【第284回】『レザボア・ドッグス』(クエンティン・タランティーノ/1991)

 クエンティン・タランティーノの記念すべき処女作。今では多くのインディペンデント作家の雛形となった永久不滅の金字塔として知られる今作も、リアルタイムではあまり話題にならなかった覚えがある。いやそれでも93年の夏にはある程度話題にはなったものの、正直、アルトマンやカサヴェテスに比べたら大したことないよね云々の話が友人の間で飛び交っていたと記憶している。むしろ80年代のジャームッシュやソダーバーグや、90年代後半のクラークやコリンの登場の方が深刻に受け止めていたし、これからのアメリカ映画がどうなるんだろうというワクワク感もあった。

アメリカ発の映画作家ならば、やはりどこかが尖っていなければならないという期待はいつの時代でもある。それが脚本なのか?ショットなのか?演出なのか?音楽なのか?PTAやジェームズ・グレイのように最初からガッツリ胸ぐらを掴むのか、サントやアンダーソンやペインやセラのように、ひょっとしたらこの人たちは才能ある作家なのではという期待を1作ごとに高めていくのか?それはどちらでも構わないけれど、どこか一つ二つ飛び抜けたところが無ければ、凡庸なアメリカ映画の域を出ないのである。

結果として私もおそらく多くのシネフィルも、当時のタランティーノの評価を見誤ってしまった。まさかこの男が21世紀に入って『デス・プルーフ in グラインドハウス』や『イングロリアス・バスターズ』を撮る監督に成長するとはほとんど思いもしなかったのである。今作を改めて振り返ると、この時代ならではの表現が随所に感じられるなかなか渋い作品に仕上がっていた。

冒頭、円卓を囲むいかつい連中が、マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』について馬鹿げた議論を交わしている。なんでもこの曲は処女の初体験の話ではなく、巨根を入れた娼婦の歌なんだという。あまりにもタランティーノらしいアメリカ・ナイズされたジョークが議題にのぼった時、早くもタランティーノにしか出来ない冗長な語りの世界に引きずられる。彼らはお会計の際も、ケチなMr.ピンク(スティーヴ・ブシェミ)のせいでなかなかお会計が進まない。開巻早々、早くも協調性が不安になるこのいかつい集団がストリートに出ると、スロー・モーションの中で正義のヒーロー然とした集団の格好よさに惚れ惚れする。実に素晴らしいタイトル・バックである。

しかしオープニングを飾ったGeorge Baker Selectionの『Little Green Bag』の歌が終わりを迎えようとしている時、スクリーンの向こうからは男のうめき声が聞こえる。車内ではMr Orange(ティム・ロス)がおびただしい血を流しながら、顔面蒼白でMr White(ハーヴェイ・カイテル)の片腕を握っている。どうやら彼らが集団で宝石強盗を行ったらしいとわかるのだが、肝心の強盗シーンは一切出て来ない。今作はこのようにロウ・バジェットであることを逆手に取り、肝心の活劇の場面を巧妙に隠すことで物語を進めて行く。

ロサンゼルスの犯罪のプロ、ジョー・カボット(ローレンス・ティアニー)は大掛りな宝石強盗を計画し、彼の息子ナイスガイ・エディ(クリストファー・ペン)とダイヤモンド専門の卸売り業者に押し入るべく、プロの悪党たちに声をかけた。計画を成功させるため、コードネームで呼ばれるMrホワイト(ハーヴェイ・カイテル)、Mrオレンジ(ティム・ロス)、Mrブロンド(マイケル・マドセン)、Mrピンク(スティーヴ・ブシェミ)、Mrブルー(エディ・バンカー)、Mrブラウン(クエンティン・タランティーノ)が集まった。周到に練られた彼らの計画は、襲撃現場に警官が待ち伏せていたため失敗に終る。ホワイトと瀕死の重傷を負ったオレンジが集合場所の倉庫に必死で辿り着いた時、ピンクもやって来た。そして彼らはブルーが行方不明で、ブラウンは逃走の途中で死んだことを知った。彼らの中に仲間への不審の念が沸き上がる。

今作は「裏切り」に端を発した乾いたB級ノワールである。しかしフィルム・ノワールでありながら、ここにはファム・ファタールとも云うべき女の姿はない。ひたすら男臭い連中が、自分たちの欲望を肥大化させ、一攫千金の夢を狙うもあっけなく散る。命からがら逃げおうせたメンバーたちは、用意周到に練られたこの計画には、最初から邪魔が入ったことを悟る。生き残ったメンバーたちの間に、この中の誰かが警察にタレ込んだのではないかという疑念が生まれる。いったい誰が?どんな目的で?「裏切り者」を探そうと疑心暗鬼に陥るメンバーそれぞれの動向が今作を盛り上げる。タランティーノは最初から裏切り者と疑心暗鬼という脚本における旨味をあぶり出し、ほとんど力技で推し進めていく。

後にタランティーノの重要な特徴になる「時系列のパズル化」も見逃してはならない。今作において時間というのは、過去・現在・未来という通常のステップを踏まず、現在の物語の中に唐突に過去のエピソードが挿入される。そのスタイルはかなり危なっかしいが、タランティーノの物語にはどういうわけか強引に物語が進む求心力がある。今回集まったそれぞれの過去のエピソードが一列に並んだ時、必然的に「裏切り者」が炙り出される。真犯人が姿を現した後に、ジョーの色別の振り分けシーンが唐突にモンタージュされる。この場面の元ネタは『サブウェイ・パニック』であろう。

それだけではない。今作を観て行くと、殆ど全ての場面が何がしかの過去の映画にインスピレーションを受けていることは明白であろう。一番思い出されるのは87年のリンゴ・ラムの『友は風の彼方に』であるが、他にもキューブリック『現金に体を張れ』やダッシン『男の争い』、スコシージ『ミーン・ストリート』、デ・パーマ『カジュアリティーズ』など幾つかの場面との類似点を見つけることは決して難しいことではない。それら全てがタランティーノの血と肉となって、今作の中で自由に融合し、物語を輝かせている。

予算上の理由から、我々が観たい場面のほとんどはカットされてしまったが、ハーヴェイ・カイテルが2丁拳銃を構えて乱射する場面や、ティム・ロスがお腹に致命傷を受けることになる場面のセンセーショナルな暴力性は、観る者を惹きつけて止まない。あれほどタランティーノを毛嫌いしていた黒沢清でさえ、『復讐』シリーズではごく当たり前のように今作にオマージュを捧げている。この時点では、あくまで脚本家出身の活きの良い監督に過ぎなかったものの、当時、モンテ・ヘルマンやハーヴェイ・カイテルに映画の原型となった脚本を渡したことにより、90年代の来たるべきインディペンデント映画の風穴を開けたことは、あまりにも感慨深い。役者陣もハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、今は亡きクリス・ペン、スティーヴ・ブシェミ、彼も亡くなってしまったがローレンス・ティアニーなど90年代以降のアメリカ映画を形成した錚々たる面子が並ぶ。そんな彼らと肩を並べる勢いのクエンティン・タランティーノの俳優としての登場がまた憎い。文字通り90年代アメリカ映画を象徴するデビュー作である。

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