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とてもみてはいられないもの

戦争や暴力映画を観るのが何よりも苦手だ。
ホラー映画よりもだと思う。(まともに観たことがないから言い切れないが)

そんな中、

わたしのこだわりは戦争映画とナチものだ。
見ずにはいられない。

胸を締めつけながらも、「人間の愚かさを学ぶ」ために観られているとのこと。
なんてすごい人だろう。

今それが現実の世界で、またもや起こっていることが苦しくてならない。

広島の平和記念資料館に行ったことのある人はどのくらいいるだろうか?
いわゆる「負の遺産」と呼ばれる場所に行くのはどうも得意ではない。
過呼吸までとは言わないが、呼吸が苦しくなる。

と言いながらも、この世に生きるものとして知るべきとも思っていて、
自分から出向いたりもする。
瀬戸内の島々を旅するのもそういうこともある。
アンネの家にはなんとか行くことができたのだが、
アウシュビッツだけはどうしても心の問題で行けなかった。情けない。

上野千鶴子さんには程遠いがフィールドやレベルは全く違えども、歩みを止めないでおこう。
映像は難しくとも。

ロシアから日本に来ていた人に少しお世話になったことがある。
本当に短時間だったが、当時、人生で大きな障壁を目の前にして途方に暮れていた時だった。

大きな大きな心で話を聞いてくれたうえに、
とても率直な意見を言ってくれた。

よほど親しい友くらいしかそんなことは言えないだろう、
ということまで、知り合って日が浅いわたしなんぞにズバッと。

その後、いろいろ落ち着いた時にお礼をしようとしたが、
再会は叶わなかった。

随分経ってから、
モスクワとサンクトペテルブルクには行く機会があった。

その人の心のように広大だった。
他の国々とも随分違った。

そう感じながら、博物館にマンモスを見たり、
乗りたかった列車や地下鉄に乗ったり、
駆け足だったが、マトリョーシカ売りのおじさんたちと楽しくお話ができた(一体何語で話したのだろう...)ことも記憶に残っている。

上野千鶴子さんの上記本の中で、

人生の勝負は短期では決まらない

辛くて苦しい、人間らしい生活が抑制された数年。
このように言い聞かせ、そろそろコロナが終息に向かったら/向けてそろそろ動き出そう、と思っている/たヒトも多いのではないだろうか?

報道や情報、苦しすぎてみてはいられない心情になるし、
とてもみていられない、聞いていられないものばかり。

何もできないことがもどかしいが、今は目を逸らさずに、確かな情報を見聞きし、
自国でそれが起こったら、何の立場も想像してみる。






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