人間くささを感じるとき
こんにちは。長田(@SsfRn)です。
先日、とても調子が悪い日があって、細かいミスとか、おっちょこちょいなことをしている時がありました。
そんな自分を「ダメなところでてしまった」と思っていたんですけど、それは「人間くさい」と表現した方が適切かなと、友人との会話で思ったんです。
今回はそんな「人間くささについて」。
人間くささって何か?
そもそも、人間くさいというのは、どういうことなんでしょうか?
どういう時に、そのひとのことを「人間くさいなぁ」と感じるのか?
それは「感情を優先した行動を取っている」ことなのかなと思います。そういう時に、ひとはひとに人間くささを感じるのかなと。
悲しい時に泣く
嬉しい時に喜ぶ
楽しい時に笑う
イライラする時に怒る
そんな自分の感情に素直になっているひとに、僕は人間くささを感じています。打算やロジカルな部分を排除すればするほど、人間くささを感じるのかなと。
「したいことを、したい時に、したいだけする」っていうのも、もしかしたらひとつの人間くささなのかなと、今書いてて思いました。だから、僕は好きなことを好きって言いたいし、嫌いなことを嫌いと言いたいし、笑っていたいのかもしれません。
ひとは人間くさい部分に信用を感じる
人間くさいひとって、ひとから愛されるひとが多いなぁと感じます。
それはきっと、「ひとは人間くさい部分に信用を感じる」からなのかなと思っています。
無作為な喜怒哀楽の姿を見ると、急に距離感が近く感じる気がしていて、それを見せるひとに対して、温かみを感じます。
その温かみから、そのひとに人間らしさを感じるんですね。やっぱ僕らはロボットではなく、人間を愛したい。だからこそ、その人間らしさが信用へとつながっているのかなと。
感情を優先した行動を見せることが、ひとに信用してもらえる、ひとつのキーポイントではないでしょうか。
最後に
エモい文章を読んで、心を動かされ、その文章を好きになる。
このエモさというのも、まさに人間くささを感じるものだと思います。
エモい文章のように、やっぱり温かみを感じることが、とても大事なことなのかなと思います。それは、ひとつのサービスをとってもそうかもしれません。
今転職サービスWebサイトを見ているのですが、そこから温かみを感じれなさすぎて、なんか違うなぁという感覚を抱いています。逆にnoteが好きなのは、温かみを感じるからなのかもしれません。
今日はこんなところで。
それでは!
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