【第525回】『ダーティハリー4』(クリント・イーストウッド /1983)

 サンフランシスコの広大な夜景を切り取った美しい俯瞰ショット。『アルカトラズからの脱出』にも登場したゴールデン・ゲート・ブリッジを遥か向こうに臨む光景。夜明け前、ゴールデン・ゲート海峡のゴツゴツとした岩山に面した岸壁に停車する一台の車。中では男と女がいま口付けを交わし、愛し合おうとしている。女のバッグからゆっくりと隠れて取り出される一丁の拳銃。女は至近距離から眼前に構え威嚇し、男の反応を見るが希望通りの反応が得られなかったのか、2発の銃弾を発射する。一方その頃、昼間の裁判所の法廷では午前9時に裁判が開始する。全員が席に着く一方で、遅れて入ってくる強面の刑事の姿。グレーのスーツに身を包み、怒りの表情を隠すような黒のサングラス。法廷では女裁判長により、ハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)の捜査はまたも違法だという判決が下る。その判決に高笑いする原告のチンピラたち。キャラハンは憮然とした思いを抱えながら、原告たちと同じエレベーターに乗る。主犯格とされた男はキャラハンを挑発するが、そのナメた態度がキャラハンの逆鱗に触れ、胸ぐらを掴まれる。いつもの馴染みのカフェに立ち寄ったキャラハンは新聞を買い、いつもの如く1杯のコーヒーを頼む。紙面に夢中になる刑事のそばで、ウェイトレスの女が砂糖を限界まで入れている。それを見つめる黒人たちの鋭い眼差し。男は足早にカフェを出るが、コーヒーを一口飲んだところで吐き出す。こうして強盗犯たちとの息詰まるような攻防が始まる。

サンフランシスコ市警察殺人課に勤めるハリー・キャラハン刑事の活躍を描いた『ダーティハリー』シリーズの第4弾。4作目にしていよいよ満を持して自身が初監督となった今作。1と3に登場したフランク・ディジョージオは殉職し、アル・ブレスラー警部補(ハリー・ガーディノ)も何故かいない。依然として上司であるブラッドフォード・ディルマンは在職するものの、3でのマッケイ市警察本部長から市警殺人課課長ブリッグスに名前を変えている。本部長から課長職への降格は考えにくいため、まったく別の人物として造形されている可能性が高い。70年代にはその優れた銃の腕前で、何度も表彰されてきたキャラハンも80年代に入り、クリーンな捜査を推し進める市警幹部たちとの折り合いは悪化している。マフィアのボスの孫娘の結婚式に乱入し、心臓発作で倒れたことを偶然の報いだと言い張るキャラハンはここでは市警のお荷物でしかなく、上層部は彼に休暇を言い渡す。1ではメキシコ人、2では黒人、3では女性警官と変遷した相棒も今作では遂に消え、キャラハンの孤立感はますます深まっている。股間を撃ち抜かれた被害者の横で、無神経にホットドックを食らう白人の男は一応出て来るが、彼と結束して捜査を行っていない以上、相棒とは言い難い。3と同様に、むしろ彼を銃器面で後方から支えるホレース・キング(アルバート・ポップウェル)だけが唯一の味方だろう。1では銀行強盗役、2では売春組織のリーダー役、3では黒人過激派のリーダー役で皆勤出演しているアルバート・ポップウェルが今作では警察側に回り、キャラハンの代名詞である44マグナムとは別の武器を彼に授けることになる。

今作でイーストウッドは偉大なシリーズの2と3を肯定しつつも、出来るだけ『ダーティ・ハリー1』の設定に戻そうとしている。1のサイコ・キラーであるスコルピオがあの『ゾディアック事件』の犯人を参考にしながらも、一貫してヴェトナム戦争の惨劇の負の遺産として造形されていたのは記憶に新しい。2と3も同じく、ヴェトナム戦争の帰還兵をターゲットにしながらも、複数犯にしてしまったことで肝心の焦点がぼやけてしまったのは否めない。ヴェトナム戦争の帰還兵という主題で言えば、自らが演じた『ファイヤー・フォックス』がイーストウッドなりの総括であり、一先ずの結びであったことは想像に難くない。つまり今作は単独犯でありながら、ヴェトナムとはまったく別個の加虐のトラウマを浴びた人間の造形が必要なのである。ジェニファー・スペンサー(ソンドラ・ロック)は10年前、仕事仲間の女からあるパーティに誘われ、妹と連れ立って顔を出すが、そこで男たちにレイプされる。その時から妹は精神病院に入院し、口が聞けない。ジェニファーはこの妹の復讐のために、当時の強姦魔の股間と頭を撃ち抜いて次々に殺す。遊園地の回転木馬と輪姦シーンのカットバックの異様さ、拳銃を股間に向ける=去勢のイメージは、かつてのドン・シーゲル『白い肌の異常な夜』の片足の切断シーンを思い起こさせる。被害者遺族が深い傷を負いながら何とか生きる中で、輪姦事件の容疑者たちは今もサンパウロ市内でのうのうと生きている。強引に紐付ければ法が悪を裁かない以上、個人が銃を持って闘うしかないことをイーストウッドは声高に叫ぶことになる。

この「法と正義の行使の不一致」の主題は、ジェニファー・スペンサーとハリー・キャラハンに奇妙な親和性を持ち込む。西部開拓史時代には、馬を盗んだり人を無秩序に殺した者に裁判を受けさせず、民衆の前で吊るし首にすることが許容されていた。イーストウッドは常にこの西部開拓史時代と現代との差異を浮き彫りにする。加害者の人権を重んじる現代アメリカにおいては、西部開拓史時代の自警主義に根ざした「私刑」で報復するしかない。今作のジェニファー・スペンサーの行動はまさにこの「私刑」でしかない。その理由として、当時の加害者たちは誰もジェニファーの顔など覚えていない。ただ一人、罪の意識に苛まれたサンパウロ市警のジャニングス署長(パット・ヒングル)の息子だけは、事件の責任に耐えかね、投身自殺を図る。この病める息子を官僚主義で隠蔽しようとするジャニングス署長を演じるのは、『奴らを高く吊るせ!』で町のアダム・フェントン判事を演じたパット・ヒングルであるという事実が、自警主義に根ざした「私刑」の念に拍車をかける。クリント・イーストウッドは『ダーティ・ハリー』をアクションではなく、あくまで上質なサスペンスとして位置付けている。カフェでの撃ち合いも、原告だったチンピラたちとのカー・チェイスもあるにはあるが、そこが『ダーティ・ハリー』シリーズの本質ではない。ジェニファー・スペンサーがサンパウロに居を構えた仮初めの住居は、断崖絶壁に佇むデザイナーズ・マンションであり、イーストウッドの処女作『恐怖のメロディ』の主人公デイブ・ガーランドの住居とびっくりするくらい符号する。今作は一枚の絵をモチーフにした『恐怖のメロディ』と同工異曲の様相を呈しながらも、「法と正義の行使の不一致」の主題を見事に総括したプログラム・ピクチュアたり得ている。

#クリントイーストウッド #ソンドラロック #ブラッドフォードディルマン #パットヒングル #アルバートポップウェル #ダーティハリー4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?