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「ダイキン中興の祖、大化けの30年 井上礼之氏の引き際」に注目!

ダイキン中興の祖、大化けの30年 井上礼之氏の引き際 編集委員 竹田忍 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

ダイキン工業の井上礼之会長が名誉会長に退きます。1994年に4代目社長に就任して以来30年間、最前線に立ち陣頭指揮を続けました。89歳となり、「グローバルグループ代表執行役員」の役職は続けますが「アドバイザーに徹する」といいます。創業100周年の節目でもあります。2024年3月期の連結売上高は4兆3953億円と過去最高を更新。社長就任前の1994年3月期に3708億円だったのを10倍以上に増やしました。まごう事なき「中興の祖」です。

最初から超長期政権を考えていたとは思えません。2002年、後任の5代目社長に指名した北井啓之氏には全幅の信頼を置いていました。井上氏は自らが社長に就任する直前、当時部長だった北井氏らと一緒に長野県・蓼科の保養所にこもっています。社内で主流の家庭用エアコン撤退論を排し、業務用・家庭用・ビル用セントラルの「空調3本柱戦略」を立てました。

北井氏が手掛けた大胆なM&A(合併・買収)は現在のダイキンを支えるグローバル展開に大きく貢献します。大病のため2年で退きましたが、2006年にマレーシアのエアコン大手、OYLインダストリーズを買収した際は病を押して実質的な指揮を執りました。2014年に亡くなった北井氏が存命なら、権限委譲はもう少し早まっていたかもしれません。

社長就任が内定した1994年の記者会見で井上氏は「(創業家で3代目社長の)山田稔氏から思いやりを意味する『恕(じょ)の精神』を学んだ」と語りました。編集委員の竹田忍氏は、まことに失礼ながら第一印象は人事・労務畑を歩んだ温厚な人物という程度。ここまで「大化け」するとは思わなかった。今となっては自らの不明を恥じるばかりと記しています。

1994年時点での知名度は同姓だが親戚ではない別の役員の方が高かったです。山田氏は関西の経済界で活動する時にこの役員を重用し、メディアへの露出が多かったです。1991年秋、ある在阪銀行幹部がこの役員を「関西経済同友会の次期代表幹事に推したい」と打診しました。山田氏は「それなら偉くしてやらんといかんな」と言って昇格させました。

世間は社長レースがこの人事に反映されていると受け止めました。実はこの時、山田氏は「でもなぁ、本当に偉くなるのはもう片方の井上やで」と明かしています。後継社長は早々に井上礼之氏で決着済みだったのです。

初任地の淀川製作所(大阪府摂津市)に18年間勤務しました。入社7年目の係長時代、上司の反対を押し切って工場のタイムカードを廃止。すると遅刻が減り、設備稼働率が上がったそうです。性悪説で人は動かないと信じ、期せずして「恕の精神」を実践していました。

頭角を現したのは1971年8月に始めた淀川製作所の盆踊り大会。工場周辺の農家から工場の排煙でクレームが入り、地域との関係を良くするために開きました。第1回は約6000人が来場して大成功。今では2万人以上が来場する地域の一大イベントに育ちました。

近接するビール工場から出来たての生ビールをローリーで搬入、来賓の関西企業トップにふるまってもてなします。盆踊りのプログラム立案から進行までを任された新入社員はプロジェクト管理を実地で学び、同期の結束を固めます。1粒で2度も3度もおいしいです。

沖縄から米軍基地問題だけでなく、明るいニュースも発信する目的で1988年3月、女子プロゴルフ大会の「ダイキン・オーキッド・レディースゴルフトーナメント」を琉球放送との共催で開始しました。これも企画段階から担当しました。本戦の前に前夜祭を開き、関西と首都圏、沖縄の経済人が女子プロと一緒にラウンドするプロアマ大会もあります。接遇するのはダイキンの一般社員。この手作り感が評判で、ダイキンに好印象を持つ経済人が増えたそうです。

良いことばかりは続きません。同年12月7日、大阪府警がダイキン工業本社へ家宅捜索に入りました。対共産圏輸出統制委員会(ココム)の規制対象である高純度ハロンをソ連に不正輸出した容疑です。ダイキンの信用は失墜しました。山田氏は井上氏を化学事業担当にして事後処理を任せました。

フッ素樹脂のダンピング問題、モントリオール議定書に沿ったフロンガス規制にも直面し、化学事業は三重苦にあえいでいました。文系で化学は門外漢ですが、矢継ぎ早の施策で事業体質を改めました。

盆踊り、ダイキン・オーキッド、ココム違反――。山田氏が与えた3つの課題をクリアし、井上氏は専務から社長に昇格しました。

理想的な冷媒とされるフロンは1928年に米国で開発されました。創業者の山田晁氏は国産化を急ぎ、ダイキンは戦前の1935年に日本初のフロン生産に成功しています。ダイキンは世界で唯一、冷媒のフロンから空調機器までを一貫製造する企業。空調専業だから大きな投資も決断できます。この強みを前面に押し出し、「空調世界一」を目標に掲げました。自己資本利益率(ROE)やPBR(株価純資産倍率)のように難解な目標と違って末端まで浸透しやすいです。スピーチも巧みで関西人ならではのワードセンスが光ります。

井上氏なきダイキン工業を率いるのは十河政則次期会長と竹中直文次期社長です。課題は見えています。1つは欧州の「Fガス規制」です。ダイキンが優位を保つフロン系冷媒が規制されます。自然冷媒のプロパンやアンモニアに切り替える動きが始まりました。三菱電機やパナソニックはプロパンを用いたヒートポンプ式温水暖房機を投入しました。ダイキン工業も2024年度中に追随します。

ただ、汎用素材のプロパンではこれまでのような技術的優位を保てません。十河氏は磁石で冷やす「磁気冷凍」についてしばしば言及し、研究開発陣の奮起を促しています。

もう1つはかつて淀川製作所でも製造していた有機フッ素化合物の問題です。発がん性が指摘され、同製作所が立地する摂津市は5月、同市内の井戸を調べたところ「2020年に国が示した暫定的な目標値等を超える濃度で検出された」と広報しました。

十河・竹中コンビは会社の屋台骨を揺るがしかねない2つの難問に直面します。だが2024年3月期は過去最高の好業績。17年ぶりの経常赤字に転落した1994年3月期の直後に社長就任した井上氏よりもはるかに恵まれた環境でスタートラインに立つのも事実です。

ダイキンは2024年で創業100周年を迎えました。これからの100年も困難なこともあると思いますが、ダイキンが空調のグローバルリーディングカンパニーとしてより飛躍するように応援しています。

※文中に記載の内容は特定銘柄の売買などの推奨、または価格などの上昇や下落を示唆するものではありません。