【第528回】『ヴァネッサの肖像』(クリント・イーストウッド/1985)

 19世紀末、宮殿のような大きな家の前に立つ白いドレスの貴婦人ヴァネッサ(ソンドラ・ロック)の姿。白い日傘に白いドレス、きめ細かい白い肌が美しいヒロインを、絵描きの夫バイロン・サリヴァン(ハーヴェイ・カイテル)は今日もスケッチする。2人の間にある5mくらいの距離。鼻が痒くなった女は一瞬鼻を掻くと、手持ち無沙汰な素振りを見せる。その姿に痺れを切らしたのか、絵描きは2人の新婚旅行先であるフランス・パリでの1年前の思い出を語り始める。誰が見ても仲睦まじい夫婦の日常。庭では仲間たちがテニスを楽しむ優雅な特権階級の暮らし。そこで友人の1人が絵描きの夫に幸福な招待状をもたらす。ジェームズ・マクニール・ホイッスラーやメアリー・カサットら美術界の巨匠たちも招待されたニューヨークのコールマン・ギャラリーで開かれる個展への招待状。サリヴァンはいまようやくにして、美術界への扉が開かれようとしている。レストランのテーブルでヴァネッサに一部始終を話し、喜びを噛み締める2人の姿。2人は馬車に乗り、午後の舗道を歌いながら笑顔で走るが、道の途中で悲劇は起こる。

今作はスティーヴン・スピルバーグからのオファーにより、TVドラマ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』の1篇として製作された。『トワイライトゾーン』のようなSFや超常現象、怪奇現象を中心にしたスピリチュアルな設定に、イーストウッドは幸せな結婚、突発的な死、その後現れる亡霊としてのヒロインという極めてイーストウッド的なファンタズムの論理を持ち込んでいる。勢いよく駆けていく馬のたてがみのクローズ・アップと前方からのロング・ショットをカット・バックでつなぎながら、その苛烈さの先に雷となぎ倒された木を一瞬挟み込み、妻の死をワンショットで見せ切る。次の画面ではもはや棺に詰められた亡骸が横たわり、ハーヴェイ・カイテル扮する夫は足腰に力が入らず、目には涙を浮かべている。自らが描かれた肖像画を見ながら思案に暮れる主人公の姿は処女作『恐怖のメロディ』の冒頭にも出て来たが、ここでは絵の中のヒロインが突然消え、その絵の中に描かれていたのとまったく同じ様子で、部屋の中にいるのだ。サリヴァンはもはや異世界の住人となった亡き妻をこの世に召喚するために、恐るべき創作意欲を発揮し、皮肉にも全て燃やした作品群以上のヴァネッサの肖像画を生み出し続ける。

70年代アメリカン・ニュー・シネマのアイコンだったハーヴェイ・カイテルの起用も驚いたが、今作はイーストウッドと愛人ソンドラ・ロックが一緒に仕事をした最後の作品となった。サリヴァンの言葉「彼女は今も絵の中に生きている」に対し、彼の仲介役で親友のボー・ブリッジスは「君たちはかえがえのない大切な時間を過ごしたんだな」と何気なく返す場面がある。1976年の『アウトロー』撮影中に監督であったクリント・イーストウッドと交際をはじめ、その後12年間もの期間を一緒に暮らし、85年にはイーストウッドは最初の妻であるマギー・ジョンスンと離婚した。不倫で始まったドロドロの関係を一旦は清算し、2番目の妻になるはずだったソンドラ・ロックは別れを切り出された89年、イーストウッドを提訴。中絶された過去を口外しないという条件で数億円の慰謝料を手にした。その後監督業にも乗り出し、『ラットボーイ』や『インパルス』、『ブレイクアウト』と3本の映画を撮るが、今は表舞台から姿を消した。彼女の名前をイーライ・ロスの『ノック・ノック』の製作総指揮で久方ぶりに発見し、胸が熱くなった。スピルバーグとイーストウッド、2人の天才があらためて出会うまでは、10年後の『マディソン郡の橋』まで待たねばならない。

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