【第580回】『父親たちの星条旗』(クリント・イーストウッド/2006)

 寂しげな男歌が流れた後、老人の耳元で聞こえる「Corps-Man」という絶叫、辺り一面焦土と化した硫黄島の荒れ地で、仲間の姿を必死に探す衛生兵ジョン・“ドク”・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)の姿。悪夢のような光景を夢に見た老人は、悲鳴のような声を上げながらベッドから突然起き上がる。少し気持ちを落ち着かせようと、階段をゆっくりと上がった瞬間、胸を押さえながらドクは突然倒れる。悪夢の中、銃声が聞こえる地獄のような島で、彼は叫び声の聞こえる方向に一目散に駆けつける。日本軍の砲撃を受けて、動けない仲間の姿。皮膚はえぐられ、こぼれ落ちそうな臓物と血液の中、包帯を巻いたら仲間の元へ運んでやるという励ましの言葉。そこに短刀を持った日本兵が背後から飛びかかる。1945年、海軍の衛生兵として硫黄島に赴き、海兵隊と共に戦ったドクは、あの悲惨な戦争を生き永らえ、今はウィスコンシン州でしがない葬儀屋を営んでいた。彼は1枚の写真、ジョー・ローゼンタールが撮った硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を掲揚する瞬間を撮影した『硫黄島の星条旗』により、アメリカ中の英雄となった3名のうちの1人だったが、何故かその時のことを家族には一度も語ろうとしなかった。息子のジェームズ・ブラッドリー(トム・マッカーシー)は死を目前に控える父親の秘密を知ろうと、かつての硫黄島作戦の頃の仲間に声をかける。そこで話される物語は息子の想像を遥かに超えるものだった。

今作はドクの息子ジェームズ・ブラッドリーによって執筆された小説を元に、アメリカ側から描いた今作と、日本側からの視点で描かれた『硫黄島の星条旗』の二部作として製作された。1944年、小笠原諸島の硫黄島で35日間に渡り繰り広げられた戦争により、アメリカ、日本両軍におびただしい数の死傷者が出た。クリント・イーストウッドと撮影監督トム・スターンの戦争描写は、今作の製作総指揮を務めた盟友スティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』ほどのダイナミズムとカタルシスはないが、これまでのイーストウッド映画で最大のショット数なのではと思うほどに、矢継ぎ早で性急なショット構成が息を呑む。辺りに立ち込める砂煙、モノクロ映画のような乾いた画調、アイスランドで製作された島での戦いは、臭気までも感じさせるほどである。この戦争に最前線に立つ兵士としてではなく、あくまで歩兵隊の一兵卒として帯同したジョン・“ドク”・ブラッドリー、レイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)、アイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)の3人は過酷な状況に置かれながらも、最前線で戦うハンク・ハンセン(ポール・ウォーカー)、ラルフ・“イギー”・イグナトウスキー(ジェイミー・ベル)らに助けられながら、硫黄島攻略作戦を辛くも生き抜く。敵の砲撃に遭いながらも、命を懸けながら星条旗を掲げた第一陣の奇跡のような活躍に対し、ドク、ギャグノン、ヘイズらは第二陣として、戦場カメラマンであるジョー・ローゼンタールにより、あくまで安全圏から撮られた写真に過ぎない。だが彼ら第二陣の1枚の写真はたちまちアメリカ全土を駆け抜け、戦争の英雄として賞賛を浴びる。

彼ら3人の作られた「イメージ」は戦争で疲弊し、貪するアメリカに勇気を与え、皮肉にも国債は好調な売れ行きを記録する。キース・ビーチ(ジョン・ベンジャミン・ヒッキー)の調子の良い掛け声の欺瞞ぶりは、これまでのイーストウッド映画同様、官僚機構への強い怒りを隠さない。ドク、ギャグノン、ヘイズの仮初めの英雄譚を利用し、アメリカ全土に勇敢だった3人の姿を賞賛して回る偽りのツアーは、アイラ・ヘイズの心身を完膚なきまでに打ち砕いてゆく。イーストウッドはあえてドク、ギャグノン、ヘイズ役に有名な俳優を起用せず、ヒーロー不在のドラマを紡いでゆく。本来ならめでたいはずの式典は、ドクに硫黄島の戦場をフラッシュバックさせる。大音量のブラスバンド、無数に焚かれたフラッシュの波に、地獄の戦場を思い出す様子はウォルフガング・ペーターゼンの『ザ・シークレット・サービス』で最前線で大統領を護衛したフランクの姿を真っ先に想起させる。アイラ・ヘイズの嘔吐の後、列車がすれ違う際の轟音とライト、アイスクリームのモニュメントにたっぷりとかけられたストロベリー・ソースが、戦争の傷跡を思い起こさせる様子は、イーストウッド流の卓越したイメージの冴えを見せる。ここでもハンク・ハンセンの母親やマイク・ストランク(バリー・ペッパー)の母親など、戦地に赴く息子の姿を、女性である母親は見守ることしか出来ない。彼女たちの聡明な目はアメリカの欺瞞を暴き、息子の面影を3人の英雄たちに聞いて回る。映画は戦争の本質を据えながら、その後の3人の英雄たちの運命を露わにする。悪い父親ですまなかったと息子に詫びる父親の最後の姿は、『許されざる者』以降の父親の姿がまたしても反復する。

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