【第233回】『DOOR3』(黒沢清/1996)

 95年から96年にかけての黒沢清は、『勝手にしやがれ!!』シリーズ全6本を含む、合計9本の映画を立て続きに撮った。黒沢清の40年に及ぶフィルモグラフィにおいて、これだけ膨大な量の映画を撮ったことは後にも先にもない。それらは全て80分以上90分以内の長編劇映画であり、プログラム・ピクチュアとしての厳密な撮影方法と語るべき物語とを同時に保有していた。『勝手にしやがれ!!』シリーズも『復讐』シリーズも、宝塚映像からの流れの中、自然とケイエスエスとツインズの共同出資で製作されていたが、その中で例外的に彩プロと(株)高澤の出資で製作された。

この『DOOR』という企画はもともと80年代後期のバブル景気の時代に、高橋伴明によって撮られたホラー映画である。高橋伴明の『DOOR』はあまり覚えていないのだが、確か夫の留守中に押し入ったセールスマンによる不法侵入の恐怖を描いた映画だった。主演は高橋伴明の奥様である高橋恵子で、TBSの十津川警部に出ていた堤大二郎の怪演ぶりがかなり怖かった。『DOOR2』も高橋伴明監督で撮られ、主演は青山知可子だったようだが、残念ながら観ていない。今作はそのパート3として、『DOOR』から8年後に製作された物語である。

大手保険会社の外交員の佐々木京(田中美奈子)は、昇進まで後一歩というところで営業成績が伸び悩んでいた。ある日、新規の契約開拓のために飛び込んだビルで、京は美貌の青年と出会う。若くして外資系企業の上級管理職の座にある藤原美鶴(中沢昭泰)というその青年は、不思議なオーラと怪しい香りを身にまとっていた。謎の多い美鶴に、京は警戒しつつも魅了されていく。美鶴と出会った日から、京の周りには奇怪な出来事が起きるようになっていた。

Jホラーや黒沢清の傑作ホラー群を観てしまった後では、ごく普通のホラー映画に映る。ファム・ファタールの男版のような不気味で怪しい男がいて、営業成績が伸び悩む主人公の佐々木京(田中美奈子)は、彼の会社に押し売りでセールスをかける。その会社に一歩足を踏み入れたところから、明らかにおかしい雰囲気が滲んでいる。社内には女性しかおらず、彼女たちもあくせく働く様子もなく、スローモーションのようにゆっくりと動き出す。彼女が部長室に足を踏み入れると、そこには綺麗な顔立ちをした長身の男性がいる。主人公は彼に会った瞬間、恋に落ちるが自分の中にある警戒心が解けない。

彼と会った瞬間から、周りで奇怪なことが連鎖的に起こるという設定は、後の黒沢映画を予感させる。留守番電話に流れるノイズ。こっちを見ている赤い服の女。川向かいからこちらを凝視する黒装束の女。風に揺れるカーテンなどはこの後の作品においても繰り返し用いられたモチーフである。Jホラー以前、黒沢は小中千昭が提唱する「小中理論」を崇拝しており、今作は唯一、小中千昭の単独脚本によるホラー映画となっている。

カメラの動きもだいぶ実験的で、とあるBARで藤原が佐々木京を初めて誘惑する場面を大胆に長回しで撮っている。ミディアム・サイズで正面から対象を据えたその長回しはやや凡庸で、黒沢が男女の交わりに不得手であったことを示す証拠となっている。むしろこの場面よりも、川向かいから黒装束の女がこっちを見つめている様子を望遠レンズの揺れるフレームで抑えた場面にこそ、黒沢の才気を感じずにはいられない。『地獄の警備員』で初めてお目見えした半透明カーテンは、今作でも主人公が藤原の正体を突き止めようと、文献を探す場面で用いられる。半透明カーテンの向こうには、明らかに何者かのシルエットがあり、半透明カーテンをいとも簡単に潜り、彼女たちは主人公のいる空間へと侵犯する。けたたましいBGMと共に、この瞬間はあまりにも怖い恐怖体験となる。

今作では佐々木京の上客である大杉漣以上に、京の直属の先輩だった阿部雅夫(諏訪太朗)の活躍ぶりが素晴らしい。保険会社の外交員を辞め、別の会社に移った諏訪太朗は彼女の頼みを聞き入れ、藤原の正体を探る。その過程で、藤原が謎の変死を遂げていることに気付いた諏訪太朗は、主人公と連絡を取ろうとするが、不幸にも初期の携帯電話はあまり電波が入らない。藤原の古い豪邸に辿り着いた諏訪太朗は、返答がないためうっかり扉を開けてしまう。そこには仰々しい銀色の扉が備え付けられている。恐る恐るその扉を開けてしまった諏訪太朗に、残酷な運命が待ち構えている。

この場面は明らかにトビー・フーパー『悪魔のいけにえ』を想起させる。これは私の勝手な憶測になるが、この『悪魔のいけにえ』の無邪気なオマージュだけで、黒沢がこの企画を引き受けた可能性は大いにあるのではないか?最初に銀色のドアを開け、犠牲となるのは田中美奈子でも真弓倫子でも天宮良でもない。諏訪太朗だということに今作の核心があるのではと考える。彼は主人公の依頼を受け、身を呈して主人公に警告を発しようとする。その警告が元となり、主人公は真弓倫子の二の舞となることをかろうじて拒否する。

しかしながらその諏訪太朗の警告も虚しく、最終的には南米の寄生虫を退治したものの、主人公はどういうわけか感染し、逃れられない運命の犠牲となってしまう。この「感染」という言葉は、黒沢がホラー映画を突き詰めていく時に、あらためて大きな意味を持つことになるのである。『CURE』然り、『回路』然り、この感染力の強さを黒沢は自らの物語の中に巧みに忍ばせている。そのルーツであり端緒が今作にはしっかりと見える。

#黒沢清 #田中美奈子 #諏訪太朗 #トビーフーパー #DOOR3

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