【第491回】『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ/1964)

 喉の渇きを潤すために、見知らぬ土地で古井戸を引っ張り上げる1人のよそ者の名もなき男ジョー(クリント・イーストウッド)。快調に水を呑み干す眼前で、ある少年が必死に母親の名前を連呼するのを目撃する。甲高い少年の声の反復、ドアが開き、無法者は少年にも躊躇なく暴力を振るう。それを格子越しに見つめる母親マリソル(マリアンネ・コッホ)の心配そうな表情。やがて無法者はジョーと目が合うが、ジョーは状況を察し、すぐに目を逸らす。痩せた体型を偽装するような印象的なポンチョ、市松模様の縁取りの上着、褐色の帽子、革ベルトにブラック・ジーンズ。無精髭に葉巻を食わえた男はことの次第を見つめる。彼は一貫して寡黙でクール、どことなくミステリアスな存在としてこの街の様子を見つめている。よそ者の一匹狼のガンマンが街に降り立ち、その圧倒的な早打ちに加え、知能で悪を蹂躙する様は明らかにアメリカ製西部劇をシニカルに模倣する。 ウィリアム・ワイラーの『ベン・ハー』などで長年助監督経験を積み、ようやく監督デビューを果たしたイタリア人セルジオ・レオーネの出世作としても知られる今作は、当初イーストウッドではなく、別の役者を想定していた。第一希望だったヘンリー・フォンダには「アメリカ映画の亜流」として断られ、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソンと徐々にスケール・ダウンしていった構想はそれでも了解を得られず、TV西部劇『ローハイド』で副隊長のロディ・イェーツを演じたクリント・イーストウッドに白羽の矢が立つ。彼はこの企画を二つ返事で了承し、『ローハイド』の休暇を使って、単身スペインへと乗り込む。

セルジオ・レオーネ作品の登場人物たちは、いつだって泥と埃、脂と汗にまみれた実に男臭い主人公を体現する。どこからともなくやって来て、全能の神のように暴力、死、つかの間の安息を齎し、夕陽に消えていく主人公の人物造形は「マカロニ・ウェスタン」の雛形になっただけではなく、イーストウッドの後の監督作である『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』でも繰り返し用いられたあまりにも重要なモチーフである。今作において名乗る名もない男ジョーが体現するのは、あまりにも薄汚れた身なりで、時に皮肉な笑みを浮かべる超個人主義者の姿に他ならない。当時のアメリカでは、若者たちの「理由なき反抗」としてカウンター・カルチャーとして、戦前から生きるベテランたちの時代に対し、どことなくクールな若者が持て囃された。マーロン・ブランド、モンゴメリー・クリフト、ポール・ニューマン、ジェームス・ディーン、ジョン・カサヴェテス。彼らの活気に支えられ、戦前からの活況を呈するかに見られたハリウッド映画は1950年代半ばから突如苦境に陥る。この斜陽の決定的な理由は諸説あるが、一般家庭へのテレビの普及が齎した影響は云うまでもない。幼い頃から映画の世界に憧れたイーストウッドが、ハリウッドに居場所が見つからず、テレビ業界に活路を見出し、やがてイタリアで映画熱に浮かされたセルジオ・レオーネに呼び出されたのは何かの運命だろうか?当時、今作の配給を手掛けたティタヌス社はロバート・オルドリッチの『ソドムとゴモラ』、ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』の歴史的不入りで一気に経営が傾いていた。その手っ取り早い解決策として提案されたアメリカ製西部劇の模倣が、マカロニ・ウェスタンならぬ「スパゲティ・ウェスタン」(淀川長治命名)の決定的な素地となる。

孤独で一匹狼の主人公ジョーを下支えする呑み屋の主人シルバニト(ホセ・カルヴォ)の姿。黒澤明『用心棒』同様に3つの棺を用意するピリペロ(ヨゼフ・エッガー)のサポートを受ける姿は、一貫してアウトローな「ダーティ・ヒーロー」としての名なしの男ジョーのスタンスを決定づける。救うべきヒロインとは一向に恋仲に至ることなく、ただひたすら母の悲劇を暗喩的に指し示すモチーフが素晴らしい。オリジナルである『用心棒』の桑畑三十郎(三船敏郎)がただひたすら泥臭い男の世界に終始し、司葉子の存在がおまけに過ぎなかったのに対し、今作ではあえて火中の栗を拾うことに「母性回帰」のエロチシズムが漂う。マリソルを助けた時つぶやいた言葉に、彼のあまりにも謎な背景が少しだけ垣間見える。クライマックスでも、火の手が上がったあと、最後に殺されるのはバクスター夫人(マルガリータ・ロサノ)で、それを見届けた瞬間、名もなき男の怒りの導火線に火がつく。苦々しい目のエクストリーム・クローズ・アップや足元を据えた今では有り得ない構図とロングショットの対比。どこか哀愁伴うエンニオ・モリコーネの音楽。最初に早打ちの腕をまざまざと見せつけた後、クライマックスまであえて出し惜しみする究極の引き算の美学。転がる樽の無惨。あれだけ瀕死の重傷を負いながら、どうして医者にもかからずにあそこまで回復したのかはともかくとしても 笑、心臓を執拗に狙うラモン(ジャン・マリア・ボロンテ)が狼狽し、7発充填されていた弾を使い切る様の哀れ。途中までは無軌道なファニング戦法にそりゃないぜと思いながら、ラストのウィンチェスターとライフルの攻防に至るまで、真に見逃せない初期衝動が光る傑作。余談だが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』でビフタネンが観ていたのも今作である。

#セルジオレオーネ #クリントイーストウッド #マリアンネコッホ #ホセカルヴォ #ヨゼフエッガー #マルガリータロサノ #ジャンマリアボロンテ #荒野の用心棒

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?