_なりたくない大人_に近付いている感覚

”なりたくない大人”に近付いている感覚

こんにちは。長田(@SsfRn)です。

先日、同じWasei Salonメンバーである、佐田さん(@mst727)のこちらの記事を読みました。

佐田さんが考える、佐田さん自身の弱さや原動力について書かれているのですが、これを読んで激しく共感したんです。

今回は読んで感じたことを書いてみようと思います。


”なりたくない大人”に近付いている感覚

佐田さんの記事には、こんな一文がありました。

もしかすると中学時代に感じた「オトナへの絶望感」が関係しているのかなと。だけどなにかの折でその攻撃性が増したとき、自分自身がその”オトナ”に近づきつつあることに気づいたんです。

自分自身が”なりたくない大人”に近付いている感覚。

これは私も時々感じることで、幼い頃に感じていたなりたくない大人になっているのかもしれない。そんな危機感に似た感覚を持つことがあります。

僕はこれまで、数え切れないほどの”大人”と接してきて、様々なタイプの方とコミュニケーションを取ってきました。多くの良い方がいる中、もちろん合わない方もいるものです。正直「この人は真似したくないな」と感じてしまうことはあり、その度にその人を”反面教師”というカテゴリーに分けて、僕自身の中の”やってはいけないリスト”が増えていきました。

「あの人のようになりたくない」

何故か、僕自身の中にはその気持ちが強くありました。やってはいけないリストが増えて行く度に、僕は厚化粧のように外側を塗り固めていっていた気がします。「あの人のようになりたくない」この一心で。

ふと振り返ると、外側だけ塗り固めて、中身がない自分になっているような気がしたんです。それはまさに僕がなりたくないと思っていた大人の姿でした。なりたくないと思っていて、遠ざけていたはずの姿に、気付かぬ間に確実に近付いていたんです。

何故そうなってしまったのか?

それは、表面上のことしか判断することができていなくて、なりたくない大人の本質的な部分を理解できていなかったから。その部分しか切り取らず、なぜその行動するのか?というところまで、考えられなかったことに他ならないと思っています。

表面上のことばかり気になってしまい、”人の苦手な部分”に敏感になっていた時期が僕にはありました。よく人の良いところを見ましょう!ということを耳にしますが、その正反対なことをやっていたのです。いわば、人の悪いところ探しですね。今思えばとてもひどい思考と視点だなぁと思います。

つまり、それは結局僕自身の弱さの表れ。

自分の弱さと向き合えないという弱さ。これが間違いなく僕自身の中にはありました。その事実には気付いていたし、理解もしていたつもりでしたが、立ち向かう勇気がなかったんです。

そして、同時にそれは恐怖という感情も運んできました。すべてが崩れるような恐怖感。これまで塗り固めてきたものがすべて崩れて、すべてを失うようなそんな感覚。何度この恐怖に襲われたことか。


だからこそ行動する

そんな恐怖感に襲われながらも、導いた一つ答えが「行動」でした。僕自身がやってきたこと、その足跡をしっかり残すためにも行動し続けるしかなかった。その足跡は僕の勇気をくれるから。

また、行動した結果繋がった方々からも、勇気がもらえる。行動しなければ繋がるはずなかった皆さんと繋がれたこと、これはかけがえのない財産。

それらの勇気が、弱さに向き合える一歩となり、僕自身の更なる原動力となっている。

確かに、僕自身は弱いし、まだまだ未熟なところがたくさんある。でも、それは時に原動力になるし、その結果糧になる経験が積める。僕自身を少しずつ成長させてくれる。

弱さって一見ネガティブに思えるけど、向き合い方によっては間違いなくエネルギーとなり、前に進む要因となりうると思います。

僕はこれからも自分の弱さと向き合って、一緒に成長していきたい。


最後に

佐田さんは記事を、同じくWasei Salonメンバーである河野さん(@ryoxxx71)の記事を読んで書かれたそうです。

それもあり、記事リレーみたいな形で、私も今回記事にしよう!と思い、書かせていただきました。

こうやって、記事で会話したり、繋がりを感じたりすることってとても素敵だと感じております。Wasei Salonの新しいコミュニケーションの形って感じです。

それができているのは、お互いが真摯に向き合うことができているから。最高の居場所です。

それでは!


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