【第336回】『シンドラーのリスト』(スティーヴン・スピルバーグ/1993)
1939年、ポーランド南部の都市クラクフにドイツ軍が侵攻した。ドイツ人実業家のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、一旗揚げようとこの街にやって来た。彼は金にものを言わせて巧みに軍の幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルン(ベン・キングズレイ)をパートナーに選んだシンドラーは、軍用ホーロー容器の事業を始める。
スピルバーグが自らのルーツであるユダヤ人大量虐殺という20世紀史上最悪の事件と向き合い、撮影された3時間15分に及ぶ超大作。ナチスドイツの侵攻により、住む場所さえ奪われたユダヤ人たちが一箇所に集められ、強制労働させられる光景はあまりにも残酷で言葉も出ない。やがて狭い地域に押し込められ、財産も何もかもを全て没収され、気に入らない家族はその場で躊躇なく射殺された。ナチスの言う強制労働とは、文字通り消耗し尽くして息絶えるまで幾晩も続けられ、ドイツの軍需産業に奉仕させられたのである。今作においてナチスドイツによる無慈悲で非道な処刑は何度も繰り返される。名前を呼ばれ外へ出た瞬間に頭を撃ち抜かれた老人、隊列に従わず逃げ出したところを後ろから撃たれ卒倒する少年、命令に従わず住居の板の間の下のトンネルに逃げた女たち、それら武器を持たないごく普通の一般市民が、軍服を着て銃を持った男たちに躊躇なく殺されていく。病人や抵抗者や不穏分子はすぐに殺され、隠れようとした人間も同じように処刑される。戦争というのは信じられない悪夢のような光景だというが、今作の映像はまさにそのようなものとなっている。
そんなユダヤ人たちにとって救世主のような男が裏路地から現れる。権力を持つ人間はヒトラーの命令のもと、ユダヤ人たちに強制労働させ、やがて別の極寒で劣悪な収容所へと追いやろうとするが、それを阻止する人間としてオスカー・シンドラーは現れる。酒、女とだらしのない生活を送ってきた男が日常的に起こる処刑の惨劇の光景を目撃し、ユダヤ人を救うために奔走する。シュテルンの活躍で、ゲットーのユダヤ人たちが無償の労働力として、シンドラーの工場に次々に集められる。事業はたちまち軌道に乗り、シンドラーはシュテルンに心から感謝する。なぜシンドラーにそのようなヒトラーに反旗を翻すような活動が可能だったのか?彼は自分もナチスの党員であり、権力志向の強い軍人に取り入るのが巧かったのである。巧みな話術が通じなければ、賄賂も辞さないそのやり方で、ナチスの戦時用品を作っているという触れ込みのもと、巧妙にユダヤ人をかくまっていく。彼の着るスーツはいつも綺麗で、シャンパンやタバコなどの高級品を嗜み、ナチスの紋章をつけていない大男は、頭の切れるイツァーク・シュテルンと共に、ナチスの軍人たちを次々に出し抜いていく。
そこに現れるのがアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)である。プワシュフ収容所に着任してきた若き将校は、所内を見下ろす邸宅で、酒と女に溺れる生活を送る一方、何の感情もないまま無造作に囚人たちを射殺していた。アーモンが上半身裸で2階のベランダから、動きの鈍いユダヤ人たちを撃ち殺す様子はあまりにも残酷で容赦がない。彼は殺戮をゲームでも楽しむかのように実行し、何ら悪びれる様子もない。ここでスピルバーグはパート・カラーによって赤いドレスを着た少女を登場させる。彼女の着た真っ赤なドレスはその戦場にいる誰の目にも明らかな鮮やかな赤であり、シンドラーの目にも観客の目にも留まる。ここでは『太陽の帝国』のように、戦火の中で親と生き別れた子供たちに生き残る術はないのである。シンドラーはそんな地獄のような日常に耐えかねて、生産効率の向上という名目でユダヤ人労働者を譲り受け、私設収容所を作ることを許可してもらう。
