【第459回】『マクベス』(ジャスティン・カーゼル/2015)

 荒涼とした小高い丘、うっすらと土を掘り返したくぼ地。その茶色い土の上に少年は眠る。父親マクベス(マイケル・ファスベンダー)とその妻(マリオン・コティヤール)は少し離れたところで、哀しみを浮かべながら静かに手を合わせる。父親は少年の亡骸の前にそっと歩き出し、穏やかに眠る表情を確認したところで、左目そして右目へ貝殻を乗せる。夫婦の身に降りかかった幼気な息子の死。哀しみを振り払うかのように、男は今日も戦場で最前線に立つ。分厚い革製の鎧を身にまとい、背中にスペアの剣を携えながら、剣を構えジリジリと敵陣ににじり寄る。眼前に拡がる無数の大群。マクベスの掛け声とともに、敵味方入り乱れた内戦の幕が開く。その瞬間、まるで時間が止まったかのような鈍重なスロー・モーション。互いの刃先同士が噛み合い、返すスピードで骨を断つ。男の気迫に圧倒され、彼に切りつけてくる者はやがていなくなる。砂煙の舞う戦場で、朧げに見える敵将の姿。首を一閃切る男のロング・ショット。かくして男はダンカン王(デヴィッド・シューリス)に対し、勝利という最高の褒美を持ち帰る。

戦場の狂乱の最中、夥しい数の屍の向こうにうっすらと浮かぶ3人の黒装束の女のシルエット。一人は赤ん坊を大事そうに抱きかかえている。原作では魔女の設定だが、天啓を齎す使いのようにも見える。彼女たちはマクベスの前に赴き、静かに「あなたは将来スコットランド王になる」と告げるのである。そして彼の傍にいるマクベスと共に戦ったバンクォー(パディ・コンシダイン)に対しても「子孫はいつか未来の王になる」と言い残してその場をゆっくりと立ち去っていく。3人の預言者は人間なのか?それとも神の使いなのか?国王に一生の忠誠を誓った男に芽生えた出世への欲望が徐々に夫婦の歯車を狂わせていく。シェークスピアの400年前に書いた戯曲を原作としながらも、監督であるジャスティン・カーゼルのアイデアは現代的で、様々な示唆に富む。書き足されたマクベス夫婦の子供の描写、魔女には見えない預言者、それら細部の柔らかな変更は至る所で起こる。マクベスと言えば、現代でいうところのファム・ファタール然とした妻が裏で糸を引く物語だと解釈していた。戦場に立たない女性ながら、夫以上に野心や出世欲の強い女性としてマクベス夫人は裏で糸を引き、直接的な上司だった国王を刃にかけるのだが、今作ではむしろ妻の造形はもっと柔らかく、悲劇のヒロインに近い。強い野心は持ちながらも、献身的に夫を支える妻のいじらしさや広い母性をマリオン・コティヤールは一手に引き受ける。逞しい顎鬚をゆっくりとさすりながら夫の傷を癒し、優しく包み込む。そんな薄幸のヒロインの内面が滲み出るような白のドレスと黒の喪服の対照的な色彩が素晴らしい。

マクベス自体の人物造形も、昨今のアメリカ映画を例に挙げるまでもなく、戦争という極限状態で心が蝕まれたPTSDを患う者として描いている。荒廃した政治情勢により、至る所で内戦が続発した当時のスコットランド情勢。常に最前線に立ち続けた男の心は疲弊し、背中を見せるべき息子はもはやこの世にはいない。預言者の仰せ通りにスコットランドの新国王に就任した途端、彼は名誉と権力に溺れ、もう一つの預言を恐れ始める。皮肉にも仕えるべき国王を失い、息子さえ失った男は、子孫を絶やさないでいる親友を心底恐れ、戦友を殺める。良心の呵責は何重にも彼を苦しめ、戦場の夥しい血や死体によりある種の錯乱状態になった男の晩餐会の席上での痴態。その錯乱した姿にも、妻であるマリオン・コティヤールは国王を国王らしくいさせようと諌める。その崇高な演技はあまりにも美しく息を呑む。それゆえに妻は夫の症状が一線を越えてしまったことに絶望するのである。かくして預言者の教えを狂信的に信じ、妻や子供をも磔にし、火を放つことも厭わない狂人の判断は、唯一の理解者だった母性をも奪い取る。それと共に今作が切り取るのは、子供達のあまりにも印象深い表情の数々である。父親を無残にも殺され、怯え果てた息子の表情、戦場で無残にも犠牲となる少年兵の最期、導入部分に登場したマクベス夫妻の息子の遺体の笑みを浮かべるような柔らかな表情、そしてマクベスを優しく諌めるのと同じ口調で、子供に話しかけたマリオン・コティヤールの穏やかで哀しい最期。古典とも言える物語を現代的にアップデートした味わい深い作品である。

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