【第495回】『続・夕陽のガンマン』(セルジオ・レオーネ/1966)

 寝転がっている悪党がゆっくりと起き上がる正面からのクローズ・アップ、荒涼とした田舎町、人の気配のしない殺風景な表通り、悪党の眼前に2人の賞金稼ぎが現れる。前2作ならば、もう少し距離を潰して、撃ち合いが始まりそうな緊張感のある構図の中、やがて一軒の酒場の前に辿り着いた悪党3人は、勢いよく正面カウンターを開ける。その瞬間、カメラはパンをし、横にあった窓の前で止まると、拳銃と酒を持った男がガラスを蹴破り、勢いよく飛び出してくる。そこに明記された「卑劣漢」の文字とストップ・モーション。賞金首のトゥーコ(イーライ・ウォラック)は辛くも銃撃を免れ、つないであった馬に乗り逃げる。賞金稼ぎの男は外へ出て、トゥーコの背中を撃とうするが、その身体は遥か前方にまで走り去っている。一方、水車を回す少年の健気な姿の背景に、 エンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)がゆっくりと馬に跨り近付いて来る。少年は働く手を止め、家の中にいる母親に助けを求める。父親の食事時、口髭を生やした威圧感のある偉丈夫は父親の目の前に座り、スープとパンを食べる。「男が来ただろ?」というエンジェルの問いに父親は「俺は何も知らないんだ」と知らぬ存ぜぬを繰り返す。依頼され探すビル・カーソンという男の所在。逆に依頼主の殺害を1000ドルで依頼されたエンジェルは、父親と長男を無残にも殺し、依頼主である病弱な老人さえも手にかける。前作『夕陽のガンマン』とは対照的な冷酷さを湛えたリー・ヴァン・クリーフが心底恐ろしい。

「名無しの3部作」のフィナーレとなる2時間40分の超大作だが、邦題で混乱するが今作は『夕陽のガンマン』の続編ではない。リー・ヴァン・クリーフの役柄は、前作でクリント・イーストウッドの相棒として、死んだ妹の復讐を遂げたダグラス・モーティマー大佐とは別人として演出されたが、今作では悪玉となるエンジェル・アイという名前で立ち現れる。もちろんイーストウッドの一応の名前も前作での「モンコ」(片端の男)から「ブロンディ」と名を変え、善玉として登場する。「名無しの3部作」の前2作と同様に、登場人物たちは仲間に回ったかと思えば、すぐに敵に寝返る。徹底して銃の腕前だけに重きを置く西部劇に対し、「名無しの3部作」の核はこの騙し・騙されの心理ドラマにある。善玉、悪玉、卑劣漢の利害関係に即した行動だけを見れば、とても善玉、悪玉、卑劣漢の分類は手持ち無沙汰であることが開巻早々理解出来る。ブロンディはトゥーコが絞首刑にされる瞬間、遠くから彼を吊り下げたロープを狙い、撃ち落とす。要は2人して、賞金詐欺を繰り返すのである。最初は利用価値のある賞金首に過ぎなかったトゥーコをブロンディはすぐに見限るが、このトゥーコという男がなかなか渋とい。砂漠に置き去りにされたと思えば、ブロンディの吸い殻を足跡に追い付き、逆にブロンディを絶体絶命の状態に追い込む。どこまでも続く蜃気楼のような砂漠の光景はジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズでも踏襲されている。パゾリー二組だったトニーノ・デリ・コリの素晴らしい構図もあり、ブロンディは次第に干からびるように傷つき、倒れていく。しかしダーティ・ヒーローたちは瀕死の重傷を負わされながら、それでも死線を這い上がる。セルジオ・レオーネ作品の登場人物たちは、いつだって泥と埃、脂と汗にまみれた実に男臭い漢たちである。善玉、悪玉、卑劣漢の括りが意味を持たないのは、彼らは敵同士でありながら、互いに認め合った仲間というアンビバレントな感情を共有しているからだろう。

今作における裏テーマは「南北戦争」である。それゆえ南北戦争後を描写した前2作と比すると時代が合わない。トゥーコとブロンディの凸凹コンビの呉越同舟の先にエンジェルが最初に現れるのは、北軍幹部としての仮初めの姿に他ならない。南軍の奴隷をこき使い、時には暴力さえも厭わない歪んだ冷酷さを見せつける男を黙らせるのは、ブロンディが拷問で簡単に口を割らない男だとエンジェルが理解しているからだ。この辺りの展開の強引さは脚本の粗さに負うところも大きいが、とにかく善玉、悪玉、卑劣漢の三つ巴の馬鹿し合いのカタルシスは真に見逃せない。前作の延長線上でイーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの真剣勝負に興味が湧く中、その構図を中和させるようなイーライ・ウォラックの存在感と人物造形こそが素晴らしい。修道院で一瞬垣間見えたトゥーコの影の部分。一貫して利用価値のある駒としてトゥーコをこき使いながらも、時折垣間見せるブロンディの優しさにも似た友情。カートリッジ・コンバージョン・コルトM185NAVYという強力な改造拳銃を有しながら、一貫して彼のエンジェルに対する憎悪に似た復讐に手を貸そうとするブロンディの真意。それが露わとなる中盤の銃撃戦の素晴らしさ。そしてクライマックス直前、志願兵となったところから一転、2人がダイナマイトで北軍と南軍の激戦地となる橋を爆破する場面の痛烈な反戦のイメージ。ブロンディが瀕死の重傷を負った北軍兵士に、自分の着ていた上着をかけ、葉巻を吸わせる場面の言いようもない素晴らしさに息を呑む。セルジオ・レオーネは明らかに正義のために死んでいく兵士たちと、金のために命を賭けるガンマンたちとを対比的に描いている。クライマックス、黄金のエクスタシーに魅せられたトゥーコの狂乱の疾走場面は映画史に残る名場面であろう。その後訪れる本当のクライマックスの円形闘技場の三つ巴の死闘は、マカロニ・ウェスタン史に残る金字塔であり、心底痺れる活劇場面に他ならない。途中リンカーンのいとこを自称したトゥーコの嘘が、クエンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』のサミュエル・L・ジャクソンの「リンカーンとは友達」のエピソードに繋がったのは言うまでもない。事実、タランティーノは本作をマカロニ・ウェスタン史上の1位に挙げている。

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