【第587回】『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(スティーヴン・スピルバーグ/2016)

 日中の雨で湿り気を帯びたロンドン、ところどころ水たまりのある石畳の街並み、街路を照らすオレンジの明かり。児童擁護施設では今日もソフィー(ルビー・バーンヒル)が眠れない夜を過ごしていた。正面のドアの下に差し入れられた手紙の束を職員が回収すると、背後の階段には毛布を巻いたお化けのようなソフィーがいる。手持ち無沙汰で2階の廊下を歩きながら、大広間で眠る仲間たちを横目に、窓際一番奥のベッドに渋々入るソフィーの姿。メガネをかけ、懐中電灯で文字を照らしながら読むチャールズ・ディケンズの『ニコラス・ニックルビー』。真裏の窓は白っぽく光り、白いレースのカーテンが風に揺れている。これまでのスピルバーグ作品では、子供たちが眠りについた時、突然白い光と共に未知の生物が現れたが、今作の主人公は深い眠りにつくことがない。夢を見ないという10歳の少女には愛を受けるべき両親も兄弟もいない。夜中に一緒に探検する仲間もいない。彼女の側にいるのは1匹の猫だけである。1人ぼっちの少女がディケンズの『ニコラス・ニックルビー』を読む姿は、『カラーパープル』において、セリーとネッティの姉妹が同じチャールズ・ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』を読む姿と重なり合う。やがて大きな窓を開いた少女の前に、7mもの大男BFG/ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(マーク・ライランス)が現れる。前作『ブリッジ・オブ・スパイ』でドイツ系ロシア人のソ連諜報員をシリアスに演じたマーク・ライランスが、180度違う大男を好演する。

スピルバーグの作品では、時に大人びた子供と子供じみた大人が運命の出会いを果たす。今作でも孤児ソフィーは10歳でディケンズの『ニコラス・ニックルビー』を読むほど聡明な少女であり、自立心に富み、強い勇気を持っている。それに対してBFGは地球と同じくらいの年齢で、見た目もおじいちゃんと呼べるほどに首が細く、おでこには幾重にもシワがより、白髪を後ろになびかせているが、マルノミ(ジェマイン・クレメント)たちの迫害にいつも怯えている。巨人たちの世界では、マルノミに支配され、ゴックリン、ペロリン、チダラリン、ガブリン、ツブシー、ニクスキー、ダラリーたちはニンゲンマメ(人間の子供)を食べる存在に堕落している。多数の集団の中で1人が阻害される物語は、『E.T.』の物語と同工異曲の様相を呈す。それもそのはず、奇しくも今作の脚本を手掛けたのは『E.T.』でスピルバーグとタッグを組んだメリッサ・マシスンである。不安げに彷徨い歩くE.T.を見つけたエリオットはE.T.に言葉や感情を教えたように、今作でも独学で英語を覚えたBFGの些細な間違いの数々に、ソフィーがその都度修正を加えていく。この教育とイニシエーションの主題は、『カラーパープル』におけるセリーとシャグ、『太陽の帝国』におけるジェイミーとベイシー、『アミスタッド』におけるロジャー・ボールドウィンとシンケ、『戦火の馬』におけるアルバート・ナラコットと馬の絆を忠実に継承する。原作にスピルバーグが新たに書き加えた部分、たどたどしい言葉でBFGがディケンズの『ニコラス・ニックルビー』を読み聞かせる時、まるで父親の子守唄のような朗読に、うっとりとしてソフィーは眠る。相変わらずスピルバーグは心と心の通い合いの些細な描写が上手い。『スター・ウォーズ』シリーズの音楽も手掛けるジョン・ウィリアムズの劇伴復帰も相当に喜ばしい。

『E.T.』との類似性と共に、父親不在の少女が、情けない父親代わりを徹底して鼓舞する様子は『フック』にも近い。BFGの『ニコラス・ニックルビー』の朗読を子守り代わりにして、ソフィーが寝るゆりかごは『フック』の船長の海賊船を想起せずにはいられない。ロアルド・ダールの『オ・ヤサシ巨人BFG』を原作とした物語は、同じファンタジーである『ピーターパン』との親和性も強く感じられる。マルノミの奇襲により、ソフィーがBFGの家を逃げ惑う洞窟のアクションは『インディ・ジョーンズ』シリーズを彷彿とさせる。盟友ロバート・ゼメキスのパフォーマンス・キャプチャが徹底して高低差を意識した落下の描写に秀でているのに対し、スピルバーグ×ヤヌス・カミンスキーの息のあったタッグは高さではなく、奥行きを活かす。クライマックスの戦闘シーンでは、手前で何か起こっているその背景で建物が崩れる。中盤の絶体絶命の場面では、ヒロインはまたしても車の中に閉じ込められ、窓のすぐ外には怪物がいる恐怖を味わう。一際印象的な名シーン、まるで『E.T.』の人差し指同士のように、ソフィーが手を出し、その姿に呼応するようにBFGが小指を出す場面でも、彼らの背景には真ん丸に切り取られた岩を夕日が照らし、その影だけが切り取られる。むしろ今作の唯一の問題は、クライマックスの唐突な英国女王との接見の場面の違和感だろう。前半とクライマックスのファンタジーの流れを強引に断ち切るように、ナンセンスなギャグと馬鹿馬鹿しさに終始する英国女王との場面には、一瞬『1941』と同じ轍を踏みそうになるスピルバーグの危うさが垣間見えた。一貫してマイノリティ同士の強い結びつきがディスニーの琴線に触れたのは理解出来るが、ディズニー映画としては「珍品」に違いない。

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