端に照らす。官僚機構vs個人(ハリー・キャラハン)の構図は、ここに来てアメリカの虚を突き、法律で裁けない加害者はハリー・キャラハンを嘲笑い、罠にかける。ここではテッド・ポストの『奴らを高く吊るせ!』とは真逆の立場で、現代劇の中に西部劇の「自警団」の論理を突きつける。「Do You Feel Lucky?」というお決まりのフレーズ、メキシコ系のチコ・ゴンザレス刑事(レニ・サントーニ)というマイノリティへの視点は続くシリーズでも踏襲され、その教育的失敗は後に『ルーキー』で結実する。中盤のホットドッグを頬張りながらの銀行強盗阻止の名場面は明らかにラオール・ウォルシュ『白熱』のオマージュだし、クライマックスのバッジを川に投げる場面はフレッド・ジンネマン『真昼の決闘』をも彷彿とさせる。中盤の銀行強盗のバックの映画館で流れる『恐怖のメロディ』の看板、監督のドン・シーゲルの急病により、急遽メガホンを取ったイーストウッドが6日の約束を僅か20数時間で撮り上げた飛び降り自殺のシーンなど、後のイーストウッドの早撮りの美学は見事にシーゲルから受け継がれている。ブルース・サーティース×イーストウッド・コンビお得意の空撮ショット、俯瞰と仰角、ロングとクローズ・アップのメリハリ、途中「イエスは救い給う」と書かれた青と赤のネオンサインで行われる縦構図の銃撃戦、身代金を持ってきた待ち合わせ場所に微かに見える十字架のサインなど、この後のイーストウッドのキャリアにおいて必要不可欠な要素が散りばめられている。法の裁きを待たずに、刑を執行しようとする「自警団」の教えが現代劇においてどう有効だったのか?それは後年の『トゥルー・クライム』や『ミスティック・リヴァー』を見ればある種の自戒として立ち現れる。西部劇から現代的な刑事へと転身を図るプロトタイプとなった『マンハッタン無宿』を経て、ハリー・キャラハンはイーストウッドにとって生涯最高の当たり役となった。

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