【第367回】『アイム・ノット・ゼア』(トッド・ヘインズ/2007)

 トッド・ヘインズはかつて『ベルベット・ゴールドマイン』において、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップの性別を越えた尋常ならざる交流を描いていたが、今作は同じく音楽史を彩った象徴的な出来事に目を向ける。映画は60年代に世界をリードした「フォークの神様」ボブ・ディランの半生にスポットを当てている。『ベルベット・ゴールドマイン』では70年代の英国シーンを細かなディテイルに至るまで忠実に再現することでリアリティを生んでいたが、今作は処女作『ポイズン』に立ち返ったかのように、6人の俳優がボブ・ディランの精神性を切り取った人生の断片を入れ替わり立ち替わり演じ、それを時系列バラバラにコラージュ的につなぎ合わせていくことで、ディランとその時代の生きたドキュメンタリーであろうとする。

19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボー(ベン・ウィショー)は「なぜプロテスト・ミュージックをやめたのか?」という尋問を受けている。1959年、「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケースを持つ黒人少年ウディ・ガスリー(マーカス・カール・フランクリン)は黒人ブルース・シンガーの家に転がり込む。しかし老母に「今の世界のことを歌いなさい」と言われ、再び旅に出るのである。彼ら1人1人はボブ・ディランが幼少期から思春期に至る最も多感な時期に影響を受けた芸術家たちであり、彼らの凝縮された人生が1960年代のアメリカ史における重大事件と幾重にも折り重なっていく。その中でも『ベルベット・ゴールドマイン』を彷彿とさせるかのようなジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベール)のエピソードが興味深い。60年代後半のプロテスト・フォーク界で中心的存在となった彼は、パーティのスピーチでJFKの殺害犯を称えたジョークを漏らしたことで民衆の反感を買い地下へと身を隠す。約20年後、彼は教会でジョン牧師と名乗って再び姿を現す。ヘインズ作品特有の苦悩は、ここでも自らの肥大化したキャラと生身の自分自身とのギャップに疲弊することで反復される。そもそも『ベルベット・ゴールドマイン』において、かつてボウイの大ファンで今は記者として働く男に扮したクリスチャン・ベールが、あれから10年経って今作ではジャックを演じているというのが実に感慨深い。

ベトナム戦争が本格化した1965年、新人俳優ロビー(ヒース・レジャー)は、フランス人の美大生クレア(シャルロット・ゲンズブール)と出会い、結婚する。しかし次第に2人の感情はすれ違い始める。このアメリカ人とフランス人の恋を、『ベルベット・ゴールドマイン』における英国人ボウイと米国人イギーの関係性に置き換えることは容易い。ベトナム戦争の後遺症で人格が変わってしまうロビーという男を、今は亡きヒース・レジャーがどこかシリアスに神経質に演じている。73年、ベトナム戦争からの米軍の撤退のニュースを見ていたクレアは離婚を決意するが、彼女の周りには2人の娘がいるのである。1965年、ジュード(ケイト・ブランシェット)はロックバンドを率いてフォーク・フェスティバルに出演し、ブーイングを受ける。彼はバンドと共にロンドンに向かい、ニューヨークの人気モデル、ココ・リヴィングトン(ミシェル・ウィリアムズ)と出会う。ライブで再びロックを演奏し、パーティ会場で悪態をつき、会場を後にするが、地面に倒れ込む。これは実に見事なニュー・ポート・ロック・フェスティヴァルの暗喩に違いない。ディランにとってアコースティックからエレクトリックへと移行した時代の転換点として今は称えられるが、当時はフォークに対する裏切りとして好意的に受け取られなかったのである。このケイト・ブランシェットのエピソードの熱のこもった描き方が新作『キャロル』につながったのは間違いない事実であろう。

結びの6人目の挿話として、西部の町リドルで暮らすビリー(リチャード・ギア)の隠遁生活が登場する。一匹狼である彼の行動が、60年代に下降期に入っていた西部劇というジャンルにオマージュを捧げたものであることは想像に難くない。ハイウェイ建設のため町民に立ち退き命令が下るものの、ビリーはその黒幕がギャレット長官であることを突き止め、ギャレットの演説会で彼の悪行を非難する。町民たちはその言葉で一斉蜂起を始めるのだ。冒頭の列車の到着と円環状に連なるかのごとく、クライマックスで登場人物はあてのない旅に出る。寡作家であるトッド・ヘインズの時代考証は細部に至るまでまったく隙がないが、『ベルベット・ゴールドマイン』や『エデンより彼方に』と比べれば、あまりにも複雑な語りを選んだのは偽らない事実であろう。ディランの半生を時系列に沿って伝えるならばボブ・ディラン信者は熱狂しただろうが、むしろ今作でヘインズが真に描きたかったのは、ディランが疾走した60年代の時代背景の再現に他ならない。物語の構造は非常に複雑で難解で、ディランがどんな人間だったかを知るにはまったく適していない作品には違いないが、トッド・ヘインズの過去のアメリカ文化への尋常ならざる熱量とのめり込み方は十分に理解出来た。

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