【第575回】『ブラッド・ワーク』(クリント・イーストウッド/2002)

 カリフォルニアの夜景のヘリコプターによる空撮ショット。闇夜を走る一台の車が事件現場に到着すると、嫌味な同僚のメキシカンであるロナルド・アランゴ刑事(ポール・ロドリゲス)が「またアイツに全て持って行かれるぞ」とため息をつく。FBIの捜査官テリー・マッケーレブ(クリント・イーストウッド)は、数々の難事件を解決した凄腕として知られ、メディアにも頻繁に登場する人気者だった。現場に転がる無残な惨殺死体。壁に赤い文字で書かれた「Catch Me 903 472 568」の文字。現場から立ち去るとマスコミの無数のフラッシュがたかれているが、マッケーレブは刑事の勘で目の前に、白いシューズに血の付いた男を確認し、犯人だと直感する。かくして突如始まった犯人とマッケーレブの逃走劇はゆうに数100メートルを越えただろうか?袋小路の鉄柵をよじ登り逃げようとする犯人の足を、息の上がったマッケーレブが掴みかけるがそこで突然胸を激しい痛みに襲われ、地べたに倒れこむ。暗闇の中でほくそ笑むような犯人の男の仕草。鉄柵の向こうとこちら側の境界線までゆっくりと近づく男に、意識を失いつつあるマッケーレブは最後の反撃の射撃を加える。それから2年、マッケーレブは痛々しい姿で病院のベッドに横たわっていた。彼はFBIを辞め、心臓のドナー手術に成功し、新しい心臓で生き永らえていた。ボニー・フォックス医師(アンジェリカ・ヒューストン)に退院の許可をもらった男は、終の住処である船着場へと戻る。近所に越してきた陽気なバディ・ヌーン(ジェフ・ダニエルズ)のハモニカの調べ。悠々自適な老後を送ろうとするマッケーレブの元に、グラシエラ・リバース(ワンダ・デ・ジーザス)がある事件の捜査依頼を持ってくる。

アヴァン・タイトルのヘリコプターによる空撮ショット、嫌味な刑事たちとのコミュニケーション、カリフォルニアの夜景、既に現場に到着した刑事たちに遅れての現場到着、新調したスーツなど、幾つかの符号は『ダーティ・ハリー』シリーズと同工異曲の様相を呈す。LA中の人気者だったハリー・キャラハンはシリアル・キラーであるスコルピオに執拗に命をつけ狙われたが、今作でもLA中の人気者であるテリー・マッケーレブは、既に6人もの人物を次々に殺しているコードネーム・キラーにより命をつけ狙われ、赤い血文字で捕まえてみろと挑発を受ける。しかしあの頃のハリー・キャラハンと違うのは、主人公が心臓に致命的な欠陥を抱えていることである。マイクル・コナリーのハードボイルド小説『我が心の痛み』の原作において、主人公のテリー・マッケーレブの年齢は40代だが、映画では当時72歳のクリント・イーストウッドがある意味倒錯的に演じている。その苦みばしった表情や緻密な捜査センス、官僚機構への静かな怒りは健在ながら、彼は一貫して老いという避けがたい問題を抱えている。犯人を逮捕目前で取り逃がした心の傷は、そのまま心臓の回りの痛々しい傷跡につながる。胸から腹にかけて縫合された痛々しい傷跡、老いぼれた身体を真っ二つに割くような1本のキズ。『ペイルライダー』の痛々しい背中の銃弾痕のように、クリント・イーストウッドはしばしば身体の欠損を神話に昇華するダーティ・ヒーローを演じてきたが、今作のテリー・マッケーレブも自らの「老い」と「痛々しい傷跡」を隠さない。

犯罪が克明に記された防犯カメラの映像は真っ先に『トゥルー・クライム』が想起される。図らずもここにはトニスコ以降の21世紀的な監視システムが事件解決の糸口となる。マッケーレブが警察署内の「敵」と「味方」の間を右往左往しながら、幾つかのミスリードを経て難事件を解決していく様子は、イーストウッドが手がけたいわゆる刑事モノの類型を出ない。しかし今作を極めて現代的たらしめているのは、FBI捜査官だった主人公が生きるために、被害者の心臓を移植されているという倒錯性にある。彼は証言者に対し、どんな些細な事実でも話してくれと言う。警察もお手上げだったこの事件の再捜査に乗り出したマッケーレブは、心臓を移植されたことで、犯罪被害者のメキシコ人女性と次第に同一化する。彼が船のデッキで見た被害者の最後の瞬間の悪夢は、彼女が受けた恐怖の残像を色濃く残す。ここでもイーストウッドはメキシコ系アメリカ人というマイノリティへの共感の念を隠さない。父親とはすでに離婚し、最愛の母親をコードネーム・キラーに無残にも殺された息子は、今は頼るべき最後の身寄りである叔母のグラシエラ・リバースに身を寄せている。息子がマッケーレブのバッグに入った38口径マグナムを触る様子は、『センチメンタル・アドベンチャー』のクリントとカイル父子の関係性を連想させる。ここでもイーストウッドは擬似親子の関係を構築し、一貫して少年の父親であろうとする。正と邪を代表するマッケーレブと犯人の相克関係はキャラハンとスコルピオの関係を体現し、夜の闇の中で『アルカトラズからの脱出』のような水辺の最後の活劇が幕を開ける。

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