【第261回】『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』(黒沢清/2013)

 2012年の夏、黒沢は『リアル 完全なる首長竜の日』をクランク・アップしてから別のプロジェクトへ取り掛かる。それが例の『一九〇五』である。『トウキョウソナタ』でオランダや香港から出資者を募り、映画を製作した経験から、黒沢は国際マーケットを強く意識した活動へとシフトしていく。この『一九〇五』は日本・中国合作映画として製作されるはずだった。主演はトニー・レオン、日本からは松田翔太と前田敦子の出演も決定しており、2012年末からのクランク・インを予定していた。松田翔太は既に中国語の特訓に入っており、前田敦子にも中国語の演技指導がついた。黒沢とトニー・レオンも2009年、『トウキョウソナタ』がアジア映画祭で大賞を受賞した際、初めて言葉を交わし、足掛け3年で企画・構想をゆっくりと練っていったという。

物語は1905年を舞台にしており、帝国主義というグローバリズムが世界を覆い、人々が革命に熱狂した激動の時代。西欧諸国の脅威にさらされていた日本と中国。清朝が革命前夜にあるなか、日本の近代化を学ぶために多くの中国人が留学生として来日し、日本人と深い交流を持っていた時代でもあった。そんな歴史的背景が絡み合うなか、トニー扮する高利貸しの楊雲龍(ヤン・ユンロン)は、5人の男に貸した金を取り立てるため日本へやってくる。時期を同じくして、松田演じる国粋主義者のグループ「報国会」のメンバーである加藤保は、香港育ちで中国語が話せるため、国家の命を受け5人の中国人革命家の強制送還任務を言い渡される。運命に吸い寄せられるかのように出会った楊と加藤は、目的こそ違うものの利害が一致し、協力して5人を追うようになるという物語だった。

しかしながら当時の日本と中国の関係は尖閣諸島問題の影響を受けて急速に冷え込んでおり、企画・製作を行うプレノン・アッシュは思うように中国から資金が調達出来ず、資金繰りが悪化。遂には破産手続きに入り、事実上の倒産となる。こうして台湾と日本での大規模ロケの計画もあった『一九〇五』は製作中止となる。反日感情の高まりにトニー・レオンは『一九〇五』の企画を受けた覚えはないと公式に否定。黒沢清とトニー・レオンの夢のプロジェクトは幻と消えた。

次いで香港映画祭から黒沢に映画祭用の短編作品を撮らないかというオファーがあり、ちょうど東京藝大の7期生の終了作品を作る時期で、黒沢の監督・脚本に学生スタッフを起用し、30分の短編として作られたのがこの『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』である。

湾岸地帯の再開発を目論む「ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト」の企画・立案もする新進気鋭の若手社長・天野宏(柄本祐)は視察に訪れた埠頭で、美しい湾岸労働者の谷川高子(三田真央)に一目惚れしてしまう。以来、高子にあの手この手で猛アプローチをする天野だったが、高子にとって天野の存在は眼中にない。しびれを切らした天野は高子のネームプレートを奪い逃走、会社に立て籠もり、高子の侵入を阻止しようとするのだが・・・。

冒頭、汽笛が鳴り、一人の男が車に乗っている。湾岸エリアに降り立った男は助手の男性の話を聞きながら、双眼鏡を覗き込む。するとそこには作業着姿の労働者に混じり、美しい女性が黙々と作業を続けている。男は思わず「あっ」と声を上げ、その勢いで前方にある黄色い線を飛び越えようとするが、助手の男性の制止に遭うのだった。今作も「領域」に関する物語が頭をもたげる。埠頭の床に便宜上設けられた黄色い線は、その先では新型のノロ・ウイルスが猛威を振るっていることの警告を意味する。その黄色い線がこちらの世界とあちらの世界の境目としてふいに立ち現れる。天野はその黄色い線を躊躇なく飛び越え、相手のフィールドへと踏み込むのである。

何もかも自由に出来る二代目社長として、地位も名誉も手に入れた天野は高子に猛烈な愛を伝えるが、高子は「私に近づくと危険だ、ケガするぞ」と静かな警告を発する。その後の高子の独白の場面は黒沢らしからぬ堂々とした外し方である。キラキラと光る海を背景に、クローズ・アップ・ショットで据えられた高子はカメラ目線でこちらに向かって話しかける。まるで神話の女神のような三田真央の佇まいに、黒沢の正気を疑う呆気にとられる名場面である。「わたしは海の底で生まれた。そこは弱肉強食の世界・・・」彼女の口から語られる新しい世界の秩序に魅了されると共に、更なるミステリーへと引き込まれる。

やがて天野は更なる猛アプローチをかける。「ここではないどこか」へ行こうという問いかけが天野の口から発せられた時、やはり今作も領域の映画なのだと悟る。何の気なしに彼の口から発せられた行き先はまたもやアメリカである。しかしその男の猛アプローチにも、ここを気に入っているからと高子は彼の口車に乗せられることはない。まるで『勝手にしやがれ!!英雄計画』の寺島進と黒谷友香の兄妹のように、権力を行使する者と労働者のどうしようもない階級の壁(領域)が立ちはだかっていることを自覚した時、天野はついに最終手段に打って出るのだった。

クライマックスのアクション・シーンは三田真央の身体性もさることながら、遂に黒沢がシネスコ・サイズでアクションを撮ったことに感嘆を禁じ得ない。しかも藝大の学生による修了作品でシネスコをしれっと選択するあたり、流石に黒沢は凄い。逃げまどうビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクトの人々、彼女に挑みかかる警備員、ロング・ショットによるアクションの攻防はなかなか大胆で目が離せない。その後オフィスの階層を上がり、大男との1対1の対決が待つのだが、スタローンやシュワルツェネッガーのマッチョな肉弾戦に対し、三田真央のしなやかな肉体は時に躍動し、締め技さえも決めようとする。暴力警備員がガラスに突っ込むところなどやはり黒沢はアクション・シーンにも長けている。ここでは地獄の警備員でさえも彼女の前では歯が立たない。

階段での攻防を終え、ラストの社長室での攻防から、追いかけっこがまた始まるが、随分あっさりと袋小路へと追い詰められる天野。ここでも水辺が攻防の舞台となる。ラストの変態的な舌には初めて映画館で観た際、腹を抱えて笑った。黒沢が時折見せる筒井康隆的なナンセンスな世界が垣間見える場面である。ある程度のバジェットもあり、ヒット作を出すことを課されていた『リアル 完全なる首長竜の日』のプレッシャーから解き放たれ、今作では黒沢のやりたい放題が久しぶりに爆発した感がある。またここでのシネスコ・サイズの選択は、今後の新しい黒沢映画を占う意味でも大変興味深い。

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