【第492回】『夕陽のガンマン』(セルジオ・レオーネ/1965)

 荒涼とした山々を一望出来る崖の上から俯瞰するロング・ショット。画面奥から近づいてくる馬に乗った男は米粒のように小さい。牧歌的な口笛の音色が聞こえた後、しばしの沈黙を経て、辺り一面に銃声が鳴り響く。その瞬間、男は馬からもんどり打つように転げ落ちる。びっくりした馬は前足を高く掲げ、あまりの状況にパニック状態に陥る中、2発目3発目の銃声がこだますると、馬は一目散に荒野を駆け抜ける。残されたのは一発で仕留められた賞金首の死体だけである。シーンが変わり列車の道中、車掌が切符を確認して回っているが、4人掛けの前の席に座る初老の男が、この列車はトゥーカムケアリには止まらないと何度も声を掛ける。男はそれを遮るように、顔を隠し本を読んでいるが、あまりのしつこさに耐えられなくなったのか、本をゆっくりと降ろし、鋭い眼光で睨みをきかせる。その強烈な目を見た途端、男は恐怖のあまり押し黙る。列車を間違えた旅人ダグラス・モーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)は勢い良く非常綱を引く。列車は急停車し、彼が意図していたトゥーカムケアリ駅の前で止まる。黒いコートに身をまとった眼光鋭い偉丈夫はいったい何者のなのか?男は駅舎に貼ってある賞金首のチラシを剥がす。今作はイーストウッド主演×セルジオ・レオーネ監督コンビによる『名無し三部作』シリーズの2作目である。前作『荒野の用心棒』でもコルトとウィンチェスターの射程距離の差が物語の重要な核となったが、今作でも彼の放つ銃は距離感をも呑み込む。

建前上はクリント・イーストウッドのヨーロッパでの2本目の主演作になるのだろうが、冒頭のセルジオ・レオーネの演出の熱量から鑑みても、実質の主役はイーストウッドではなく、リー・ヴァン・クリーフであろう。かつて大佐として南北戦争に出兵しながらも、現在の彼は流転の日々を送っている。だが導入部分にもあったように、保安官のワイアット・アープも使用したと言われている彼のバントライン・スペシャルは、前作『荒野の用心棒』で殺し屋ラモンが持っていたウィンチェスター・ライフルをも凌ぐ射程距離の長さを誇る。オマケに先を見通す知性にも優れているが、乗る列車を間違えるなどたまに抜けたところもある。彼は南北戦争から退役後、何かのはずみで賞金稼ぎとして裏稼業に生きている。彼の向かう先には常に死体の山が拡がるのだが、今度の賞金首には新入りのライバルが既に待ち構えている。前作ではジョーだった「名なしの男」が今作ではモンコ(イタリア語で片端の男の総称)と名前を変えている。ポンチョ姿に泥だらけの薄汚い頬、炸裂するファニング、くわえ煙草などの意匠はそのままに、ただ賞金だけに魅せられた殺し屋としての非情さと、モーティマー大佐の裏を掻こうという若さゆえの無鉄砲さを同時に体現する。最初の酒場のシーン、モンコは拳と拳の殴り合いのシーンにも左手しか使わない。彼は健康的な両腕を持つ若者ながら、徹底して銃を撃つ時だけしか右腕は使わない。それゆえに片端の男=モンコと呼ばれているのである。

セルジオ・レオーネの視線の交差は前作以上に冴え渡る。モーティマー大佐が敵の数と陣容を把握する際、左下を見下ろしていた視線を真っ直ぐに向けるとそこにはモンコの目がある。時代が時代だけに、図書館の下調べを経て、血気盛んな若者と、南北戦争を戦い抜いた名うての男が互いの実力を見せ合う深夜の決闘場面が何度観ても素晴らしい。殺し屋ならば普通は心臓や頭部を狙うはずだが、彼らは互いに身につけた帽子を撃ち合う。その姿はまるで手品のような図式的ハードボイルドを象徴する。ここでも前作『荒野の用心棒』同様に、モンコのテクニックは明らかにモーティマー大佐には及ばない。それでも大佐は彼を生かし、仲間にならないかとへりくだり、握手を求めるのである。今作で敵役エル・インディオを演じたジャン・マリア・ヴォロンテは前作『荒野の用心棒』以上の粗暴さを隠そうとしない。女・子供を躊躇なく殺し、横になるその目は明らかに麻薬に冒されている。西部劇では常に主人公たちに追いやられていた先住民を名乗るエル・インディオという男の巨大な暴力は、アメリカ製の西部劇ではなく、スパゲティ・ウェスタンならではの強靭な視点を備えている。終盤、モンコとモーティマー大佐が何度も交わす視線こそが来たるべきクライマックスへの端緒を作る。レオーネにとって一度のクール・ダウンはヒーローたちの「瀕死」を表現するが、それでもヒーローたちは復活する。前作『荒野の用心棒』とは打って変わり、膨れ上がった制作費がそのまま2時間11分という尺につながったのは云うまでもない。その姿に早くもレオーネの大作主義の萌芽が見て取れる。それゆえに脚本が中盤以降、やや間延びするのは否めないが、今作でレオーネは明らかに滅びゆくジャン・マリア・ヴォロンテ、復讐に取り憑かれたリー・ヴァン・クリーフに同等の熱量を注いでいる。それは夕陽に消えていくのが誰なのかにも明らかだろう。クラウス・キンスキーの怪演ぶりも素晴らしい傑作である。

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