3年半関わっていたフレスコボールから離れて感じた大切な感情

おはようございます。長田(@SsfRn)です。

僕のことを知っている方はご存知かと思うのですが、僕は2015年1月から「フレスコボール」というスポーツに関わっています。

フレスコボールというのは、ブラジル発祥のラケットを使ったビーチスポーツです。2人1組を組み、ゴムボールを打ち合うのですが、この2人は仲間。テニスやバドミントンみたく、打ちのめすことはしません。では、どうやって勝負するかと言うと、これは採点競技なんです。5分間という時間が与えられ、その中で何点稼げるか?を競い合うスポーツ。

僕が3年半前にフレスコボールと出会ったのは、知人のスポーツ交流会の会場でした。当時の日本フレスコボール協会事務局長との出会いが、僕のフレスコボールとの出会い。

はじめは、何のスポーツなのかさっぱり。ただ、僕がもともとテニスをやっていたこと(かなりテニスの感覚と近い)と、フレスコボールが持つ特性に惹かれて、競技としてではなく普及側の立場で関わりはじめました。

僕が考えるスポーツの価値を体現していたと感じたのが、僕の中ではとても大きかった。僕の考えるスポーツの価値とは「人を繋げる力」。フレスコボールは打ち合う相手が仲間なので、敵を作りません。みんな仲間で家族。そんな世界観ってステキじゃないですか?それが文化として成り立っていたんです。


話を戻すと、普及に関わって2年が経った頃、僕の中で2つの出来事がありました。

ひとつは、普及活動をしていく中で、普及側でしかできないことへの限界。普及って割り切ってしまうと、どうしても選手との距離が離れてしまっていたんですね。この状況に歯がゆさを感じていました。

もうひとつが、橋詰さんというパートナーとの出会いです。これまで大会に出ようと思わなかった理由のひとつとして、ペアがいなかったことが大きかったんです。そんな中、急に現れた「一緒に組みたい!」と思える人がこの橋詰さんという方です。

この2つの状況が重なり、僕は2017年5月から競技者も兼任で活動することにしました。ちゃんと大会に出て、いきなり準優勝できたこともあり、周りのひとに認めてもらえた感覚を持ったことを覚えています(もちろん、日頃が排他的な感じということではありません)。

それからどんどんフレスコボールコミュニティを、より身近に感じるようになり、僕自身とても楽しんでいました。実際に、大会中に泣くこともあったし(普段僕は絶対泣きません)、いっしょにフレスコボールをして、みんなと過ごす時間がとてもとても楽しかった。時にはバカみたいに飲んで潰されたり、普通に遊びに行くこともあったり、本当に最高の日々でした。完全に僕の中で居場所になっていたんですね。

イタリアやブラジルに日本代表選手としていったこともあり、フレスコボールを通じて多くの繋がりをもらったんです。こんな価値あることなかなかないなと感じ、フレスコボールに感謝もしていました。


そんな中、起こった1つのコト。

前の事務局長が急にいなくなったんです。僕はまったく本人を責める気はなくて、しょーがないことだなと思いました。マイナースポーツが故に、様々な問題が頻繁に発生する。特にコアに関われば関わるほど、それが強くおしかかってきます。それは僕自身が事務局長になって強く感じていました。

だからこそ、感じてしまうプレッシャーは間違いなくあって、簡単にメンタルが弱いとか、あいつが悪いとか、そんな感じで片付けるのは無責任にもほどがあるなと、感じているんですね。


僕の話に戻すと、先ほどお話した通り、僕は2017年夏から日本フレスコボール協会の事務局長になりました。前事務局長のあとを引き継いだのですが、入ってみて知る現実がたくさんあって、様々な難しさを感じました。

やりたいことはたくさんあるし、理想は描いているけど、それを実現するためのリソースの限界。やりたいけどできないという歯がゆさを感じながらも、今あるリソースでできることをやっていくしかありませんでした。

そんな中、僕は「コミュニティ」に興味を強く惹かれ、可能な限りリソースをかけるようになりました。もちろんフレスコボールの普及活動はしながらです。

でも、やはり空いている時間に考えることは「コミュニティ」のことばかり。その状況に甘えてしまい、徐々にフレスコボールとのズレを感じ始めました。そのズレが大きくなり、結果的に事務局長を離れることに。

それと同時に競技者としての自分も離れるようになりました。気付いたら、フレスコボールコミュニティに顔を出しにくい感じにもなっていたんですね。

それからというものの、月に数回しかフレスコボールをしなくなり、みんなと飲むこともほとんどなくなりました。


そんな感じでフレスコボールから離れてから迎えた、夏の最後の大会(ビーチスポーツなので8月がピーク)。

感じたことはシンプルで「やっぱりここは僕の居場所だった」ということ。

この時に感じた温かさが、めちゃめちゃ心に沁みました。普段全然顔出さなくなったにも関わらず、受け入れてくれるみんなの優しさ。本当にありがたかった。

それからというもの、再びフレスコボールに熱を入れ出している今。

ただ、もう普及に関わることはやめようと思っていて、選手一筋でいこうかなと。それは、僕自身の癖が悪い方向に導いている気がしたから。

その癖とは、なんでも意義をつけたがるということ。ただスポーツをするだけではなく、普及という大義名分をつけることで、自分自身を肯定化していたんだと思います。その結果、自分の首を閉めてしまった。

そうではなく、純粋にスポーツをフレスコボールを楽しむ自分で在りたいな。と思ったんです。そうあるべきだなとも思いました。結局、僕のエネルギーの根源はここになるので。

ということで、フレスコボールもう一度熱入れてやっていこうと思います。ただし、普及は積極的にはやりません。やるときっとまた苦しむので。自己中かもしれませんが、そんなスタンスでやらせてください。


きっと、僕みたいな経験を感じている人っているかもしれません。気付いていなくても、実は経験しているというケースもあると思っています。自分の居場所はどこなのか?これはちゃんと見極める必要性を、僕は今回の件で強く感じました。

皆さんも自分の居場所がどこにあるのか?を見失わないでほしいなと思います。


ちょっと深夜のテンションで書いてしまったので、書きなぐった感じになってしまいました、、すみません、、!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

それでは!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!サポートも嬉しいのですが、コメントやシェア頂けるとめちゃくちゃ喜びます!