【第576回】『ミスティック・リバー』(クリント・イーストウッド/2003)

 マサチューセッツ州ボストンにある小さな街イーストバッキンガム。アイルランド系の移民が多く住む街では、2階のベランダで話す父親の視線を巧みにかわし、ジミー、ショーン、デイヴの3人が裏通りの道路でアイスホッケーを楽しむ。やがて1人が放った球が道路の脇にある側溝に落ち、彼らの遊びは突然終わる。ジミーは苛立ちを隠せないまま、目の前にある赤い境界線を乗り越え、まだ乾いていないセメントの上に自分の名前を彫り込む。その姿に促されるようにショーン、デイヴと名前を彫ってきたところで、ボストン警察の私服警官に見つかり、こっぴどく叱られる。反抗的な態度を取ったジミーや、黙って見ていたショーンが無罪放免になったのに対し、ただ一人デイヴだけが車に乗せられ、連行されていく。後部座席から不安げにこちらを振り返り見るデイブの姿。印象的なフェードアウトの後、私服警官だと思った2人の男にデイヴは輪姦され、犯人の男は自殺。4日後にデイヴは傷ついた姿で街に戻って来る。その事件以来、3人は自然と疎遠になってしまった。あれから25年後、家庭を持ち、父親になったジミー・マーカム(ショーン・ペン)の娘ケイティ・マーカム(エミー・ロッサム)は日曜日の午後、公園で無残な姿となって発見される。その事件を担当することになったショーン・ディバイン(ケヴィン・ベーコン)刑事は、相棒のホワイティ・パワーズ刑事(ローレンス・フィッシュバーン)と共に事件の捜査に当たる。

ジミー、ショーン、デイヴの3人組のリーダー格だったジミーはその後マフィアの人間になるが、今は足を洗い、小さなマーケットを経営している。最愛の妻アナベス・マーカム(ローラ・リニー)との間には、ケイティを長女に3人の娘がいる。デイヴの痛ましい小児性愛事件で袂を分かった3人は、その後もボストンにある小さな街イーストバッキンガムで育った。イーストウッドと撮影監督のトム・スターンは、ボストンの曇天をことさら強調し、狭い街の閉鎖的なつながりを浮き彫りにする。ショーン・ディバインは同僚の美人警官に言い寄られながら、彼女の誘いに乗ろうとはしない。彼にはかつて愛した妻がおり、彼女から毎日、携帯電話に無言電話が届く。一方、小児性愛者の餌食になったデイヴ・ボイル(ティム・ロビンス)は相変わらず心の傷が癒えぬまま、妻セレステ・ボイル(マーシャ・ゲイ・ハーデン)と、野球がする長男マイケル・ボイル(ケイデン・ボイド)を育てる子煩悩な父親になっている。ごく平凡な人生を送りながら、少年期の痛ましい事件に目を背け生きるマイケル、ジミー、ショーンの3人が、図らずもジミーの娘ケイティの殺人をきっかけに、ボストンの地で再会する。少年期のトラウマを抱えながら生きるデイヴ、実の娘を殺され復讐心に駆られるジミー、最愛の妻とコミュニケーションが取れず、今は声だけしか聞くことが出来ないショーンの三者三様の過去の心の傷を明らかにしながら、四半世紀を超える3人の因果は実に痛ましい展開を見せる。

ケイティの恋人だったブレンダン・ハリス(トム・グイリー)のエピソードなど、幾つかのミスリードを経ながら、真実に向かう様子はイーストウッドの卓抜としたサスペンスの冴えを見せる。ジミー、ショーン、デイヴの3人の過去への後悔を交差させながら、ここでは『許されざる者』のモーガン・フリーマンの妻のように、痛ましい事件を経て変わり果てていく3人の男たちの姿を見守る妻の視線が印象的である。その中でも特筆すべきなのは、デイヴの妻セレステを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンだろう。前作『スペースカウボーイ』でもNASA司令室長官サラ・ホランドを演じ、ホーク(トミー・リー・ジョーンズ)を愛するがゆえに、祖国に戻らなかった彼の姿に涙する印象的な女性を演じていた。今作でもセレステは夫の疑惑を信じ切れなかったことが後の悲劇を生む。彼女がすっかり変わってしまった夫の姿を目撃する時、真っ暗な部屋でブラウン管テレビから流れるのは、ジョン・カーペンター監督の『ヴァンパイア/最後の聖戦』に他ならない。十字架を恐れ、吸血鬼になった映画内の姿は、小児性愛者に犯され、幼い心に深い傷を負ったデイヴの姿と重なり合う。一方でイーストウッドは、デイヴと鏡像関係を結ぶジミーにも、重い十字架のイメージを背負わせる。拉致されたデイヴを見つめる助手席の男の指に付けられた十字架の指輪、ケイティの妹の聖体の日のシンボリックな十字架、そしてクライマックスにまた一つ罪を重ねてしまった男の背中に入った十字架のタトゥーなど、幾つもの十字架のイメージが、十字架を恐れたデイヴの気持ちに呼応し、善と悪には簡単に二分できない人間の本性を露わにする。

再び導入部分を思い返せば、少年期のジミー、ショーンが互いの文字をしっかりとセメントに記録したのに対し、デイヴの文字は最初の2文字「DA」で止まっている。この落書きは25年を経た今日も3人の後悔の念を思い出させるように、ボストンの街に刻まれている。正義の名の下に私刑を行使するジミーの思いは、「法と正義の行使の不一致」を生涯のテーマとしたイーストウッドの信念とも共鳴する。だが贖罪の気持ちを抱き続けたジミーの良心は、皮肉にも何の根拠もない「目には目を 歯には歯を」を無情にも代弁し、再び罪を重ねてしまう。ラストシーン、ボストンの街を颯爽と歩くパレードの列に対し、反対側に陣取ったショーンはジミーに対し、人差し指を向けながら銃を撃つ仕草を見せる。ここでは諸悪の根源を根絶出来たのかという観客の興味は宙吊りになり、心配そうな表情で見つめる母親セレステと、険しい表情で台座に乗るデイヴの息子マイケルの姿を見せて映画は幕を閉じる。『目撃』でイーストウッドの娘の名前は「ケイト」だったし、今作では「ケイティ」、そして続く『ミリオンダラー・ベイビー』でもイーストウッドの実の娘の名前は「ケイティ」である。

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