【第537回】『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(クリント・イーストウッド/1986)

 朝鮮戦争を映し出したモノクロの記録映像の数々。北緯38度線を境に、アメリカ軍とソ連軍は激戦を繰り広げる。犠牲となった本土の人々の姿。ヘリコプターからの空撮のほんの僅かなショットの後、留置所の牢獄の中へと場面は移る。かつて朝鮮戦争に始まり、ドミニカやヴェトナムでも兵士として戦ったアメリカ海兵隊古参一等軍曹トム・ハイウェイ(クリント・イーストウッド)は、牢屋の中で昔の四方山話をしている。ヴェトナムのダナンの女が最高だったと自慢気に話す男の言葉に、巨漢のチンピラが不快感を表す。まるで『ダーティ・ファイター』のような拳と拳の鉄拳ファイト。老兵には勝てないと考えた巨漢のチンピラはカッターナイフを取り出し(なぜ身体検査で没収されなかったかは謎だが 笑)、ハイウェイを威嚇するが、簡単に打ちのめされてしまう。もう何度目かの法廷での裁判。酒に酔っ払っての兵士への暴行、パトカーへの放尿などケチな犯罪の数々。かつての勲章に免じ、罰金100ドルという寛大な処置を命じられた男はまたしても軍隊へ戻る。一方その頃街角のライブハウスでは、「ロックンロールの帝王」を名乗る黒人青年スティッチ・ジョーンズ(マリオ・ヴァン・ピーブルズ)が聴衆の前で熱いライブを繰り広げていた。鋲のついた革ジャンに赤いハチマキ、サングラスをかけた男のスタイルは田舎町のプリンスの雰囲気を思わせる。ノースカロライナ州キャンプ・レジューンへ向かう道中、バスの中で鉢合わせするハイウェイ軍曹とスティッチ・ジョーンズ。バスの中でエロ本を読み、ビールを煽る老兵のお前はヒッピーかの言葉に、若いスティッチは「そりゃ古いな、もしかしてムショ上がりか?」と気の利いた返事を返す。

かすれたしゃがれ声、深いシワの刻まれた表情。求められた役柄を徹底して演じきっただけだが、それにしても今作のクリント・イーストウッドの老けっぷりには随分と驚かされた。かつて朝鮮戦争に始まり、ドミニカやヴェトナムでも兵士として戦ったアメリカ海兵隊古参一等軍曹の造形には、イーストウッド映画で初めての主人公の「老い」が刻み込まれている。第二小隊という一貫してダメな兵士たちをゼロから教育し直し、徹底的に戦場のイロハを教え込むトム・ハイウェイの姿は鬼軍曹そのものだが、その裏では弱さを時折垣間見せる。夜になると酒浸りになり、記憶を無くすまで酔う姿は何らかのPTSDの症状と推測出来る。そんな彼の昔のキズを刺激するのは、キャンプ・レジューン近くのうらぶれたBARでウェイトレスをしている元妻のアグネス(マーシャ・メイソン)に他ならない。ハイウェイにとっての古傷は朝鮮戦争やヴェトナム戦争で受けたキズよりも、アグネスとの不和から生まれるキズの方が大きい。今はうらぶれた酒場の店長と付き合っている元妻に、男は未練がある。またそんな元妻も、ハイウェイのことを未だに気にしている。今作を凡庸な戦争映画からギリギリ救っているのは、主人公ハイウェイの弱さの描写をしっかりと切り取っているからだろう。年長の男による新米の教育の主題は『アウトロー』に始まり、『センチメンタル・アドベンチャー』や今作に続き、その後『ルーキー』や『パーフェクト・ワールド』へと繋がっていく。イーストウッドは決して戦争を肯定も否定もしない。男は徹底した個人主義の元、第二小隊の若者たちに戦場で生き延びることの大切さを切々と説いていく。この辺りがヴェトナム戦争の帰還兵に尋常ならざる熱量を割いたイーストウッドの国家観、戦争観なのだろう。

今作は様々な教育をテーマにしながらも、ラスト32分で突然当時のアメリカのグレナダ侵攻をテーマにした作品だとわかるのである。1983年にカリブ海に浮かぶ島国グレナダでクーデターが起きた際、アメリカ軍および東カリブ諸国機構(OECS)および、バルバドス、ジャマイカの軍が侵攻した事件は、アメリカがヴェトナム戦争で失った自信を取り戻すのには格好の標的だった。アメリカ軍は19名が死亡、116名が負傷し、グレナダ側では兵士45名、民間人は少なくとも24名が死亡し、兵士358名が負傷した。また、キューバ人は24名が死亡、59名が負傷し638名が捕虜になった(それぞれの人数については資料により若干の違いがある)。今作はトム・ハイウェイによる訓練という教育の成果を実践するための場に、このグレナダ侵攻を持ってきているが、単純なプロパカンダ映画ではない。その証拠に撃ち殺したキューバ兵の死体を表向きにし、神に祈る敬虔なクリスチャンの描写など、必ずしもアメリカを肯定的には描いていない。それゆえ当初はアメリカ軍のお墨付きを得た作品だったが、最終的には実際の描写とは違うとアメリカ海軍の推薦を外されている。同時期のトニー・スコット監督の『トップ・ガン』とは対照的な扱いをされた作品ながら、一度も戦地に赴いた経験のない昇進目当ての上官とのいざこざなど、彼の徹底した官僚主義批判が見て取れる。今作の撮影に並行して、イーストウッドは生まれ故郷であるカリフォルニア州西海岸にあるカーメル市市長に当選、1期2年間を務めた。この間は俳優や監督をせず、市長に専念し、後にカリフォルニア州知事になるのではと噂されたが、彼は好評だった市長職をあっさりと2年で辞め、天職である映画の仕事へ戻って来る。今作は『ペイルライダー』でキャリア総決算となるショットを撮ったブルース・サーティースの後任として、彼のアシスタントだったジャック・N・グリーンの初めての撮影監督作品としても知られている。様々な意味で過渡期となった重要な1本である。

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