【第499回】『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル/1971)

 リンカーンの写真から連なる南北戦争のモノクロ写真のストップ・モーション、それに付随する大砲の音や兵士たちのうめき声。「女たちよ声を上げろ・・・男たちを戦争に送るな」というか細い歌声の反戦歌を口ずさむ中、森の中に1人の少女が籠を抱えながら現れる。彼女はキノコを摘みにこの界隈をうろつくのだが、茂みの中に真っ赤に流血した足を発見し、飛び上がり、後ずさりしながら倒れる。まるで西部劇で処刑され吊るされるように、立ったまま茂みの中に隠れるように潜んでいた傷だらけの男の卒倒する姿。イーストウッドの映画ではしばしば主人公が瀕死の重傷を負うが、今作では最初から既に瀕死の重傷を負っている。遠くから聞こえる馬の蹄の音。エイミー(パメリン・ファーディン)に助けられ、茂みの奥に隠れた北軍の伍長であるジョン・マクバニー(クリント・イーストウッド)は、もうすぐ13歳になる少女の口をキスで塞ぐ。全身血だらけで歩くのもやっとな男の身体を小さい身で支えながら、寄宿学校の門までたどり着いたエミーは、大きな鐘を力いっぱいに鳴らして見せる。あたり一面に鳴り響く鐘の音。マクビーは朦朧とする意識の中で微かに鐘の動きを目にする。瀕死の重傷を負った敵兵、彼を男子禁制の屋敷へと誘うマーサ・ファーンズワース校長(ジェラルディン・ペイジ)の厳格な判断。敵軍の伍長とはいえ、南軍に引き渡す前に治療しようと決断する女の園。2階には脚を痛めたせいで、飛べなくなったカラスが佇む不穏さは何を意味するのか?

やがて意識が戻った招かれざる客であるマクビーは、生き延びるため、南軍に身柄を引き渡されないために女たちのご機嫌を伺う。そのオム・ファタールのしたたかな戦略さえも、日照りの女たちは随分あっさりと真に受けてしまう。南北戦争の最中という極限下、保守的な倫理観の強い女性だけのキリスト教寄宿学校、大砲の音や白煙が見える治外法権の広い庭先。女たちはそれぞれに協力しあいながら、仮初めのコミュニティを一見取り繕い守っているように見えるが、その裏では薄皮一枚の危険な関係にある。ここでは美しく可憐に見える女たちの本性が暴かれていく。学校の長であるマーサと兄との近親相姦、エドウィーナ・ダブニー(エリザベス・ハートマン)の処女性、キャロル(ジョー・アン・ハリス)の色情狂的世界。禁欲的な箱庭世界に閉じ込められた女たちは、一見コミュニティを健全に守る素振りを見せるものの、心の奥底で勇敢な父性を追い求めている。前作『真昼の死闘』において尼だと思っていた女が実は娼婦だったように、聖と俗の反転するイメージが男子禁制の館に活気を与え、それと正比例するように瀕死の男も徐々に回復していく。乳のほとんど出ない牛、久方ぶりに卵を産む雌鶏のイメージが、女性たちの父性の渇きを潤す暗喩的メタファーとして用いられる。エイミーがランドルフと名付けられた亀に託す思いは、南北戦争で無残にも散った父親の代替として存在するのは云うまでもない。この女の園の縦社会的構図にいずれ波風が立つのは必至であるが、薄幸のヒーローはそのことに気付かない。身体の自由を奪われ、幽閉された悲劇のオム・ファタールという異色の役柄を、若き日のイーストウッドが印象的に演じている。

童話の眠れる森の美女に仄かに灯ったトキメキが、欺瞞だったことが明かされる中盤以降の展開が息を呑む。マーサ、エドウィーナ、エイミー、ヘイリーそれぞれに良い顔を振りまき、生と死の境から浮上するかに見えたニヒルなオム・ファタールが、色情狂のキャロルという地雷を踏んでしまったことに端を発する崩壊劇。その瞬間、特別だと思っていた父性への信頼が憎しみと嫉妬へと変わり、天使のような振る舞いは一転して残虐な悪魔と化す。校長が夢の中に見た乱行のイメージは、敬虔なキリスト教徒の一線を越えた破廉恥な姿を白日の元に晒す。戦時下における激しい愛の希求、抑え難き性的欲望は、人道的立場で男を救ったはずだった女たちの理性をも奪い去り、たった1人の父性を奪い合う血みどろな構図へと姿を変える。中でも一番印象的なのは、大方の女性陣同様に、マクビーに心を許しながらも、クライマックスで「白人なんかに自由にされてたまるか」という激しい言葉を吐くヘイリー(メエ・マーサー)に他ならない。彼女を余程気に入ったのか、イーストウッド×シーゲル・コンビの続く『ダーティ・ハリー』にも印象的な役柄で出演している。マイノリティの反旗、法と正義の行使の不一致という初期から一貫する主題は、医者や南軍兵士の判断を仰ぐことなく、嫉妬に駆られた衝動で残虐な決断をしたマーサ校長の欺瞞を明らかにする。最後に手を下す役を子供に任せるのも惨たらしい。原題である『THE BEGUILED』は欺かれた者と訳される。最初から不穏だった螺旋階段、導入部分に出て来た不穏なカラスの運命、見事な円環構造、前作『真昼の死闘』とは打って変わり、真に無駄のない110分間の淀みない傑作である。これまで撮影助手としてクレジットされたブルース・サーティースの撮影監督デビューとしても永遠に記憶される。

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