【第438回】『レヴェナント 蘇えりし者』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ/2015)

 地面に溢れ出した水が、木々の太い幹をゆっくりと伝わっていくあまりにも美しく幻想的なショット。タルコフスキーのような素晴らしい映像詩とフレームへの強烈な誘いである。どうやら父親ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は息子ホーク(フォレスト・グッドラック)に身をもって狩りを教えるつもりらしい。少し離れたところから鹿が顔を出すタイミングを伺いながら、じっと銃を構える。息子は堪らず打ち気にはやるが、父親はそれを遮り、目を細めながらターゲットを仕留めるチャンスを伺う。次の瞬間、射撃は命中し、鹿はもんどり打って倒れる。射撃の瞬間、あたり一面に広がる烈しい射撃音がこだまする。静寂の中を一瞬だけ響いたけたたましい音に、一団の中の男ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)はあからさまに不機嫌な表情を浮かべる。銃を使って狩りをすれば、自分たちの居場所を他者に知らせるリスクをも負うことになる。案の定時を同じくして、ヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)率いる毛皮ハンターたちが憩うキャンプの無防備な輪に何者かが集団で襲って来る。少し離れた森の中にいた父子も、キャンプの惨劇に気付いたらしく大急ぎで戻ると、阿鼻叫喚の地獄絵図が待ち構えている。

どこから矢が飛んでくるともわからない緊張感と恐怖感、一瞬にして次々に団員たちがやられる様子は、まるでスティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』冒頭のノルマンディ上陸作戦のような地獄の光景に他ならない。団員たちの絶叫、2倍3倍に跳ね返される攻撃、水辺にかかる薄靄、川にプカプカと浮かぶ死体、火をつけられた木々。先住民族でインディアンの血を引くアリカラ族の急襲から辛くも逃れたグラスとヘンリーたちは船に飛び乗り、川へ逃れる。一瞬の惨劇により、隊の人員のほとんどは死に、生き残った数名のガイド役を務めるグラスは山沿いを歩き、カイオワ砦までの行路を提案するが、フィッツジェラルドとはことごとく意見が食い違う。身勝手で利己的な差別主義者、これがおよそフィッツジェラルドに相応しい見立てだが、グラスは彼の挑発を何度も交わす。グラスとフィッツジェラルドの間に漂う不協和音、白人の父とポーニー族の母親との間に生まれた混血児ホークとの父性愛。ハリウッド映画の構造において、家族ドラマは再生か破壊か二者択一のシンプルな物語にならざるを得ないが、雄大な自然の中で繰り広げられる骨太な復讐劇は残酷で息を呑む。極限地帯でのサバイバルといえばロバート・ゼメキスの『キャスト・アウェイ』やイエジー・スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』など素晴らしい前例が確かに有るが、極端に台詞を抑えた今作の演技でオスカーを獲得したレオナルド・ディカプリオの極限状態の凄みに圧倒される。

どこを切り取っても壮大な雪山、急襲の際、松明でつけられた火とスロー・モーションのように倒れる木々、蜃気楼の中を立ち昇る太陽、常緑の針葉樹の俯瞰ショット、一面凍結した氷の川など、切り取られた背景の雄弁さが役者の演技以上に素晴らしい説得力を持って迫る。これまで『ゼロ・グラビティ』や『バードマン あるいは』や『ツリー・オブ・ライフ』などの作品で撮影監督を担当したエマニュエル・ルベツキのカメラワークは、全体のバランスよりもテクニックに走りがちで、その技巧が物語の認識よりも前面に出て来てしまい、鼻に付くことが度々あったが、今作の地に足のついたショット選び、フレームの外側への意識の2時間30分の持続にはただただ頭が下がる。ただでさえ滑りやすい雪山を、役者並みに動き回るフットワークの軽さ、綿密にリハーサルをした上で、フレームの中に、フレームの外側の偶然性をも取り込もうとするエマニュエル・ルベツキとアレハンドロ・G・イニャリトゥの神懸かり的な判断もここでは功を奏す。ネタバレになるので多くは語れないが、クライマックスの場面でフレームに飛び散るある液体を拭かずに、一気に長回しで撮影されたシーンの判断の素晴らしさにも拍手を送りたい。雪崩の場面もCGだと思いきや、地中深くに爆弾を仕込んで爆発させた人工の雪崩らしいと聞いて驚いた。レオ様の白い息が大型スクリーンに映された場面はもはや感動的ですらある。今作は役者たちと撮影監督ルベツキのセッションにより生まれたと言っても過言ではない。

日本では「三途の河」と評されるだろう、あの世とこの世の境目の廃墟のようなキリスト教のモニュメントの美しさには心底見惚れた。夢の中で何度も見た家族の平和だった時代の安らぎの光景と、意識を取り戻した男の前に広がる過酷な光景の対比も見事である。雪山の西部劇といえば直近ではクエンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』があるが、タランティーノやポール・トーマス・アンダーソンがフィルム回帰を志向するのに対し、アレハンドロ・G・イニャリトゥとエマニュエル・ルベツキはデジタルこそが最強だと声高に叫ぶ。自然光のみを使用し、光の差す場所や撮影時間の制限された過酷な環境下で、光と影が織り成す見事な撮影と緻密な背景描写には参った。このフィルム派とデジタル派の権力争いが、近年のアメリカ映画を奥深く、より面白くしているのは間違いない。坂本龍一の音楽というよりも音響も素晴らしい効果を上げている。欲を言えばシンプルで平易な物語構造だけに、あと30分削り、2時間以内に収めて欲しかった。『アモーレス・ペロス』から一貫して長尺な物語を志向するアレハンドロだが、いつの間にかふてぶてしいまでの大作家然とした頼もしいスケールをも備えつつある。

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