幾つか伏線として語られる子供達のエピソードは深く心に刻まれる。ドイツ兵の使い走りのような仕事をしている7歳くらいの子供は、知人を見つけてはそこに匿い、ドイツ兵にこっちにはもう逃げてきた人間はいないと嘘を告げるのである。彼は行動はまさにスピルバーグお得意の「大人びた子供」の出現に他ならない。また別の挿話では、ドイツ兵の目を盗み、どこか隠れる場所を探す少年だったが、隠れられそうな場所は全て先を越されており、最後には公衆便所の汚物の中に飛び込むが、そこにも子供達が先に隠れていて、出ていくことを命じられるのである。その中でしたたかな子供はシンドラーにその能力を買われ、救い出されることになる。この生きるか死ぬかの紙一重の作業に裁量を加えるのはいったい誰なのか?シンドラーとアーモンは実は紙一重の人間であり、救うも処刑するも全てが運と裁量でしかなかったというのはあまりにも重苦しい。
『太陽の帝国』同様に、自国の敗戦が濃厚になったナチスドイツは、そこで遂に処刑の地となるアウシュヴィッツへ奴隷たちを連行する。ここで労働力となるか処刑となるかは、全裸にして医師たちが健康状態を目視で判断するだけだが、その瞬間はほんの僅かであり、そこに彼らの人格や生い立ちなどはまったく加味されない。その残酷なまでの選別作業の際にかかるドイツ語のオペラ曲が一層哀れを強調する。シンドラーはチェコに工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を要求する。急ぎリストアップされたのは1200人。深夜にまで及ぶリストアップの作業は、シンドラーとシュルテンが彼らの名前を逐一思い出す作業により練り上げられる。途中、役人の嫌がらせにより女性囚人がアウシュヴィッツへ転送されたが、シンドラーはここでも役人に巧みにワイロを渡し、彼女たちを処刑目前で救い出す。ここでもスピルバーグは「最後の瞬間の脱出」に静かなるアクションへの思いを込める。やがて1945年が訪れると、ドイツは無条件降伏し、ユダヤ人は解放された。ラストの金歯を溶かして作った指輪は、残されたユダヤ人からシンドラーへの心からの感謝であり、指輪がシンドラーの指にはめられた瞬間は、何度観ても溢れる涙を抑えることが出来ない。彼は自分が贅沢をしなければあと1人の命が救えたかもしれないと涙ながらに語るが、彼が救った1100名に及ぶユダヤ人がその後子孫を作り、6000名のユダヤの歴史になっているのは言うまでもない。ラストのカラー・フィルムにおける生き延びた人間たちのシンドラーとの墓参りはこの映画の幕切れに相応しいものとなる。
余談だが今作の映画化のために、原作者であるトマス・キニーリーと最初に映画化契約を交わしたのは『死刑執行人もまた死す』の監督であるフリッツ・ラングであった。彼は今作の映画化を悲願とし、生前映画化しようと何度も試みるも頓挫。その権利が後にMGMからユニバーサルに渡り、監督候補にはビリー・ワイルダー、マーティン・スコシージ、ロマン・ポランスキーなどが挙がっていた。しかしながら重役たちは『ジュラシック・パーク』との抱き合わせで最終的にスピルバーグに打診し、了承を得たのである。聞くところによれば『ジュラシック・パーク』の制作費6300万ドルに対し、本作は2500万ドルとあまり潤沢とは言い難い額であったという。それでもスピルバーグが今作における「喪の作業」によって得ることになった賞賛は何物にも代えがたい名誉となった。個人的には今作における撮影監督ヤヌス・カミンスキーとの出会いが、この後のスピルバーグにとってあまりにも大きな出会いとなったと見ている。90年代の傑作中の傑作であり、スピルバーグ映画における代表作である。
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