近鉄特急の夢洲直通車両のアイデア、実は戦前にもうあった!?京浜急行と銀座線を結ぶ予定だった幻の地下鉄「京浜地下鉄道」
2025年に大阪で万国博覧会が開かれることが決定し、会場が大阪市の人工島「夢洲(ゆめしま)」にて行われることになりました。それに合わせ大阪市高速電気軌道(osaka metro)中央線も夢洲に延伸する予定ですが、大阪地下鉄中央線に相互直通運転する近畿日本鉄道(近鉄)が、大阪地下鉄中央線と名古屋や奈良など近鉄沿線とを結ぶ特急が運行を開始するそうです。
大阪地下鉄中央線と乗り入れをしているのは、近鉄けいはんな線です。今回特急が乗り入れ運転を行う近鉄奈良線とは、けいはんな線も乗り入れる生駒駅に渡り線を設置して乗り入れを行う予定ですが、そう簡単に乗り入れとはいきません。
「電化方式」というハードルがあるのです。
この画像は、東京メトロ丸ノ内線の線路の画像です。列車がいる線路の向こうにもう一本レールが見えます。あれは「三線軌条(サードレール)」です。サードレールに電気を通して、車両の台車などに設置されている「集電靴」を通じて車両に電気を供給します。
けいはんな線と大阪地下鉄中央線は三線軌条方式でそのほかの路線がパンタグラフを通じて電力を供給する架線方式なのでそのまま乗り入れをするのは不可能です。ではどうやって乗り入れるのかというと両方の電化方式に対応した車両を作る事にしたからです。
つまり、パンタグラフと集電靴を取り付けた車両を走らせようとしているわけです。
しかし、そのアイデアは近鉄が最初という訳ではありません。1937年に、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道(両方とも現在の京浜急行電鉄)、東京地下鉄道(のちの帝都高速度交通営団を経て現在の東京地下鉄(東京メトロ)に乗り入れを行うために計画されたのが最初です。
(東京地下鉄道は、現在の地下鉄銀座線浅草〜新橋間を建設した会社です。)
左は東京地下鉄道の1000形車両(画像はWikipediaより)、右は京浜電気鉄道のデ101型(画像は京浜急行公式サイトより)です。ドアや窓の配置など似ているところがあります。これは偶然ではなく、相互直通運転を行うため京浜電気鉄道がわざと1000形に似せさせたのです。そのほか、一部車種(姉妹車の湘南電気鉄道デ1型)は1000形とブレーキが同一で、こちらも乗り入れを意図したように見えます。
京浜地下鉄道線は、東京地下鉄道新橋駅から現在の都営浅草線のルートを通って京浜電気鉄道に至り、京浜電気鉄道線内を通り日ノ出町駅からから湘南電気鉄道に入る計画でした。
上の画像は京浜急行デハ230型(画像は京浜急行公式サイトより)ですが、これはオリジナルの湘南電気鉄道デ1型を戦後に改造したものです。こちらのデ1型も1000形やデ101型と異なり2扉ながら乗り入れに対応していました。
計画では、デ1型車両に折り畳み高さ250mmの地下鉄対応パンタグラフと集電靴を履かせ集電靴からの集電に切り替えて地下鉄に入るというものでした。
当然のことながら、東京地下鉄道1000形にもパンタグラフを取り付ける計画があり、相互直通運転が実現しそうになりました。
しかし、現在の地下鉄銀座線渋谷〜新橋間を建設し、将来東京地下鉄道に合併させるという条件のもと設立された東京高速鉄道(高速鉄道は路面電車より高速の交通である「都市高速鉄道」という意味)は当初渋谷〜浅草間の運転を計画していただけあってそれを裏切るような東京地下鉄道と京浜電気鉄道の動きを察知し、京浜電気鉄道と東京地下鉄道の株を買い占め東京高速鉄道の経営陣が東京地下鉄道の経営を乗っ取る乗っ取り騒動が発生しました。
結局1941年7月4日に東京地下鉄道、東京高速鉄道の両社と京浜地下鉄道の路線免許を継承した帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設立、この計画も自然と幻に消えました。
あれから約80年が経過し、京浜地下鉄道について知っている人は数少なくなっています。
80年前から郊外と都心を直結する鉄道のビジョンを思い描いていた京浜地下鉄道。しかしそれは早すぎる事業だったのかも知れませんが、そのDNAは確実に後世に受け継がれています。現在の都営浅草線、京成電鉄や北総鉄道と京浜急行電鉄との間で行われている広域相互乗り入れや夢洲と近鉄を結ぶ特急計画は、この前例無くては生まれなかったと思います。
2025年、夢洲と近鉄を結ぶ特急が登場した際には、京浜地下鉄道の事も思い出してあげてください。
ご覧頂きありがとうございました。
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