【第577回】『ピアノ・ブルース』(クリント・イーストウッド/2003)

 映画監督マーティン・スコセッシが監修を務めたテレビ番組「Blues Movie Project」の全7篇のうちの1篇。マーティン・スコセッシやヴィム・ヴェンダースなど様々な監督が20世紀の音楽に焦点を当てているが、イーストウッドのアプローチはその中でも特にストレートなドキュメンタリーであり、溢れる音楽への愛を隠さない。88年、ビバップの創始者であり、「アメリカ人の人生に第2幕はない」とされた天才チャーリー・パーカーの栄光と破滅の生涯を描いた劇映画『Bird』を撮り、西部劇と並ぶアメリカの純然たる芸術であるビバップを正面からフィルムに収めることに成功したイーストウッドは、ピアノを使ったブルースを起源として、後にジャズへと枝分かれした南部の土着の音楽であるR&Bやニューオリンズ・ミュージック、カントリー・ミュージックに焦点を当てる。彼の南部への思いは82年の『センチメンタル・アドベンチャー』まで遡る。グランド・オール・オプリのオーディションを受けるために、アメリカ南部までやって来た大酒呑みのカントリー歌手レッド・ストーバルが、甥っ子ホイット(カイル・イーストウッド)を連れて、一路ナッシュビルへと旅に出るロード・ムーヴィーである。思えば処女作『恐怖のメロディ』においても、ラジオのディスクジョッキー(音楽紹介屋)を演じ、サスペンスの根幹をなすトリック部分にJAZZピアニストだったエロル・ガーナーの『Misty』を大胆に配したイーストウッドの意匠は、『ピアノ・ブルース』へと連綿と続く自らの音楽愛さえも明らかにする。

ドン・シーゲル作品など主演作品においても決して音楽に注文を付けなかったイーストウッドが、自らの監督作において、音楽に妥協を許さないことはつとに知られる。エロル・ガーナーの『Misty』も当初、ワーナー・ブラザーズ側は自社に権利のない楽曲の利用を嫌がった。その際、自社のライセンス音楽なら何を使っても構わないと言われたイーストウッドだったが、『Misty』を使用するとワーナーの重役の進言に一切耳を貸さなかったという。結果として『Misty』はリバイバル・ヒットし、肝心の制作費と収益はトントンで事なきを得る。その後、『ダーティ・ハリー』シリーズではラロ・シフリンの洗練されたJAZZを用いたイーストウッドの音楽が突如、変調をきたすのが当時のイーストウッド史上、最大のヒットとなった『ダーティファイター』シリーズの2本目だった『ダーティファイター 燃えよ鉄拳』である。ここで俳優イーストウッドは、何と憧れのR&Bシンガーだったレイ・チャールズと主題歌でデュエットを果たす。今作ではその『ダーティファイター 燃えよ鉄拳』から23年後、奇跡のようなイーストウッドとレイ・チャールズの再会が待ち構えている。同い年のスターとして、ピアノとブルースへの愛情を隠さない2人の偉人の共演から1年後、レイ・チャールズはイーストウッドよりも少し早く鬼籍に入る。今作はレイ・チャールズの生前最後の勇姿を収めた映像としても価値を持つ。ピアノの発明からアメリカへの進出に始まり、イーストウッド自らがナレーションを務める本ドキュメンタリーは、あのクリント・イーストウッドの非公式ドキュメンタリーである『アウト・オブ・シャドー』の監督ブルース・リッカーまでもが、プロデューサーに名前を連ねる。

マルパソ・プロダクションの広大な敷地内に隣接された録音室で撮影されたレイ・チャールズ、デイヴ・ブルーベック、ドクター・ジョン、パイントップ・パーキンス、ジェイ・マクシャン、ピート・ジョリーらのインタビューと、インタビュアーであるイーストウッドの眼前で繰り広げられる名演奏の数々。レイ・チャールズやドクター・ジョン、マーシャ・ボールに対し、明らかに距離が近いイーストウッドの興奮ぶりは微笑ましい。よそ行きではなく、あくまでスニーカーでリラックスした雰囲気で、彼らの心地よい名演を引き出す術は、監督として役者たちに接するそれに等しい。ドロシー・ドネガン、マーサ・デイヴィス、ユージーン・ロジャース、デューク・エリントン、アート・テータム、ビッグ・ジョー・タナー、マディ・ウォーターズ、チャールズ・ブラウン、オスカー・ピーターソン、ナット・キング・コール、ピート・ジョンソン、パイリー・ブラウン、ジャック・デュプリー、ヒューイ・スミス、プロフェッサー・ロングヘア、ファッツ・ドミノ、ヘンリー・グレイ、フィニアス・ニューボーンJr.、カウント・ベイシーらの往年の名フッテージを交えながら、西部劇と並ぶ20世紀のアメリカが生んだ純然たる芸術である『ピアノ・ブルース』の歴史を、丹念に洗い出す作業の緻密さは、イーストウッドの聡明さを端的に現していて、資料的価値も極めて高い。クライマックスのレイ・チャールズによる『America The Beautiful』の筆舌に尽くしがたい美しさは、アメリカ人のアイデンティティに訴えかけるが、90年代以降のイーストウッド作品の陰惨さを体感したものからすれば、とても額面通りには受け取ることが出来ない。だが壮年期に達したイーストウッドの、あまりにも無邪気な子供のような眼差しが、強く印象に残る。

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