【第538回】『ダーティハリー5』(バディ・ヴァン・ホーン/1988)
サンフランシスコの絶品の夜景を見下ろす空撮ショット。後ろ髪を束ねた男はTV画面を食い入るように見ている。テーブルの上に乗せられた週刊誌、ニュースペーパー。TV画面ではジャネロ裁判でマフィアのボスを監獄にぶち込んだハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)の功績が称えられようとしている。その瞬間、ターゲットは見つけたと言わんばかりにノートブックに書いたハリー・キャラハンの名前。男は有名人に狙いを定め、死亡予想ゲーム“デッドプール”に興じようとしていた。一方その頃、夜中のハイウェイを走るキャラハンの車が尾行され、彼は危険を察知したように左側に急ハンドルを切る。数100mスピード比べをした後、袋小路前で挟み撃ちに遭い、辛くも逃げ出すハリー・キャラハン。殺し屋たちは彼が倒れた場所に拳銃を向けるが、待ち構えたキャラハンの44マグナムの早撃ちが火を噴く。マフィアのボス・ジャネロの配下に命をつけ狙われ、相変わらずサンフランシスコ中の無法者たちのお節介を受ける刑事の姿。男は国家権力側の人間ながら、もはや芸能人と見間違うほどの歓待を受ける。フラッシュの嵐が心底疎ましい男は、ニュース・レポーターのサマンサ・ウォーカー(パトリシア・クラークソン)の問いかけにも知らぬ存ぜぬを貫く。
サンフランシスコ市警察殺人課に勤めるハリー・キャラハン刑事の活躍を描いた『ダーティハリー』シリーズの最終作。70年代にキャラハンの目の上のたんこぶだったサンフランシスコ市警のお偉方は一掃され、また新たな権力の犬デビット・アッカーマン(マイケル・グッドウィン)がキャラハンのご機嫌とりに駆けつける。『ダーティハリー4』で市警殺人課の警部補だったドネリー(マイケル・カリー)は見事、警部に昇格している。前作では初めて相棒が付かなかったキャラハンの新たな相棒となるのは、中国系のアル・クワン(エヴァン・C・キム)という元チャイナタウンの不良で、カンフーの使い手である。毎回、一匹狼のハリー・キャラハンがくだらないメンツにこだわる官僚機構の横暴や腐敗を暴くのが今作の肝だったが、市警内部の描写は最小限に留められている。かつては警察内部に疎まれるダーティ・スターだったハリー・キャラハンが、一転してサンフランシスコ市警の広告塔として利用される姿には呆れ果てる。その代わり顔を出すのは新たな暴力の温床となるマスコミ報道である。報道される側のストレスと報道する側の暴力とを同時に描きながら、80年代に空前のブームとなったホラー映画やカンフー映画を参照した一連の描写は、『ダーティハリー』の頃のオリジナリティはもうない。B級ホラー映画、Guns N' Roses の『Welcome To The Jungle』、『HOTEL SATAN』と刺繍されたジャンパーなど、イーストウッドはあえて好みを外した80年代的な道具立てを施す。
2、3で複数犯だった犯人の造形は、自身が監督を務めた4において単独犯に強引に戻され、5ではB級ホラー映画界の巨匠ピーター・スワン(リーアム・ニーソン)が犯人だと巧みに観客をミスリードさせる。その一方で突如真犯人が登場する展開はシリーズ史上最も王道なミステリーだが、肝心の統合失調症のサイコ・キラーがあまりにも弱い。むしろ物語の展開に複合的な視点をもたらすのは、4に引き続き芽生えたハリー・キャラハンのロマンスだろう。当初は疎ましい存在に過ぎなかったニュース・レポーターのサマンサ・ウォーカーという気の強い女とのロマンスの道筋は、80年代初頭のソンドラ・ロックとのロマンスと同工異曲の様相を呈す。この頃から肉体的な衰えが目立ち始めたクリント・イーストウッドのアクションも幾分抑え気味で、むしろ中国系のアル・クワンのジャッキー・チェンばりの小気味良いカンフー・アクションに支えれらている。70年代前半にはあれ程固執していたカー・チェイスのメタ・レベルの簡略化は一定の成果を上げているものの、いわゆるロー・キーを多用したジャック・N・グリーンのどんよりと薄暗い色調も、ドン・シーゲル『ダーティハリー1』の照りつけるような太陽の感触とはすっかり様変わりしてしまった。自分が本当にやりたい作品だけは自分で監督し、それ以外は子飼いのバディ・ヴァン・ホーンに任せるという徹底した効率化により、本作は低迷していた80年代イーストウッドに皮肉にも興行的な成功をもたらす。だがフィナーレと呼ぶには随分と寂しいシリーズ最終作である。
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