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社会が変わると、コミュニケーションはどう変わるのか

能から、アナウンサーへ

社会が変わると、コミュニケーションは変わります。

例えば、江戸時代。
武士は「〜ござる」など、特殊な言葉遣いをしていました。
参勤交代によって地方出身者同士が、お互いに何を言っているのかわからなかったので、共通語として、能・狂言・歌謡などの言葉遣いを用いたために、変な言葉遣いになったと言われています。

「〜ござる」は、江戸時代のコミュニケーションを円滑にするための、プラットフォームだったんです。

時代は変わって、戦後日本です。
金の卵と呼ばれる労働者が、東京に集中しました。
その結果、江戸時代と同様に共通のコミュニケーションプラットフォームが必要になりました。

そこで参考にしたのは、能や狂言ではなく、三種の神器のテレビから流れてくるアナウンサーの話し方でした。

新しいプラットフォームが必要になった人々は、アナウンサーが話し方を指導してくれる話し方教室に殺到し、大変な人気となりました。

時代は、武家の能から、テレビのアナウンサーへと、話し方の手本をシフトさせたのです。

こうして振り返ってみるまでもないのですが、話し方は社会変化と深く関係しています。

現代でも社会状況に合わせて、話し方は少しずつ変わり続けています。

権威的な戦前の話し方

では、令和の話し方についてはどうなったのか。

こういう話し方の大きな変化を説明するためには、戦前あたりから始めなければなりません。

平成と令和の話し方の変化は、一言で言えば「権威的から対話的へ」なんですが、権威的に対するリアリティをまずご説明します。

スピーチは、これまで一箇所に大勢の人が集まって行われました。そして、そこには上下のヒエラルキーが発生します。その人物を権威として振る舞い、権威として扱われる空気が醸成されます。

戦前の政治家の演説を見ていると、演説は田舎の一大イベントのようで、大勢の村民が国会議員の先生の話を聞くために殺到しました。
今でも、小泉進次郎議員が来ると大勢人が集まってきますが、あの熱狂が、もっと山奥の田舎の農村でも見られました。

それまで人前で話す話し方は、「ガマの油売り」のような七五調の話し方が中心でしたが、明治に福沢諭吉が弁舌を日本に紹介してからは、率直に意見を述べる、比較的今の話し方に近い話し方で行われるようになりました。

しかし、政策の中身についての話は今よりも少なく、韻を多用した唄のような演説でした。

戦後の話し方を変えた田中角栄

戦前の権威主義的な話し方はその後も続くのですが、この話し方を一変させる人物が登場します。

そうです。コンピューター付きブルドーザーの異名を持つ田中角栄です。

田中角栄は、様々な話し方革命、コミュニケーション革命を起こし、政界のトップへと駆け上がっていきます。その語り口を一つご紹介します。新人時代の新潟での演説です。

「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」

なんとも、豪胆で痛快な語り口ではありませんか?

本当にできるのかとか、環境破壊反対という声が聞こえてきそうですが、こういう率直にやるべきことを語る話し方は、それまで一般的ではなかったのです。

田中角栄以後、話し方はさらに進化していきます。
小泉純一郎、安倍内閣、そしてお笑い芸人たちの活躍が話し方に大きな影響を与え続けることになります。

そして、これまでの話し方の変化は、コロナで一変するのではなく、加速する結果を生みそうです。

田中角栄と小泉純一郎の違いは、語尾

田中角栄の次に大きく話し方を変えた人物がいます。
それが2001年に旋風を巻き起こした小泉純一郎です。

最大の違いは、言葉遣いです。

田中角栄は「ございます」と、相手を立てる言葉遣いをしていました。
できる男は腰が低いという考え方が出てきたのは頃の頃です。

一方、小泉純一郎は「です・思います」と、相手を水平の立場においた言葉遣いをしています。

日本には、タテ社会の文化があり、相手を持ち上げる「ございます」、相手を下に置く「であります」が、スピーチでは基本でした。

さすがに「であります」口調は、一部政治家に見られる程度なんですが、「ございます」の方は、今でも結構人気があります。

小池百合子東京都知事も、「ございます」を使います。
一方、小泉さんの「です・思います」と同じように話すのは、大阪の吉村洋文大阪府知事、北海道鈴木直北海道知事など、です。

相手を水平において、上でも下でもない話し方は、より率直に相手に対峙する話し方で、比較的世代では、こちらの話し方の方が人気のようです。

今後「ございます」という話し方が少し揺り戻しはあるかもしれませんが、全体としてみれば「です・思います」が、優勢になってくるように見えま
す。

令和時代に求められる話し方

さて、このように相手を水平において話す話し方を支えているのは、価値観の違いです。
一言で言えば、伝統のタテ社会か、アメリカ的ヨコ社会かです。

日本は、伝統的にはタテ社会ですから、「ございます」がもっと長く続いても良さそうですが、そうなっていかないのは、実はインターネットのせいです。

コミュニケーションインフラとなったインターネットは、充実すればするほど、発展すればするほど、ヨコ社会を志向するようにできています。

チャットで「〇〇様 梅雨の候、ますますご健勝のことと」と書かないで、「最近どう?お願いがあるんだけど・・・」と、書く方が自然に感じることが多いでしょう。

ヨコ社会のコミュニケーションを交え、時代にあったコミュニケーションを意識していけるといいですね。

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